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まほろままぼらふ 作者:黒木美夜

第16回   悪夢
 無数の怪物が天を覆い、地を埋め尽くす。
 大地はひび割れ、火はすべてを焼き払い、風は荒れ狂い渦を巻き、川は氾濫し海では大津波が牙をむいた。
 冥穴から、海の彼方から、祀られることなく浄化されずにいた死者の群れが地上へと還ってくる。
 逃げまどう人々。
 怪物や死者にただ無力に殺されていく人々。
 天の災いに、大地に、炎に、嵐に、水に飲まれていく人々。
 そんな惨状を、〈彼女〉はただ、遙かな高みから見つめていた。為す術なく。
 これは必然であったと、〈彼女〉は知っていた。
 こうなることは判っていたのだ。
 〈彼女〉はこれを見るのは初めてだった。けれど〈彼女〉の父から、このような滅びが何度もあったと、聞かされていた。
 〈彼女〉の生まれた大地が消えてしまう。
 助けたい。けれど、助けられるはずがない。
 いかなカミにも、今この事態を終息する力はないのだから。
『…………ミオ……』
 遠くで呼ばれた。
「ミオ……」
 ゆっくりと、彼女は目を開けた。
「ミオ、準備はいい? 次はあなたの番なのよ」
 目の前に、ミオの指導教官でもあった禰宜(ねぎ)の女性の顔があった。
「ずいぶんと集中していたのね。
 ……あまり顔色がよくないけれど、大丈夫?」
 案ずる気配の女性の背後に、静かな部屋が見えた。
 ミオ自身、掃除のためなどに何度か入ったことがある部屋。今日は、試験を受けるもののための控え室になっている。
「……はい、なんでもありません。少し、緊張しているようです」
「最近のあなたの成績なら大丈夫。落ち着いてやりなさい」
「はい」
 先程までの幻影を振り切るように、顔を引き締め、ミオは歩きだした。

 いくつもの視線を感じる。
 純粋に応援する目は少ないだろうと、ミオは思う。
 急速に力をつけ、数々の術を成功させ、儀式での巫女をも任されるようになったミオを、快く思っていない同僚が多いことは、彼女自身がよく判っている。
 カズトの七光りだという声もある。
 今まで怠けていたのだと陰口も聞こえる。
 なんと言われても構わない。悪し様に言われることは慣れている。
 他人にどう思われようとも、自分にできることを盲目的にこなすだけ。
 不器用な生き方だと自分でも思うけれど、このやり方で今まで生きてきた。
「………………」
 ゆっくりと息を吐く。
 目の前には瓶に入れられた真っ黒な泥水が入っている。
 これを術で真水に変えることが、テストの内容である。
 水の浄化は、穢れを祓うことに繋がると考えられているのだ。だからこそ、これができねば禰宜にはなれない。
 ミオはゆっくりと領巾(ひれ)を広げた。
 向こうが透けて見えるほど、薄い生絹(すずし)の領巾。
 一月前、拐かされたカズトを助けに行った日、穢れた炎から皆を守るため、雨を呼ぶために舞ったあのとき、カズトに渡された物だ。
 あのあと、カズトはそのままこれをミオに授けた。自分が持っていても仕方のないものだから、と。
 凪いだ海の波のように穏やかに、領巾が揺らめく。
 ミオが神に捧げる舞を舞い始めた。

「やっぱりミオの舞は綺麗だね〜」
 うっとりとユイナが呟いた。
 正確に踊ることばかりを考えなくなっても、身体に染みついた動きは損なわれず、むしろ硬さが取れてますます秀麗さを増している。
 彼等は、試験場の近くの廊下から、他多くの見物人に混じって様子を見ていた。
「もう、浄化が始まったようだね」
 カズトが指さした瓶から微かな光が立ち上っている。
 他の受験者よりも早い反応だ。
「さすがだな!」
 友人の才気にタスクは素直に感嘆する。
「……クレハも見に来ればよかったのにね」
「彼女は、こういう儀式ばったものは苦手だからね」
 見学を辞退したクレハを、ユイナは残念に思う。
 クレハの主人はいつものことだと苦笑を浮かべた。
「…………なぁ、なんかさ……」
「ん? なに、タスク?」
「ミオの奴……苦しそうな顔してねぇ?」
 タスクに言われて、ユイナとカズトも舞い続けるミオの顔を見た。
「ほんと……でも苦しそうっていうより……」
「何か、痛みを堪えているような表情だね」
 駆け寄って大丈夫と訊ねたい気分だったが、そういうわけにもいかない。少なくとも、この試験が終わるまでは。ユイナは軽く唇をかみしめた。

 大地が揺れる。炎がすべてを舐めつくす。風が荒れ狂う。水が飲み込む。
 試験の前に見ていた幻影を、ミオは見ていた。
 その舞にはまったく乱れを見せないまま、そのヴィジョンに迫られていた。
 いつもそうだ。
 あの日、初めて術を使えたあのとき。
 あれ以来、術を使うとこの破滅の光景が脳裏に浮かぶ。
 あるいは、カミを想うときに。
 自分の記憶と紛うほどに、リアルな情景。だが、あれはミオの記憶ではない。
 あれは、彼女が仕えるカミの記憶だ。
 おそらくは、海神の末娘、タマユラヒメノカミのもの。
 自らが生まれたクニが滅んでいく様を、ただ凝視する。その悲泣が無念が、ミオの内で響く。
 舞うための集中力を損なうほどではない。けれど、ミオの心を蝕み、苛んでいく。
 もう少しだ。
 もう少しで瓶の中は完全な真水になる。
 そうすれば、ほんのひととき、この幻影から離れられる。

 一際明るい輝きが瓶の口から放たれる。
「!」
 水の浄化が終わった証だ。
 試験官の禰宜が確認のために近づきーー
 斬られた。
 鮮血が、ミオの目の前に散る。
「きゃあああ!」
 観覧者の誰かが、悲鳴を上げた。
 ギチリギチリと、金属がこすれ合う。
「………………」
 息を飲み、見上げるミオの眼前に、巨大なムシが現れた。
 メタリックな輝きを放つ甲殻から、左に一本、右に二本の鎌が伸びている。そのうちの一本から、鮮血が滴っていた。
 キチキチキチと視神経を逆なでするような音をたて、四対の脚が歩く。
 斬った禰宜を踏みつけて、ミオに近づく。
 今まで舞っていたミオは丸腰だ。術を発動させるにも、ムシが鎌を振り下ろす方が早いだろう。
 じりりと後退する。
「神殿の護りというのも、たいしたことはないのう。
 穢れとオニの進入を、いともたやすく許すとは」
 上から高慢な声が降ってきた。
 見上げれば、鬼面の女が社殿の屋根に立ち、大地に立つものを睥睨している。
「あいつは……っ」
 見覚えのある姿に、タスクはその場を飛び出した。
「あいつはスメラの手先だ!」
 ミオを庇うように立ったホヅキの少年の言葉に、その場にいた全員がざわめく。
 その場にいた数人が救援の要請に駆けだし、残る者達は術や弓矢で攻撃態勢を整える。
「ほほほほほ。
 妾と戦おうというか。愚かな人間ども。
 よかろう、汝(うぬ)らが矮小さを、思い知らせてくれるわ」
 鬼女の手に色鮮やかな紅葉が一枝現れる。
「おくつきの おくなくありし おくつもの」
 唄いながら艶やかに鬼女が舞う。
 先程までのミオの舞とは異なり、型のない、自由で奔放な舞だ。
 その朗々とした声に、柔らかな動きに、紅葉の葉の揺れに。
 根の国が、九泉が、神を祀る座と繋がる。
「させるか!」
 水球が、氷槍が、矢が、鬼女へと迫る。
 だがそのすべてを、鬼女は舞のステップとともにかわしてみせた。
「なばるうらみは……」
 最後の一節を唄う段になって、鬼女はその動きを止めた。
「……しかし、スメラ様……」
 招かれた穢れにより生じた魑魅魍魎が、鬼女を清き水と鋭き矢から護っている。
「あやつは……」
 見下ろせば、護られるように下がらされたミオの目の前で、タスクとユイナ、そして数人のミナギリの手によって、先程召喚した妖が滅せられたところだった。
「あやつは、今後、必ず……」
 次はおまえだと、タスクが鬼女を睨んだ。
 ユイナとミオも見上げている。
 鬼女の声は聞こえていまい、鬼女が誰を見下ろしているかも知るまい。
「必ず、我らの弊害となりましょうぞ」
 タスクが炎の弾を、ユイナが風の矢を、ミオが氷の圏を構える。
「…………御意っ」
 最後に小さく歯がみして、鬼女は影へと溶けた。
「くそ……っ。また逃がしたか」
 悔しそうにパンと右の拳で左掌を叩いたタスクに、カズトがゆっくりと近づいた。
「怪我はないかい? ユイナもミオも?
 他の皆も大丈夫だろうか?」
「はい、大丈夫です!」
「怪我はありません!」
 元がつくとはいえ、貴人に優しく声をかけられ、歓喜を浮かべるミナギリ達の間で、ミオだけが、どこか怯えた表情を隠すように、俯いていた。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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