まだ燃えていない木から、葉のついた枝を選び、小さく感謝の言葉を告げてから手折る。 自分の周囲に広く塩を円形に撒き、その数カ所に先程折った木の枝を挿した。 塩と柴で作られた結界。穢れを防ぎ浄化して、カミを招く場とするためのものだ。 正式な神座(かみくら)ではないけれど、即席のものとしては充分だ。 心なしか、結界の内の煙が薄くなる。 「では」 ミオがその中央に立つ。 炎の熱気に煽られ、衣服が揺らめく。 その激しさとは対照的に、彼女の表情は凍りついたように動かない。 「待って」 呼び止めたカズトはミオに近づき、懐から布を取りだし手渡した。 「これは……領巾(ひれ)?」 同じ領巾でもミオの持っていた木綿のものとは違い、ずいぶんと薄くて軽い。そして肌触りが極上だ。 「生絹(すずし)の領巾だよ。素材が違うだけじゃなくて、機織りのカミに仕える宮司が織ったものだから、霊験はあらたかだと思う。 これで舞えば、カミもお喜びあそばすんじゃないかな」 「………………。 ありがたく使わせて頂きます」 一瞬の躊躇の後、ミオは深く頭を垂れてから薄絹を広げた。 舞の邪魔にならぬよう、カズトが離れたのを確認し、ゆっくりとカミへの祈りを始める。 伴奏はない。拍子もない。 けれどミオは舞った。 練習ならば何百回、何千回と舞ってきたものだ。指先のほんのわずかな動きさえ、それは彼女の中にしっかりと刻まれている。 もちろん、その一度たりとて、カミがその願いに答えてくれたことはないのだけれど。 そのことにただ焦りを覚え、ただひたすらに人目を避けて舞い続けた。 思えば、人前で舞うのは何年ぶりだろう。 ふわりと、生絹の領巾がゆらめく。 「きれい……」 思わずもれたといった様子のユイナの声に、男二人も頷いた。 躍動するわけでもなく、リズミカルでもない。とりたてて人目を引くものもない。 とてもとても静かな舞だ。 緊張感すら漂うほどの、一瞬一瞬の動きが非常に完成された、静かなる舞。 「これだけ正確に舞える舞手は、ミナギリの総社にも二、三人しかいないんじゃないかな。それも、神楽なしでなんて」 聞こえてくるのはバチバチと木が爆ぜる音、轟々と炎が渦巻く音、遠くで燃え尽きた木が倒れる音、そんなものだ。どちらかといえば、舞の邪魔になるような音ばかり。 「じゃあ何で雨を呼べねぇんだ?」 タスクが見上げた空は煙で灰色に曇っているが、時折見える切れ目からは青い空が静かに下界を見下ろしている。 「ん……正確すぎる……のかな?」 「正確すぎる?」 首を傾げたユイナの言葉を、鸚鵡返しにタスクが呟く。 それには答えず、カザイの少女は舞い続ける友人にゆっくりと歩み寄った。
無心に……というより型通りに舞うことだけに集中していたミオの意識が、一瞬にして崩れ去る。 「ええ?」 誰かに手首を捕まれ、力一杯引っ張られたのだ。 驚いて見てみれば、ユイナである。 舞うことに専念するあまり、近づいてきたのに気づかなかったのだ。 「ちょ……ユイナ?」 「んふふっ」 悪戯っぽく笑うと、ユイナは戸惑うミオの身体をぶんぶんと振り回すように踊りだす。舞なんていう、きちんとしたものではない。 もちろん、ユイナだって舞の呪法は心得ているはずなのだが。 「な、なにを……?」 ユイナに引きずられ、身体が泳ぐ。 「なにって、カミ様に雨を降らせてってお願いするんでしょ?」 「それはそうですけど……ひゃぁ」 長い領巾が脚に絡まり、バランスを崩して転びそうになる。 「ほら、な〜にやってるの? 踊らなきゃ!」 ミオの舞を邪魔する張本人が何を言っているのだ、ということを、ユイナは笑いながら口にする。 「雨を呼ぶんでしょ? 雨って何? 雨ってどんなもの? ミオは、雨をどう思う?」 「え……?」 思っても見なかった質問に、ミオは目をしばたたかせた。
雨は好きだ。 雨が降れば通りから人通りが絶える。 誰もいないまっすぐに延びる道に一人立ち、しとしとと降る雨に濡れそぼるあの感覚。 最初は確かに気持ちが悪い。 けれど衣服が完全に濡れ、水が肌まで届くようになると、不思議と雨と一体になるような、不思議な感じがするのだ。 広い広い大地に静かに降り続ける雨と一緒に、自分の五感までもが果てしなく広がっていくかのような。 そうすると、雨の音さえ自分の一部のように思えてくる。 しとしと、しとしと。 土に染みいる水のリズムが、自分自身の心音のように心地よく、やがて無意識の彼方へと去っていく。 自分一人だけという、心地よい孤独感。 恵みの雨の一部となるという、不思議な一体感。 そんな雨が……好きだ。
ミオは再び舞っていた。 静かで、厳かで、けれど先程までの異様な緊張感のない舞を。 いつのまにかユイナの手が離れていることも気づかず、ただ雨を思って舞う。 恵みの雨を。 優しい雨を。 清めの雨を。 『ミオーーーーーーーー』 天からの声が、彼女を呼ぶ。 ぽつり、と冷たい何かが頬を打った。 ぽつり、ぽつり。 見上げれば、山火事の煙よりもさらに厚く黒い雲が空を覆っていた。 ばらばらばら。 落ち来る水滴は見る間に増え、すぐに土砂降りとなった。 「………………あ」 天の恵みの前に、穢れの炎はあっけなかった。 四人が周囲を見回したときにはすでに鎮火し、今までの熱気が嘘のように凛と冷えた空気が彼等を包む。 「………………降った…………。 嘘……みたい……。本当に、降るなんて…………」 泣き笑いの表情で仲間を振り返ったミオの頬を、幾筋もの雨が流れる。 「あはははは! やったじゃん!」 まだ呆然とするミオの手をユイナはとってぶんぶんと振り回した。 「あははははは! おめでとう、ミオ!」 「すごいよ、こんなに降るなんて!」 「やったじゃねぇか!」 仲間達が笑ってくれている。祝福してくれている。 助かったという自分の保身よりも、友達が初めて術を使えた、そのことを祝ってくれている。 そんなことが、ひどくーー嬉しかった。 「ふふ……ははは」 「あははははは!」 何がそんなにおかしいのか。 笑い続けるユイナにつられるように、仲間の笑みに応えるように、ミオの頬もゆるんでくる。 「よかったじゃん、あはははは」 「う、うん……うん、ほんとに……ははは。 あははははははは」 真っ白な歯を見せて、ついにミオも大声で笑い始めた。 雨でびしょびしょになりながら、仲間達は心ゆくまで笑いあった。
|
|