「うわあああああ!!!」 顔面を押さえ、喉が裂けそうなほど叫ぶ。 「ああああああ!!!」 がくがくと震える膝は、すでに体重を支えてはいなかった。 地面にくずおれ、今見たモノをすべて吐きだしたいとばかりに、慟哭する。 「あ……あ、ああ……」 肺腑の空気をすべて吐きだして、それでも新鮮な空気を上手く吸えず、喘ぐ。 「やだ……やだよ、こんなの……」 気づけば、すぐ隣でユイナが泣きじゃくっていた。 彼女も悲鳴を上げていたのかもしれないが、タスクは自分自身が叫ぶ声しか記憶になかった。 それだけ、今見た……否、見せられたものが激烈だったのだ。 「な、なんだよ、今の……」 まだ乱れる息で問いながら、八千代の鏡には異なる時間を見せる力があるという話を思いだす。確かに、最初に見たのは身に覚えのある過去で、そしてありきたりな人生を歩む、想像しやすい自分の姿だった。 けれど、あの世界の終わりと思しき幻視。 八百万の神々に護られたこのクニが、あんな最期を迎えるなど、どうしても想像がつかなかった。 あるいは、スメラはこの世を穢し、カミの力を及ばぬようにして、この世界を滅するつもりなのか。 「あれは……あれは、おまえが……」 「違います、タスク。あれはスメラの仕業ではありません」 「え?」 背後からの声に振り向けば、ミオが暗がりから静かに姿を現したところだった。 「あなた方も見たのですね? 滅びの光景を。 お二人の顔を見れば判ります……。私も最初、怖ろしくて見ることを拒みましたから」 ミオがそれを見るのは術を使うとき。タマユラヒメノカミを近くに想うとき。 最初は、かの女神に助けられたすぐ後のことだった。 カミの声を聞いた少女ということで期待され、五歳の幼さですぐに術の手ほどきを受けた。 初めて術を使おうとしたそのとき、ミオはそれを見てしまったのだ。 「あの小娘……。妾が招いてはおらぬというに」 モミジが口惜しそうに呟くが、誰も気には留めなかった。 「ミオも……?」 「ええ」 ユイナの問いに、静かに頷く。 ずっと忘れていたことだ。 忘れようとしていたことだ。 あまりに怖ろしく、カミに対して心を閉ざした。 カミの声に耳を塞ぎ、カミに向かって口を閉ざした。 だから、術を使おうとしても彼女の願いは天に届かず、落ちこぼれの烙印を受けることとなった。十二年の長きにわたって。 なんて浅はかだったのだろうと思う。 なんて幼かったのだろうと思う。 カミは彼女に伝えたかったはずなのだ。 この怖ろしい終末が、この世界にあり得るということを。 「それが……八千代の鏡……」 鏡面を見る若き禰宜の目に、世界が崩壊する様が映る。 タマユラヒメノカミを通じて、いつも見ているものだ。 「タスク、ユイナ。 これは、未来ではありません」 断言されて、二人は顔を上げた。 先程よりは顔色がよくなっているが、まだ腑に落ちない顔をしている。 これが過去のことだというのなら、あんな目に遭った大地が、今こうして無事でいるはずがないじゃないか。 「あれは……すでに起きてしまった将来……」 「は?」 「あ、ごめんなさい。訳判らないですよね。そんな言葉が浮かんできたものですから。 ええと……。この世界は、もっと先の時間軸で……いえ。世界が生じてから年月が今よりももっと経った時点で、一度滅びているのではありませんか? 幻視の中の人々は、私たちとは異なる衣服を着ていました。建物も趣が異なるものでしたし……」 ミオはやや自信なさげである。 自分の印象を正確に伝えられる言葉が見つからないためか。 「世界が一度……」 「滅びた……?」 突拍子もない言葉に、タスクとユイナは呆然とする。 だが。 「惜しいことだ」 スメラは仮面の奥で淡く笑った。 「世界が滅びたのは一度などではない。すでに数えきれぬほど滅びておる」 「!!」 これにはミオも驚愕の表情を見せた。 「この世界は、永劫のときを滅びと再生を繰り返してきた。月の満ち欠けのごとく、冬に枯れては春に芽吹く草のごとく……」 吟ずるように、仮面の奥から声が響く。 「今あるこのクニもいずれは滅びよう」 そして高らかに予言する。 「てめぇが……そうするってのか?」 タスクはゆっくりと立ち上がった。 しっかりと、自分の足で大地を踏みしめる。 大丈夫、今はまだ、このクニは自分を支えてくれる。 輔(たす)けてくれる。 「さぁ、どうであろうな?」 くくく、と喉の奥で笑う声が漏れる。 「小僧、スメラ様に対する不遜な態度、許さぬぞ」 愉悦するスメラとは対照的に、鬼女は怒気をはらんでいる。 それでも実力行使に出ないのは、予めスメラに止められているからかもしれない。 「そうであれば、どうするつもりだ? 吾を止めるか?……命をかけて?」 ゆっくりとタスクたちと同じ大地に降り立ち、スメラは刀を抜いた。 「モミジ」 「はい」 名を呼ばれただけで、鬼の女は己が何をすべきかを理解したらしい。 その名の通りの深紅の葉を揺らし、舞う。 夜の闇から抜け出たような、真っ黒な鴉の群れが少女達を囲んだ。 「ユイナ! ミオ!」 「他人の身を案じている場合ではあるまい?」 ギィンと耳障りな音が夜の闇に響き、刃を槍の柄が受け止めた。 「……くっ」 ギリギリ受け止められるタイミングだった。 だが、タスクが歯がみしたのはそこではない。 スメラはあえて、止められる攻撃を仕掛けたのだ。 このテロリストは、タスクを相手に……遊んでいるのだ。 「この……やろ……っ」 間合いを空け、槍の穂先に炎を宿す。 タスクの、本気で戦うという意思表示であった。
夜の闇に純白の塩が盛大に撒かれる。 「とふかみえみため」 朗々とした祝詞が響き、青々とした玉串が打ち振られる。 「かんごんしんそん、りこんたけん」 撒かれた塩が結界となり、穢れに染まった鴉の進入を防ぐ。 どころか、あたりの空気を、そして鴉を浄化していく。 「すごい……」 ユイナは感嘆の声をあげた。 ミオはまだ禰宜(ねぎ)になって日が浅いはずなのだ。 それなのに、この威力。 カミの声を聞き、カミの加護を受けるとは、こういうことなのか。 もっとも、汚れとてただ祓われているわけではない。 最初に撒かれた塩は茶色く変色を始めている。 穢れも、この結界を侵そうとしているのだ。 だがそこに新たな塩を撒き、穢れが拡大することを許さない。 ばさりと、一際大きく玉串が振られた。 「はらいたまひ、きよめたまう!」 凛とした何かが、空間を斬った。 目に見えるほど濃かった穢れが消え、ただの鳥に戻った鴉たちが、暗がりで不自由な目で、互いにぶつかり合いながら逃げていく。 「………………」 ミオは長く静かな息を吐いた。 祝詞を述べる間、ずっとあの滅びの光景を見ているのだ。精神的負担は大きいだろう。逆に、あれを目にしながら穢れを祓うのだから、その集中力は並のものではない。 「……次は、貴女が祓われますか?」 鋭い視線を鬼女に向け、ミオが問う。 ユイナにも判る、虚勢を張っていると。 本来、誰かに敵対行為をとれるほど、このミナギリの娘は勝ち気な性格をしていない。それでも、退くわけにはいかないと、精一杯の気力でもって、モミジを制しようとしている。 「そうだね。オニにこのクニを荒らされるわけにはいかないもんね」 その意を汲み、ユイナも弓を引く。 生じた風の矢は、鬼女の心の臓へと向けられる。 「舐めるでないぞ、小娘ども」 紅葉の枝をばさりと鳴らし、オニの女は荒々しく舞い始めた。
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