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まほろままぼらふ 作者:黒木美夜

第14回   招雨の舞
 まだ燃えていない木から、葉のついた枝を選び、小さく感謝の言葉を告げてから手折る。
 自分の周囲に広く塩を円形に撒き、その数カ所に先程折った木の枝を挿した。
 塩と柴で作られた結界。穢れを防ぎ浄化して、カミを招く場とするためのものだ。
 正式な神座(かみくら)ではないけれど、即席のものとしては充分だ。
 心なしか、結界の内の煙が薄くなる。
「では」
 ミオがその中央に立つ。
 炎の熱気に煽られ、衣服が揺らめく。
 その激しさとは対照的に、彼女の表情は凍りついたように動かない。
「待って」
 呼び止めたカズトはミオに近づき、懐から布を取りだし手渡した。
「これは……領巾(ひれ)?」
 同じ領巾でもミオの持っていた木綿のものとは違い、ずいぶんと薄くて軽い。そして肌触りが極上だ。
「生絹(すずし)の領巾だよ。素材が違うだけじゃなくて、機織りのカミに仕える宮司が織ったものだから、霊験はあらたかだと思う。
 これで舞えば、カミもお喜びあそばすんじゃないかな」
「………………。
 ありがたく使わせて頂きます」
 一瞬の躊躇の後、ミオは深く頭を垂れてから薄絹を広げた。
 舞の邪魔にならぬよう、カズトが離れたのを確認し、ゆっくりとカミへの祈りを始める。
 伴奏はない。拍子もない。
 けれどミオは舞った。
 練習ならば何百回、何千回と舞ってきたものだ。指先のほんのわずかな動きさえ、それは彼女の中にしっかりと刻まれている。
 もちろん、その一度たりとて、カミがその願いに答えてくれたことはないのだけれど。
 そのことにただ焦りを覚え、ただひたすらに人目を避けて舞い続けた。
 思えば、人前で舞うのは何年ぶりだろう。
 ふわりと、生絹の領巾がゆらめく。
「きれい……」
 思わずもれたといった様子のユイナの声に、男二人も頷いた。
 躍動するわけでもなく、リズミカルでもない。とりたてて人目を引くものもない。
 とてもとても静かな舞だ。
 緊張感すら漂うほどの、一瞬一瞬の動きが非常に完成された、静かなる舞。
「これだけ正確に舞える舞手は、ミナギリの総社にも二、三人しかいないんじゃないかな。それも、神楽なしでなんて」
 聞こえてくるのはバチバチと木が爆ぜる音、轟々と炎が渦巻く音、遠くで燃え尽きた木が倒れる音、そんなものだ。どちらかといえば、舞の邪魔になるような音ばかり。
「じゃあ何で雨を呼べねぇんだ?」
 タスクが見上げた空は煙で灰色に曇っているが、時折見える切れ目からは青い空が静かに下界を見下ろしている。
「ん……正確すぎる……のかな?」
「正確すぎる?」
 首を傾げたユイナの言葉を、鸚鵡返しにタスクが呟く。
 それには答えず、カザイの少女は舞い続ける友人にゆっくりと歩み寄った。

 無心に……というより型通りに舞うことだけに集中していたミオの意識が、一瞬にして崩れ去る。
「ええ?」
 誰かに手首を捕まれ、力一杯引っ張られたのだ。
 驚いて見てみれば、ユイナである。
 舞うことに専念するあまり、近づいてきたのに気づかなかったのだ。
「ちょ……ユイナ?」
「んふふっ」
 悪戯っぽく笑うと、ユイナは戸惑うミオの身体をぶんぶんと振り回すように踊りだす。舞なんていう、きちんとしたものではない。
 もちろん、ユイナだって舞の呪法は心得ているはずなのだが。
「な、なにを……?」
 ユイナに引きずられ、身体が泳ぐ。
「なにって、カミ様に雨を降らせてってお願いするんでしょ?」
「それはそうですけど……ひゃぁ」
 長い領巾が脚に絡まり、バランスを崩して転びそうになる。
「ほら、な〜にやってるの? 踊らなきゃ!」
 ミオの舞を邪魔する張本人が何を言っているのだ、ということを、ユイナは笑いながら口にする。
「雨を呼ぶんでしょ?
 雨って何? 雨ってどんなもの? ミオは、雨をどう思う?」
「え……?」
 思っても見なかった質問に、ミオは目をしばたたかせた。

 雨は好きだ。
 雨が降れば通りから人通りが絶える。
 誰もいないまっすぐに延びる道に一人立ち、しとしとと降る雨に濡れそぼるあの感覚。
 最初は確かに気持ちが悪い。
 けれど衣服が完全に濡れ、水が肌まで届くようになると、不思議と雨と一体になるような、不思議な感じがするのだ。
 広い広い大地に静かに降り続ける雨と一緒に、自分の五感までもが果てしなく広がっていくかのような。
 そうすると、雨の音さえ自分の一部のように思えてくる。
 しとしと、しとしと。
 土に染みいる水のリズムが、自分自身の心音のように心地よく、やがて無意識の彼方へと去っていく。
 自分一人だけという、心地よい孤独感。
 恵みの雨の一部となるという、不思議な一体感。
 そんな雨が……好きだ。

 ミオは再び舞っていた。
 静かで、厳かで、けれど先程までの異様な緊張感のない舞を。
 いつのまにかユイナの手が離れていることも気づかず、ただ雨を思って舞う。
 恵みの雨を。
 優しい雨を。
 清めの雨を。
『ミオーーーーーーーー』
 天からの声が、彼女を呼ぶ。
 ぽつり、と冷たい何かが頬を打った。
 ぽつり、ぽつり。
 見上げれば、山火事の煙よりもさらに厚く黒い雲が空を覆っていた。
 ばらばらばら。
 落ち来る水滴は見る間に増え、すぐに土砂降りとなった。
「………………あ」
 天の恵みの前に、穢れの炎はあっけなかった。
 四人が周囲を見回したときにはすでに鎮火し、今までの熱気が嘘のように凛と冷えた空気が彼等を包む。
「………………降った…………。
 嘘……みたい……。本当に、降るなんて…………」
 泣き笑いの表情で仲間を振り返ったミオの頬を、幾筋もの雨が流れる。
「あはははは! やったじゃん!」
 まだ呆然とするミオの手をユイナはとってぶんぶんと振り回した。
「あははははは! おめでとう、ミオ!」
「すごいよ、こんなに降るなんて!」
「やったじゃねぇか!」
 仲間達が笑ってくれている。祝福してくれている。
 助かったという自分の保身よりも、友達が初めて術を使えた、そのことを祝ってくれている。
 そんなことが、ひどくーー嬉しかった。
「ふふ……ははは」
「あははははは!」
 何がそんなにおかしいのか。
 笑い続けるユイナにつられるように、仲間の笑みに応えるように、ミオの頬もゆるんでくる。
「よかったじゃん、あはははは」
「う、うん……うん、ほんとに……ははは。
 あははははははは」
 真っ白な歯を見せて、ついにミオも大声で笑い始めた。
 雨でびしょびしょになりながら、仲間達は心ゆくまで笑いあった。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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