山頂に出ると、いきなり視界が開けた。 平に均された山頂には、この山の神を祀るための祠と、その管理の為のものと思しき小屋がある。 本来であれば、神聖な広場であったろう。 今はその中央に真紅の毛皮の四足獣が、ときおり炎の息を吐きつつ、傲然と立っている。さらにミオの目にははっきりと穢れが渦巻いているのが見えた。 「あれは、妖(あやかし)……?」 鬼面の女が招いた穢れから生じたものであろう。 耳をつんざく咆哮が轟く。 「っ!」 たまらず耳を押さえた三人に、今度は静かな声が降ってくる。 「ははは。隙だらけだな。やはり祝(はふり)、怖るるにたらぬか」 「?!」 見ればいつのまにやら不遜にも祠の上に腰かける人影がある。その背後に従うは鬼面の女。 「おまえは……?」 半ば反射的に、タスクは問うた。 背後の女と同様、仮面で顔を隠す男。ただ、げに恐ろしげな女の鬼面と異なり、男のそれは楕円に見るための切れ込みを入れただけの、のっぺりとした面だ。 「スメラ様に『おまえ』などと……身の程を知るがよいぞ、ホヅキの小僧」 鬼女が怒色を顕わに、紅葉の枝を振りあげる。 それに反応するように赤毛の獣が姿勢を低く構えた。 「捨て置け、モミジ。 真の帝王が誰かも判らぬ輩に、礼儀を問うても仕方あるまい」 仮面の奥からくぐもった声が聞こえる。 まだ若い声を、無理に低く話して威厳を増そうとしているかのような。 「スメラ……本当にそうなのか? なんでこんなところに……」 さすがに、こんなところにクニの安寧を脅かすテロリストの親玉がいるとは想像の埒外だ。 「…………」 武器を握りなおすタスクの背後で、ミオは上目遣いにスメラを見た。 どこか怯えるような、それでいて探るような目。 「あ、あんまり勝てる気はしないけど……戦うっきゃない? よね、やっぱり?」 ユイナは小声で仲間に囁いた。 弓を持つ手が妙に汗ばんで、気持ちが悪い。 が、スメラの仮面の奥でかすかに笑う気配に、ふと腕の力が抜ける。 「安んぜよ。吾とて、小物と争うつもりはない」 浅く笑いながら、スメラは軽く手を挙げる。 心得たとばかりにモミジと呼ばれた鬼女は手にした紅葉を玉串のように振る。 応えて咆哮が轟き、獣は周囲の木々に炎を吐いた。 「な……っ!」 わざわざ争うつもりはないが、タスクたちを見逃してくれる気もないらしい。 下級神官など、炎に包まれて死ね。そういうことか。 「あ! あいつら、いなくなってる!」 妖が火を吐いたことに気を取られ、スメラたちが姿を消すのも気づかなかった。 これでは、小物と言われても仕方ない。 「それより、小屋の中を!」 妙に焦った声でミオが促す。 普通に聞けばそこにいるはずのカズトを案じているのだろうけれど。 「ああ!」 戸をやや乱暴に開けると、がらんとした小屋の内部、柱の一本に縛りつけられた少年の姿が見えた。 人の気配を察したのか上げた顔に驚きと喜びに彩られる。 「皆! 助けに来てくれたのかい?」 「おう! 無事だったか、カズト」 タスクは駆け寄ると、カズトを縛る縄を切った。 「ああ。僕は無事だ。 それにしてもよくここが判ったね?」 「ミオがな。カミ様に訊いてくれた。 それにしても、おまえをさらった連中はどこ行ったんだ?」 小屋の内にも外にもそられしき姿がなかったのだ。たしかに、先ほどまで人がいた名残は残っているのだが。 「さっきから……この世のものとは思えない吼え声が聞こえてるだろう? あれが聞こえだした途端に皆怖れて逃げてしまったんだ。 ……何が起こってるんだい?」 立ち上がったカズトはしばらく動かせなかった身体を解した。 思ったよりも冷静である。 「スメラが妖を放ってったんだ。 そうだ、あんまりゆっくりはしてらんねぇよな。奴を倒さねぇと」 「スメラが?」 カズトは驚いて、部屋の隅に放り出されていた自分の武器を手にする。ミオはその様子を少し戸惑った目で見ていた。
巨大が獣が火を吐きながら周囲を駆け回っている。 枯れ木や下草が盛大に燃えあがり、生木がぶすぶすと煙をあげている。その生木も、本格的に燃え始めるのは時間の問題だろう。 「う……」 視界を半ば遮るほどに充満する煙に口元を押さえ、炎の放つ眩い光に目を細める。 熱気は、そんな四人の肌に突き刺さった。 「とりあえず、ヤツを倒すぜ!」 武器も出さずに、タスクは炎獣の前に飛び出した。 その意図が判らぬ残る三人ではない。 炎を吐き、その火に触れても平然としている妖獣に、炎の槍が通用するはずがない。だから囮になっているのだ。 「ミオ、君は向こうを!」 「はい!」 短いやりとりでカズトとミオは散り、背後と側面から妖を斬りつける。二人の水の刀は案の定、炎の獣にはよく効いている。 獣と相対する三人の回りに、風が渦を巻くように現れ、飛んでくる火の粉から護る。ユイナの術だ。 何度目かの攻撃で、ミオの刀は右後肢の腱を切り、カズトは青緑色の腑が溢れるほどの手傷を負わせた。 が、同時に妖の爪がタスクの右太腿を抉る。 「ぐあっ!」 たまらず、タスクの身体がくずおれる。 「タスクっ!」 聞き慣れた声が悲鳴となってタスクの耳に響いた。 「………………っ」 怪物の顎戸(あぎと)が迫る。 熱い腐臭がそれを吸った喉を焼く。 黄色く汚れた牙が…… 「っ!」 ……目の前で閉じる。 「あれ?」 なんとも間の抜けた声をあげたタスクの目の前で、獣の巨体が倒れ、そしてぐずぐずと崩れ、灰になっていく。 「……大丈夫かい、タスク?」 崩壊していく巨躯の向こうに案じるような表情のカズトがいた。 その手の刀からはボタボタと青い体液が滴っている。 「あ……ああ」 頷いてからようやく、彼がとどめを刺してくれて助かったのだと気づいた。 「助かったぜ。ありがとな。 いや〜、マジで食われるかと思った」 ははは、と笑いながら立ち上がると、油断していた腹にどすっ! とものすごい衝撃が加えられる。 「おごっ!」 耐えきれず、再び倒れた。 「バカっ! 笑い事じゃないでしょ! ホントに死んじゃうかと思ったんだからぁ!」 泣きながら怒りつつ、ユイナにポコポコ頭を叩かれる。結構痛い。 「……ユイナ。それより、傷の手当てをしないと」 ミオは腰に巻いていた木綿の領巾(ひれ)を裂き、簡易の包帯としてタスクの脚に巻き始めた。 「それより、どう逃げるかだけれど……」 カズトが周囲を見回すが、辺り一面火の海でとても突っ切って逃げられそうにない。 「ねえ……ミナギリは術で雨を呼べるんでしょ?」 ユイナが風を招くように、水神に仕えるミナギリは水を操る術を学ぶ。その中でもっとも重要とされるのが、豊穣をもたらす招雨の術だ。 「……僕はまだ術を習い始めたばかりだから……」 カズトの目がもう一人のミナギリに向く。 それにつられるように、残る二人もその少女を見た。 「わ、私は…………」 術を使えぬ巫(めかんなぎ)として有名なミオは、じりじりと後に下がった。 「今度はうまくいくかもしれねぇじゃん。やるだけやってみろよ」 「ダメだったら、他の手段考えるし」 軽い口調のタスクも、ひょいと肩をすくめてみせたユイナも、ミオに余計なプレッシャーをかけまいとする彼等なりの気遣いを示している。 とはいえ、ではやってみますと言えないだけの強いコンプレックスがミオにはある。 「……でも…………」 カミに仕えるようになって初めて友達と呼んでもいいかもしれないと思えるようになった三人が、じっとミオを見つめている。 やらなければ。 自分がやらなければ彼等が死ぬ。 駄目だったら他の方法を探すと言っているけれど、そんなものがあるはずがない。特に脚を怪我したタスクは走るどころか歩くことも難儀なはずだ。 自分は幼かったあの日に死んでいたはずの身だ。死んでも惜しいとは思わない。 けれど、彼等は。 「………………やって、みます」 頷くことはできなかったけれど、ミオはそう答えた。
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