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まほろままぼらふ 作者:黒木美夜

第23回   皇宮
 榊の周囲だけ、穢れは進入を許されず、清浄な空気を保っていた。
 そこに入れない妖(あやかし)が数体、榊にしがみつくようにしている女官五人に向かって呻り声をあげている。
「なろぉおおお!」
 雄叫びをあげ、燃える穂先を振り回し、タスクは妖に突きかかっていった。
 そして、あっという間に退治してしまう。
「あ、ありがとうございます!」
 女官の中でも最年長らしい女性が、代表して頭を下げる。
「いいってこと。
 それより、このクニで一番神聖な榊ってのは、これか?」
「はい、わたくしどもを守ってくださいました」
 タスクの質問に、女官達は大きく頷く。
「このままここにいた方が安全って気もするけど……」
「けど、人間の賊もいるって話だろ。奴らにゃ榊の清めの結界なんて効かねぇし」
「いえ。鏡が盗まれた夜も、鬼女モミジ自身は祓うことができませんでした。穢れの中で生じたからといって、オニは清浄さを嫌うものではないのかもしれません。ヒトの賊だけを警戒するのは危険です」
 若い神官たちの会話を、女官達は不安そうに聞いている。
 その表情を見て、タスクとユイナの表情が揺らぐ。
 彼女達を放っていくのは良心が痛む。けれど、彼等は誰よりも早く、スメラのもとにたどり着かねばならない。
「……申し訳ないのですが」
 その心中を察したのか、ミオはいつもよりもさらに感情を押さえて口を開いた。
「私たちは先を急ぎます。あなた方を送り届ける時間はありません。私たちが白馬陣から来る間は妖にも賊にも遭いませんでしたが、このあともその道が安全だという保証はありません。それは、ここにいるのも同じです。
 いずれ、私たちより大人数が皇宮奪還のためにここに来るはずですから、それを待つのも選択肢として考えられます。
 どれを選ぶかは、ご自身達で決めてください」
 そう言い捨てると、ミオは女官達を押しのけるように榊に近づき、その幹に触れた。
 暗がりの中ではっきりと、彼女の身体が光りだす。
「あの時の……」
 以前、カズトが誘拐されたとき、彼の居場所を樹に教わった、まさしくそれと同じであった。
 そのミオの輝きが、少しずつ収まり、消えた。
「ミオ。判るか?」
「……はい。白馬陣から入ったのが、この榊を得ることもですが、幸運だったようです。
 …………スメラは正殿にいる、と」
 未だ怯えて榊に身を寄せる女官達に聞こえるのを憚ってか、ミオは言葉を選び、多くを語らず口を閉ざした。
 正殿が白馬陣から近いことはタスクにも判るけれど、どの建物なのかと問われると、自身はない。
「なぁ、どれが正殿だ?」
「あ、あちらの一際立派な御殿がそうです」
 女官が指さす先を見れば、なるほど皇宮の見事な建築物の中にあっても、さらに偉容を誇る建物がある。
 神事のおりは尊皇(たかみ)もアマツヒルメノカミを祀る神宮に出向くけれど、それ以外の、日々の祈りはその建物の中で捧げていらっしゃると、タスクも知っている。そして重要な政務が取り仕切られるのもそこだ。
「スメラは、アマツヒルメノカミ様に直接語りかけるつもりなのかな」
「……だろうな」
 女官たちに聞こえないように囁いてくるユイナに、タスクは小さく頷き返した。
「何を……願うつもりなんだろう」
「……判んねぇ。政府は詳しいことは何も発表しねぇし、スメラ自身も思わせぶりな行動は目立つのに、肝心な部分はぼかしたままだ。
 俺達……」
「ごめんなさい、お待たせして」
 榊の枝を手に入れてきたミオに、タスクとユイナは振り返る。
「行きましょう。スメラの真意を確かめるためにも」
「ああ……そうだな」
 それが判らずに戸惑っているのは、自分一人ではない。
 まだどこかで、カズトを信じたいという思いがあり、戦いたくないという思いがある。このクニの根幹を脅かすスメラは、敵であり、友なのだ。

 正殿に近づくほど、妖の数が増える。タスクとユイナが倒しても、ミオが祓っても、次から次へと妖は現れ、穢れは辺りに充満していく。
「キリが……ねえっ!」
 また一体、妖を切り伏せながら、タスクは悔しそうに前を見た。
 正殿はもうすぐそこだというのに。
「そろそろ、増援が来るかもしれません」
 ミオの顔は疲労でかなり、青白い。唇は紫色だ。
「それは……素直には喜べないね」
 ユイナの風の矢が飛び、空を飛ぶ妖を撃ち落とした。
 この妖の壁を突破するには、四神団の精鋭の協力が必要かもしれない。
 けれどそうなれば、彼等が真っ先にスメラのもとへ行くという隠れた目的を果たせなくなってしまう。
「せいっ!」
「そこっ」
「はらいたまい、きよめたまう」
 それでも、彼等にできるのはただ戦い続けることだけだった。
 が。
「……騒がしいと思ったら。人間が来ていたのか」
「!」
 見れば、見たことのない青年がゆっくりと近づいてきていた。
 妖たちは命じられたわけでもなく、青年のために道を空けていく。
「おまえは……?」
「一度、顔を合わせたことがある」
「え?」
 見覚えのない青年に会ったことがあると言われ、タスクは戸惑いの表情を浮かべた。
 それを見て、青年は軽く笑った。
「……この顔で」
 青年の姿が、服装も含めてみるみる変わる。
「お、おまえは!」
「スメラっ?」
 そう、青年は仮面をしたスメラの姿に変じたのだ。
「まさか、おまえ……カズ……」
「お〜っと、勘違いはしないでくれ。カガチ山でスメラに頼まれてスメラの振りをしただけだ。
 知らないだろ? オニに定まった姿はない。個人という概念もない。技術や知識を共有しながら生きていく、ひとつの生命体の部分部分が存在するだけだ」
「……な?」
 ヒトとは違うと思っていたが、あまりの差異に理解が追いつかない。
「穢れの中という、厳しい条件下で進化したからな」
 姿を現れたときのものに戻して、オニの男は笑う。どこか不敵な笑い方だ。
「生き残る術を全体で共有しなければ死んでしまう。生き残れる頑丈さを全体が持たなければ存続できない。
 ヒトは誤解しているようだが、オレ達オニは妖じゃない。生きるために穢れを扱い、妖を操る術を磨いた。それをする強さが必要だった。
 俺達が見ている目の前で、何度も滅んでいった……柔なヒトとは、違うのさ」
 スメラは、世界は何度も滅んでいると言った。
 やはりそうなのかと、今ある世界しか知らぬ三人は思う。
 見せられたあまりにリアルな滅びの光景に、世界の滅亡は現実のこととして考えることができる。けれど、今ある以外の大地、人類と言われても、正直ピンとは来なかった。
 だが、スメラ以外の証言もあるとなると、これも事実として受け入れなければなるまい。
「ともかく、だ。おまえたちが来たら通すよう、スメラには言われてる。ついて来いよ」
 反転し、オニは躊躇いもなく妖の群れの中を正殿へ向けて戻っていく。
 一瞬顔を見合わせて、タスクたちもその後に続いた。
「ひとつ、訊いていいですか?」
「……なんだ?」
 ミオの質問に、オニは怪訝な顔で振り返った。
「あなた方は……どうしてスメラに従っているのですか? 私たちの世界の動向など、本来あなた方には関知しないことでしょう?」
「……ああ。たしかに、あんたらがどうなろうと、知ったこっちゃないね。
 ただ、イズタカは百年前に根の国に来て、いつの間にか恨霊(うらみたま)もオニもまとめて一番上に立っていた。
 力が強いとか、それだけじゃない。あいつには従いたくなる、何かがある」
「従いたくなる……って?」
 合点がいかない様子で、タスクは首を傾げる。それに答えたのは、オニの青年ではなく、ミオだ。
「おそらく、尊皇の血でしょう。
 ……私はイズタカ親王について調べてみました。公式の記録は改ざんされていましたが、個人の日記に真実が残っていました。
 イズタカ親王は一度は東宮立位された方です。尊皇に求められる資質は、カミを祀ることと同時に、万民を導くことでもありますから」
 生まれ持ったカリスマというわけか。
「じゃあなんで、イズタカは東宮位を廃されたんだ? 黙ってても天下は手中だったろうに」
「そうですね、それは私も……」
「おっと、無駄話はここまでだ。
 ここがこのクニの中心……皇宮の正殿だよ」
 オニが立ち止まる。
「…………」
 こんなときでもなければ一生入ることのなかったはずの場所。
 その正殿に上がるための階(きざはし)に足をかける。
 ただそれだけのことが、ひどく畏れ多い。
「……っ」
 なんだか争う前から位負けしているような気がして、タスクはぐっと顔を上げた。
 下界と正殿を区切る御簾の縁取りの美しさといい、欄間に隙間なく施された精緻な彫刻といい、目に入るもの何もかもが自分の知っている世界とは違う。
 カズトも、とても気さくに振る舞っていたけれど、本来はこの世界の住人なのだ。
 そして、そのカズトの中にいるイズタカも。
 あの二人と、自分の見ている世界は、どう違うのだろうと、タスクはそんなことを考えた。
「……どうぞ」
 案内のオニが御簾をたくしあげ、手で中を指し示す。
「…………」
 いったん背後の仲間を振り返り、彼女たちが小さく頷くのを見て、タスクは正殿へと足を踏み入れた。
「!」
 今まで身体にまとわりついていた穢れが、一気に祓い清められる。
「ここは、清浄なままなのですね」
 ミオの顔色が心なしかよくなった。
「そうだね。……やっぱり、ほっとする」
 ユイナは穢れていない空気を胸一杯に吸った。
「アマツヒルメノカミと接触するには、清浄な空間でないとできないからね」
 優しい声が降ってくる。
「……カズト!」
 声のした一番奥の座を見る。
 広い室内で一番高い場所にカミを祀る祭壇があり、その前……本来ならば尊皇にしか許されぬはずの御座(おまし)に皇族を退いたはずの少年が座っていた。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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