「う……」 ギシギシ痛む頭をもたげ、カズトは目を開いた。 「…………」 目の前に見慣れぬ顔が並んでいる。 「おぅ、若宮様のお目覚めじゃ」 一番近くにいた男が、カズトの動きに気づいて周りの連中に声をかける。 「ようやくか。ちぃっとばかし、薬が強く効きすぎたかいの?」 (……さっき、僕を襲った奴らか。 訛りからすると……西の地方の者達か?) 日が沈む西は、死に近しい方角とされている。 (だが……それを不吉というのもおかしいな、この僕が) 薬がまだ残っているのか、燻るような頭痛は残るものの、カズトは眠気を払うようにぐっと顔を上げた。 しばらく同じ姿勢をとらされた体もできれば動かしたかったが……後にまわされた手首に何かが食い込んだだけだった。 「君たちは……何者だ? 僕の身柄を確保したところで、君たちに益はないだろう。宮家は僕と縁を切ったとせいせいしているはずだし、ミナギリの総社も僕がいない方が楽だろうしね。体面を保つために、僕の身の安全な確保は望んでいるだろうけれど」 「自分の価値は自分がよ〜く分かっとるってか? じゃが、その半身に確かに流れる尊皇の血ぃは、旗印としては充分じゃけのぅ。 ほんで、残る半身に流れるわいらの血ぃは、縁として充分じゃ」 リーダー格らしい男が、カズトの正面にどかりと腰を据えた。 「……ああ、なるほど。 僕の祖母があなた方と同郷だと知ってのことなのか。 そして目的は……百年前、反乱を起こしたイズタカ親王を匿った罪を問われ、未だに苛政を敷かれる、その境遇からの脱却だね?」 「察しもええようじゃの」 牙をむく獣のような顔で、男は笑う。 「でも、僕はもう平民に降ってしまったし……」 「んなこたぁ関係ないんじゃ、宮。 重要なんは、あんたが今上帝の子じゃいうことと、あんたの祖母がイズタカ親王の曾孫ってことじゃ」 「…………」 カズトの瞳が男を探るように、静かに動く。 「さすがに、知らなんだろう? もちろん、判っとりゃぁいくら尊皇の気まぐれとはいえ、あんたの母親の入内なんざ、ありえん話だ。 これでも、わいらはこのために戦力を貯めてきたんでの。正面からじゃ無論勝てんが、奇襲をかけりゃ勝算もある。 あんたは、旗に収まるだけで尊皇に付けるんじゃ。悪い話じゃなかろうが?」 「見通しが甘いとしか言いようがないね。 そもそも、僕は尊皇になりたいとは思っていないんだけれど」 同じ声、同じ口調なのに、今のカズトを見ればタスクたちは驚いただろう。 その目や口元に、普段の穏和さが欠片もない。 別の誰かがカズトを演じているような。そんな、不自然さだった。
「本当にここなのか?」 ミオが受けた神託に従ってきたものの、山には賊が潜んでいるらしい気配はない。 もっとも、すぐにばれるようでは、賊として失格だろうけれど。 「ここって簡単に言うけど、この山けっこう広いよ〜」 山の広大さと同時に、道の険しさを思ってユイナが嘆く。 そして、もちろん道は一本だけではない。 「どう行けばいい?」 黙ったまま、無表情に山を見上げるミオに、タスクは訊ねる。 ざわりざわりと騒ぐ木々の声を聞き、白い指が一方を指さす。 「こっちだな!」 「あ、ちょっと待ってよ〜!」 やや性急ともいえる足取りで、タスクは山道を登りはじめた。
いつになく冷たい笑みを浮かべたカズトに、賊の首領が厳つい顔をぐっと近づける。 「やけどな、若。あんたに選択肢がいくつあるぅ思う? わいらに協力するか、死か」 やや臭い息にカズトは眉をしかめたが、首領は構わず続けた。 「どっちを選ぶ?」 脅しのつもりか、後に控える若い男がチン、と刀を鳴らした。 「短気は損気、というよね。 僕はおまえ達に利用されるつもりはないよ。 そもそも、高貴な血筋たる僕が、どうして下衆なる貴様達の言いなりになる必要がある?」 軽く顎をあげ、挑発的にカズトは言い放つ。 「なにっ?!」 絶対拒否の言葉と受け取った賊達は、秘密保持と次の作戦を迅速に進めるため、カズトの首を落とそうと刀を抜き…… ギィィィン! 弾かれ、賊の首領の首筋に、水の刃が添えられた。 つぅと、ほんの一筋の血が流れる。 「動くこと、許さぬ」 口調が、変わった。 「………………な?」 理解できないというふうに、男達は動きを止める。 元親王の武器は奪っていたはずだ。もちろん、腕は後に回して縛っていた。 反撃できるはずがないのだ。 それなのに、現にこうしてミナギリの神聖武器を持ち、自由な手で彼等の首領を人質に押さえている。 「汝(うぬ)ら、吾に使われるべきもの。まずはそれを、理解せよ」 誰よりも気高く、誰よりも傲慢に、誰よりも冷徹に、少年は言い放つ。 これは誰だと、その場にいた全員が思う。 今まで彼等が会話していた、人のよい元皇族ではありえない。 同じ姿、同じ声でありながら、それよりもっと奥の、根本の部分が異なっている。 ここにいるのは、何者なのか。 「武具を納めよ。頭が高い」 郷里では猛者でしられるだろう男達が、自分たちより小柄で華奢な少年の言葉に逆らえず、諾々と頭を垂れる。 逆らうことができないのだ。 頭ではどう思おうと、身体が逆らうことを許さない。 あるいは本能、魂といった人間の根元がこの少年に従うことを強いているのか。 「これは、思わぬところで手勢ができた。 さて…………」 言葉を句切る。二十人に満たない男達の皇帝として君臨するカズトは、己の足下を……微かに揺らめく自分自身の影を見つめた。 「……あの三人がここを見つけた? タマユラヒメが力を貸したか? まぁよい。そうだな……では」 カズトがすっと目を細めた。
鬱蒼とした山の中を、獣が長年踏みしめて作り出した道を、三人は黙々と歩いていた。 もちろん、周囲への警戒は怠っていない。 本当にここがカズトを誘拐し、朝廷への反逆を目論む一団の拠点ならば、どこに伏兵が潜んでいるかわからないのだ。 「…………?」 ぞくりと身を震わせ、ミオが立ち止まる。 「大丈夫?」 急峻というほどではないけれど、山道は険しい。見るからに華奢なミオには辛いだろうと、彼女よりはタフにできているユイナが声をかける。 「あ、疲れたのではなくて……。 山頂近くに、濃い穢れの気配が現れました……」 彼女が言い終わると同時に、空を埋め尽くすほどに、鳥の群が凄まじい勢いで飛び去っていった。さらには樹上を栗鼠が跳ね、鹿が猪が下草を押し倒しながら怒濤の如く山を降っていく。 ヒトを恐れる気配もない。 人間という最大の敵よりも、もっとずっと畏れるべきものから逃げているような。 「まさか……」 文字通り猪突猛進する猪を避け、その後姿を見送った目で山頂を見上げ、タスクは言葉を失う。 山頂近く、少々突き出た岩の上に、見覚えのある女の姿があったのだ。 遠目に鬼面は確認できないが、唐紅に燃えあがるような衣、艶やかな立ち姿、そして見るものを故なき恐怖に陥れる禍々しさ。 見間違えるはずもない。 「ねえ、あれって、前にタスクが言ってた鬼面の女?」 幼なじみの問いに、タスクは黙って頷いた。 鬼女はおののく若者たちを揶揄するようにふわりと一差し舞い、その姿を消した。 「くそ……。こんな山の中までスメラは……」 「…………。 急ぎましょう。カズト様の無事を確認しなければなりません」 「お、おう! そうだな。穢れに巻き込まれたらまずいからな!」 慌てて山道を駆けあがり始めたタスクとユイナの後姿を追うミオの顔には、明らかに迷いがあった。
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