天子にしか許されない御座に、皇族を追われた少年が座っている。 その手には太陽神の象徴とされている、鑑。 「気安く声をかけないで。 あのお方は、あなた達とは比べものにならぬくらい、高貴なお方なんだから」 カズトへの進路をふさぐように、ひとりの女の子が立ちふさがった。 クレハである。 「いいんだ、クレハ。彼らが話しかけているのは僕であって、君が敬愛しているイズタカじゃないんだよ」 「でもぉ……」 唇を尖らせつつも、クレハは脇へ下がる。 「さて」 手にしていた鏡を横に置き、改めてカズトは三人の友人の顔を見回した。 「何がどうあっても……君達は、僕を止めるつもりなんだよね?」 「皇宮の占拠なんてのは、さすがにやりすぎだろ。なんで、こんなことを?」 「これはイズタカの決めたことだけれど、僕も賛同した。 ……僕が、この一族を何とも思っていないとでも? 僕を疎んじて虐げて、追い払った彼等を。母は他の女御や更衣に嫌がらせを受けて、心労がたたって亡くなった。その母は正式な葬儀すら行われず、無縁墓に埋められた。後でそれを知らされて、慌てて供養したけれど……無念だったろうと思うよ。 だから、僕は彼等を許さない」 いつもは穏やかな顔に苦渋をにじませて、カズトは声を震わせる。 「イズタカも皇族を恨んでる。東宮位を追われ、反逆者の汚名を着せられて。死後、魂を祀ることさえ許されなかった。 すべては、皇族が自分たちの血と益と立場を守るためにしたことなんだ。彼等のやり口は、イズタカには許せなかった。……いや、許せないのは僕なのかな。どこからが僕で、どこまでが吾なのか、ときどき、判らなくなる」 カズトは、いや、スメラはゆっくりと立ち上がった。 「彼等の手法は、このクニのためにならない。その打破のために、僕と吾はあえて逆賊の汚名を受ける。 僕は退けない。君たちも……退く気はないのかな?」 花見の宴への出席の確認でもするかのような気軽さで、彼は友人に問うた。 けれど、その手は腰の刀に伸びている。 「あなたが皇位の簒奪を目論むなら」 ミオが玉串を掲げる。 「カズトが穢れを世界に広げるのは見たくないから」 ユイナが弓を引く。 「イズタカに何を吹き込まれたかは知らないが、俺達はおまえに罪人になってほしかないんだよ」 タスクが、炎の穂先を出現させた。 力ずくでも止めるという、意思表示。 「そうか……」 少し寂しそうに、カズトは俯いた。 「ならば、吾が相手になろう」 同じ顔のまま、同じ声のまま、その雰囲気だけをがらりと変える。 逆らうことを許さない、絶対的な帝王がそこにいた。 カズトの穏和な表情は泡と消え、スメラの冷徹な貌が三人の平民を睥睨する。 「モミジ」 「はぁい♪」 待ってましたとばかりに、クレハが元気よく手を挙げる。 見る間にその姿が十二歳くらいの少女のものから、妖艶な美女へと変じていった。 「よいのですね、スメラ様?」 「かまわぬ。穢れはあとで祓えばよい」 鬼女モミジが何に対して是非を問うたのかは判らないが、スメラは清浄に保ってきた祷場(いのりば)を穢すことと解釈したらしい。 つまり、タスクたちの生死には祷場に対するほどの頓着もしていないということ。 「かしこまりました」 モミジが合図すると、外の穢れを防いでいた御簾が一斉に巻き上げられた。 招くまでもない。穢れが妖(あやかし)が、一気にどうっと押し寄せる。 「くそっ」 「きゃああ!」 咄嗟にミオが撒いた塩が描く円の中で、タスクとユイナは進入してこようとする妖を必死にくい止めていた。 「すみません、いつもより長く時間を稼いでください」 ミオが謝る。謝罪というよりは、覚悟を促すための言葉に聞こえた。 以前カズトにもらった領巾(ひれ)の端を手首に巻きつけ、その手で玉串をしっかりと持つ。 「てんしょうじょう、ちしょうじょう、ないげしょうじょう、ろっこんしょうじょうとはらいたまう」 玉串で空を切り、塩を撒く。そのたびに、手首に巻かれた領巾が揺れた。 「この祝詞は……?」 初めて聞く祝詞に、モミジは戸惑う。 「てんしょうじょうとは、てんのしちようくようにじゅうはっしゅくをきよめ」 祝詞の言葉ひとつひとつが穢れを浄化し、妖を清めていく。 「まさか、天地一切清浄祓(てんちいっさいしょうじょうはらい)?」 スメラですら、驚愕の表情を浮かべる。 その名の通り、天と地に属するすべての浄化を神に祈願する祝詞である。 神事でこれを唱えることはあっても、実際穢れを祓う場でこの祝詞を使いこなせたものなど、過去数えるほどしかいないはずだ。もっとも、この祝詞を使う必要性に迫られることも、過去数度しかなかっただろうけれど。 それを、禰宜になったばかりの小娘が使いこなそうとしている。 「ちしょうじょうとは、ちのかみさんじゅうろくじんをきよめ」 先に撒いた塩が穢れに侵されても、その上から新たな塩を撒き、ミオは天を地を、清め続けた。 「……させぬ」 微かな金属音を響かせ、スメラは鈍い光を放つ刀を抜いた。 タマユラヒメノカミの加護を受ける娘に駆け寄り、一閃。 ぎぃぃぃっん! 「させるかよっ!」 受け止めたのは、金属を巻いた槍の柄。 そして、誰よりも真摯に友を止めたいと願う、一人の少年の瞳。 「……くっ」 この間合いなら刀の有利と、スメラは間髪入れず斬りつけた。 「ないげしょうじょうとは、かないさんぽうだいこうじんをきよめ」 周囲の喧噪を一顧だにせずにミオは舞い続ける。 華麗な舞のすぐ側で、苛烈な剣戟が続く。 前回対峙したときには明らかだった実力の差が、今はほぼ拮抗している。 この一月、策謀を巡らしオニや妖を使い、自らは動かなかった男と。 人々を救い、仲間を守り、友を信じるために戦い続けた男との。 それは火を見るよりも明らかな成長の差であった。 「ろっこんしょうじょうとは、そのみそのたいのけがれを」 天と地と、人とその暮らし、それを取り巻く神々の清めを、ミオは祈る。 「ならばわらわが……」 スメラはタスクの相手で手一杯。 呟いたモミジは静かにミオの側へと回り込んだ、が。 呻り声をあげる突風に襲われ、押し戻された。 「なに?!」 「させないからね!」 モミジとは、ミオを挟んだ反対側に、ユイナは扇を開いて立っていた。 オニの女を押し返す風はまだ収まらないが、間に立つはずのミオの長い髪や衣服には、そよとも風は吹きつけていない。驚くほどの精密さであった。 ユイナも、この一月で驚くほど術の腕を上げた。 「はらいたまえ、きよめたまうことのよしを」 仲間が自分の身を守ってくれることを信じ、ミオは舞う。 「……くっ」 炎の穂先がスメラの袖を焦がす。 その柄を刀がはね除け、返す刀でタスクの腹を狙う。 槍での防御は間に合わない。 「やおよろずのかみたちもろともに」 「タスク!」 ミオがすべての神々に祈念する声と、ユイナが幼なじみを案ずる声が重なる。 タスクは、その斬撃を横に転がって避けた。 低い姿勢のまま、槍を回転させて石突きで叩き、転倒させた。 「さおしかのやつのおんみみを」 槍を捨て、タスクはスメラに飛びかかった。 慌てて持ち直そうとした刀を蹴り飛ばし、馬乗りになる。 そのままごろごろと転がりながら、二人の少年は互いを殴りつけあった。 「ふりたててきこしめせともうす」 祝詞が終わり、凛とした空気が波紋を描くように広がっていく。 力尽き、ミオががっくりと膝をつく。 「いい加減にしやがれっ!」 タスクの右拳が、スメラの顎に決まる。 「スメラ様っ!」 鬼女モミジの悲鳴が響く中、スメラの全身から戦意の喪失を示すように、力が抜けていった。
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