髪が一房、宙に舞う。 「っ!」 それを目で追う暇すらなく、タスクは次の斬撃を避ける。 攻撃の後にできるスメラの隙をつくように槍を繰り出してみるが……半身になってかわされた。 (くそ……) 力量の差ははっきりとしている。 スメラの刀術は師範クラスだ。 それでもなんとかその攻撃を防げているのは、スメラの仮面が彼の視界を著しく制限しているためだ。 槍の柄を使い、側面からの打撃を仕掛ける。 わずかに、けれど明らかに反応が遅い。 それが致命的な遅さになっていないのは、彼我の実力の差故だ。 そんな一進一退の攻防を重ねること数合。 ごうっ! 焚かれた篝火が黒く濁り、渦を巻く。 「きゃあああ!」 「と……とふかみえみためっ!」 ユイナの悲鳴と、慌てて祝詞を紡ぐミオの声が重なった。 スメラの斬撃を避けるのに必死のタスクは、それに気づく余裕がなかった。 けれど。 「モミジ! 何をしているっ」 配下を叱責するスメラの注意は、完全に削がれていた。 「うおおおおおっ!」 「っ!」 タスクの雄叫びにスメラが振り返ったときには、もはや槍はその眼前に迫っていた。 ガツン! 仮面を強打したその槍を、遅ればせながら刀が振り払う。
カラーン……
仮面が真二つに割れて、落ちた。 「お、まえ…………」 タスクが唖然と見つめる先で。額から流れた血が通った鼻筋で二筋に別れ、顎まで流れてから大地に滴りおちていく。 「スメラ様!」 その男は、いや、少年は間違いなく、鬼女からそう呼ばれた。 「大事ない……落ち着け、モミジ」 静かな声でそう言うと、彼はやや乱暴に血をぬぐう。 赤い筋が整った顔を血生臭く彩った。 「な、何が……?」 モミジが舞を止めたことで、ようやく猛る炎から解放された少女二人も、それを見る。 「………………」 顔色ひとつ変えず、それを見つめるミオの横で、ユイナは声の出し方を忘れたかのように口をぱくぱくとさせている。 「……なんで、こんなとこに……いるわ、け?」 ようやく口に出せた言葉も、本人が意図してはいないだろうけれど、微妙に核心を外している。 それだけ、突きつけられた事実を認めたくないのだろう。 「そうだよ……。 どういうことだよ、これはっ!」 タスクが吠える。 それを無視して、スメラはモミジに合図を送った。 それは撤退の印であったのだろう、モミジはスメラに寄り添い、潜るための影を作る。 「……カズトぉっ!」 叩きつけられた名に、呼ばれた少年は顔を上げた。 「さようなら……タスク。 た…………」 最後に何か言いかけた言葉はその身とともに、影に呑まれて消えてしまった。 「……カズト〜っ!」 答えるものは、いない。
沈黙するタスクとユイナを尻目に、ミオはスメラが『黄泉の穴』と呼んでいた小さな洞を調べ始めた。 「穢れの流出は……止まっています」 ひとりごちるミオを、タスクはどこか恨めしげな目で見た。 「驚いてないんだな」 「……私は、予想していましたから」 「何で、黙ってた?」 声に脅すような響きが混じる。 これは八つ当たりだ。 判ってはいるけれど、タスクには止めることができなかった。 「証拠が、ありません。私の直感だけでしたから。 それに……カガチ山の山頂で、スメラと出逢った直後、縛られたカズト様に会いました。あの短期間で小屋に戻り、縛られているふうを装うのは、少し無理がある……と判断し、あの方がスメラである可能性を否定したこともありました」 答える声にいつもよりさらに感情がこもっていないことに気づくほど、タスクもユイナも余裕がない。 だから、ミオの言葉に不審そうに眉を寄せた。 「直感?」 「私には、死者の魂が見えますから。 今も、この黄泉の穴から根の国へと降っていく人々の姿が。……お二人には、見えないでしょう?」 「あ、ああ……」 タスクに判るのは、ここに来たとき感じた淀むような穢れが祓われた、そのことくらいだ。 だが、それとこれとが、どんな関係があるというのか。 「……カズト様には、恨霊(うらみたま)が憑いていました。とても冷徹で、この世を深く恨む霊が。 祀られず、浄化されずにいた魂が、恨霊となって特定の場所や人物に憑くというのは、それほど珍しいことではありません。けれど、あそこまで強い力を持った御霊というのは、そうそういるものではありません」 カズトに憑いたものを思いだし、ミオは恐ろしさに己の身体を抱く。 「あの霊はきっと、イズタカ親王です。継ぐはずの帝位から追われ、逆賊となり、都を遠く離れた地で入水した。皇族なら、霊的能力も高いでしょう。あるいは、オニを従えることも、できるかもしれません」 さらに、同じ皇族の血を引くのだから、血脈的にも取り憑きやすい。もっといえば、同じ皇族から追われた身。霊は似たものほど憑依しやすいものだ。 「じゃあ、あれは……あいつの、カズトの意志じゃねぇってことだな?」 「…………」 友に裏切られたわけではないのかと、確認するタスクの言葉に、ミオは答えない。 最後にスメラが言った別れの言葉。 あれは、あの少し申し訳なさそうな『さようなら』は、スメラ=イズタカ親王が言った言葉ではなく、カズトのものだったはず。 ならば、カズトはイズタカに完全に支配されているのではなく、すべての事情を知った上でその身を貸していることになりはしまいか。 「……それで、その穴は? スメラが開けたの?」 ユイナは、ミオの傍らの穴を指さした。 「いえ、黄泉の穴は自然に開いてしまうものです。最初は小さな穴でも、ヒビから堰が崩れるように、穢れが通れば通るほど、穴は広がっていきます。なので、見つかるたび、どこかの神社が穢れの逆流を防ぐのですが……これは、神社のやり方とは違いますが、穢れを防ぐ処置がなされてますね」 「? スメラがやった……のか?」 「断言はできませんし、そうする理由も判りませんが……」 だが、他に思い当たる節もないのも確かだ。 「とにかく、一度帰りましょう。もう、ここでできることはなさそうですし」 「そう、だな」 タスクは頷き、篝火の煙で霞む夜空を見上げた。
もうすぐ夜も明けようかという頃、タスクたちは街に戻り、そのまま報告のために警備本部が置かれていた神殿へと向かった。 ここへ戻ってくるまでに、カズトのことは伏せておこうと、三人で話して決めてある。ミオは話すべきだと主張したのだが、タスクとユイナがどうしても、と言い張ったのだ。 もし、カズトが恨霊に支配されているだけなら、帰ってくる場所がなくなるようなことはしたくない、と。 「そうか、スメラがそんなことを……」 「事情は判った、ご苦労だったな。鏡を取り戻せなかったのは残念だが、今日はゆっくり休め」 ホヅキとカザイの上官が席を立つ。 「しかしよくスメラをそこまで追いつめたな」 「運がよかっただけです」 ミナギリの上司の言葉に、ミオは無表情に答える。 「そうだ、おまえも今日は休んでいいが……。カズト様がサザツの宮に向かわれたからな、改めて所属を決めねばならない。希望はあるか?」 「え?」 三人が声を揃えて聞き返す。 サザツは皇族や貴族の静養によく使われる土地だ。様々なカミと縁が深いこともあって、神社も数多くある。 「なんだ、聞いていなかったのか? 三日前にお身体のご不調を理由にそこへ行くと仰ったんだが。で、昨日、おまえ達が鏡の警備を始めた頃には発たれたはずだ。あの側仕えのクレハという娘と一緒に」 「………………。 そう、ですか……。きっと、別れを言うのは辛いという、カズト様のご配慮……だったのだと……」 なんとかその場を取り繕おうという、ミオの言葉が白々しく流れていく。 あのとき、素顔が見られようと見られまいと、スメラの中ではもうカズトという地位や立場を捨てることは決まっていたのだ。 「まあ、親しくしてくださっていた元宮様がいらっしゃらなくなったのは残念だろうが、カズト様が戻られたときに恥ずかしくないよう、これからも精進を……」 上司の言葉がぐるぐると頭の周囲を駆けめぐる。 タスクはその言葉を理解する気力すらなくしていた。
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