夜の街を走る。 月は朔。頼りになるのは遙か頭上で微かに瞬く星々と、タスクが手にした松明だけだ。 この松明、術の力で明るさは一・五倍、持続時間は二倍にしてあるのだが。 街は、どうしようもなく暗かった。 彼等とて、夜の街を知らぬわけではない。夜警の仕事も廻ってくる。そのときもこうして、松明を手に街を歩く。 そのときとは明らかに、街の明るさが異なる。 松明の明かりは、十数歩先まで届いている。 あてもなくスメラを探して街を歩くに不足ない光を放っている。 それなのに、街全体を暗いという概念が支配しているような。 そんな、のっぺりとした暗さが、二人の行く手と、来た道とを覆っていた。 「……なんか、不気味」 「穢れが街に溢れてるのかもな」 気分までもが沈むような暗さに、時折言葉を交わすタスクとユイナの声も重い。 会話が続かず、沈黙がわだかまる。 その沈黙があったからこそ、聞こえた。 「……! 悲鳴っ?」 「あっちか……くそっ!」 舌を打ち、タスクは悲鳴が聞こえたと思しき方角へ走りだした。 どれくらい、走ったろうか。 「…………!」 累々と、人が折り重なっている。 呻く声が聞こえるから、生きている者がいるようだ。 死者がいるかどうかは……判らない。 血に伏す人々の中央に、色が滅する夜の闇の中にありながら、なお鮮やかさを保つ赤い衣の女が立っていた。 「てめえが……?」 苦い声を絞りだす。 「てめえがやったのかっ?!」 「ふふふふふ」 返答は、揶揄するような甘い笑い声だけ。 笑いながら、鬼の女は紅葉の枝をかさりと揺らす。 夜は目が見えぬはずの、鴉の合唱が轟きわたる。 目の前を、黒い嵐が舞う! 「きゃあ!」 「わっ!」 舞い飛ぶ鴉に、飛び散る羽毛に、視界を塞がれ……。 「……くそっ!」 漆黒の台風が収まったとき、悪態をつくタスクの視界に、鬼女の姿はなかった。 「……ねえ、あそこ!」 ユイナが指さした先、一羽の鴉が飛んでいくのが見えた。 「他に手がかりがねえ。追うぞ!」 「あ、うん!」 ユイナは怪我人の位置を知らせるための笛を短く鳴らし、慌ててタスクの後を追った。
その後、鴉を見失っては橋の欄干に留まる深紅の瞳の鴉を見つけ、再び追っては見失い、悲鳴を聞きつけ駆けつければ紅葉の鬼女に遭った。追いかけては撒かれ、見つけては見失い……。 気づけば、都の外まで来ていた。 「いいのかな……こんなとこまで来ちゃって?」 夢中で追いかけては来たものの、単独行動が過ぎたのではないかと、ユイナは悔やむ。もっと戦力を整えて来てもよかったのではないか。 雑木が服に引っかかって歩きにくい。 木々に引火したら困るから、火力を落とすため松明を消して枯れ枝に火をつけている。 ますます、足下がおぼつかない。 「準備してたら逃げられちまう。それに今更どうしようもねぇよ」 それに、自分たちはスメラに招かれたのだ。 根拠もないし、スメラがそんなことをする理由もさっぱり思い浮かばないが、タスクはそんな気がしてした。 でなければ、あの鬼の女はもっと簡単に逃げられたはずだ。 そうしなかったのは、自分たちに来て欲しいからだ。 さらなる悪巧みのためか、それとも。 「怖いなら、おまえは引き返すか?」 「や、やだよ! 一人だけで帰れるわけ、ないじゃん!」 怖いからとも、タスクを一人にはさせられないからとも、少女は言わない。 少年も、その理由は考えなかった。 いや、考える時間がなかった。 突然、視界が開ける。 「う……」 タスクたちですらはっきりと感じ取れるほどの濃密な穢れが空間いっぱいに満ちている。 その奥、この歪みそうなほど穢れたこの場所こそが御座であるかのように。 「ようこそ、『夜』へ」 いつか見た仮面の男が、篝火に照らされて二人の祝を出迎えた。
「……スメラ…………」 息を呑むように、その名を呟く。 朝廷への反逆者。自ら皇(スメラ)を名乗る仮面の男は、背後に鬼面の女を従えて、タスクの身長ほどの低い崖の上に腰掛けていた。 そして、彼我を仕切るかのように、五基の篝火を焚いている。 ただ、タスクたちが魔を祓うのに使った火と違い、浄化の力を持たない炎だ。 残虐非道の噂とは違い、炎の色に染まったスメラの仮面は、ひどく静かで、無表情だった。 「この穢れ、やはり人間には毒か?」 案ずるでもなく、嘲笑うでもなく、単に事実を確認するだけの口調で、スメラは問う。 「そりゃあ……神職じゃなゃきゃ一発で病気に……あたしたちだって、しばらくこんなところにいたら……」 「てめぇがやったのか? 穢れをこの場所に撒いたのか?」 青ざめたユイナと、真っ赤になったタスク。 二人の感情は一致している。怒り、だ。 「ふむ……。 黄泉の穴、というのを知らぬか? 天然自然にできた、根の国と通ずる穴だ」 スメラはつま先でとんとんと、崖に開いた直径一尺(30cm)ほどの穴を叩いてみせた。 確かに、その穴の中は禍々しいほどに死の気配が濃い。 「ここに潜れば、生きたまま黄泉に赴けるぞ。 ……もっとも、この穴は『まだ』人が通るには細いがな」 やや含みを持たせた言い方で、スメラは冥穴へと向けていた目を二人の祝(はふり)に戻した。 その拍子に袖の下からスメラが抱えていた物が顕わになる。 「……それは……」 タスクの目が、その鏡に向けられた。 「本当に盗んだのね?」 驚きに目を見張るユイナの言葉に、鬼女の仮面に怒気が宿る。 「盗んだとは人聞きの悪いことを申すおなごよの。これは、本来スメラ様のものであるべきもの。 非礼を詫びよ」 「……モミジ。構わぬ」 「………………」 スメラの言葉に、不服そうながらも鬼女は従う。 「それより……。吾は問いたい。 汝(うぬ)ら、この中に何を見る?」 くるりと、鏡面を二人に向ける。 炎をうけて、鏡が光る。 その輝きに、タスクとユイナは囚われた。
タスクは、見た。 初めて神聖武器を与えられた日の自分を。 少し大人になって、やはりユイナと並んで歩く自分を。 犬に吠えられ、泣きべそで母にすがりつく幼い自分を。 息子と酒を酌み交わす、中年の自分を。 生まれた日の自分を。 老いて若き日のことを振り返る自分を…… 様々な自分が駆けめぐり、交錯する。 不思議と、いつも笑っている自分の姿。 その顔がぐにゃりと歪み…… 阿鼻叫喚の惨劇へと取って代わられた。 火が、風が、水が、大地が。 人々を護ってきたものが、人に対して牙を剥く。 溢れた穢れに触れ、木も動物も、人でさえも、その姿を変じていく。 これは死。 これは終末。 これは滅び。 滅び。 滅び。滅び。滅び。滅び。滅び。滅び。滅び。 滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅滅
そして…………無。
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