タスクは自宅からホヅキの総社に通っている。 仕える神への日々の勤め、術や武芸の鍛錬、街の治安維持と、やることは多い。 カズトの歓迎会から数日、タスクは毎日のように社に出向き、日々の仕事をこなしていた。 この日も、境内に入ってすぐの場所で身を清め、心身共に仕事モードに切り替えたところで、近くで同じように身を清めていた先輩祝(はふり)の声が聞こえてきた。 「聞いたか? 未明にミナギリの総社が賊に襲われたらしい」 「本当か? 社を襲ってなんになる? うちほどじゃなくても、あそこには猛者が多い。宝物があるといってもそんな危険を冒して襲撃する意味など……」 手ぬぐいで顔や手を拭く手を止め、タスクはその会話に全神経を集中させる。 神の家である社が賊に狙われたことは、神職として問題に思う。けれどそれ以上に、一人の少年として、そこにいるはずの友人たちの安否が気がかりだった。 「いやそれが、金品も呪物の類も何も盗られてはいないそうだ」 「は? なんだ、そりゃ? 全員、その場で捕まえたのか?」 「いや、二人ほど捕まえたが、捕まえたヤツは自害したそうだ。逃げた賊は五、六人らしい。 ……何も盗られてないわりには、ミナギリはやけに大きな討伐隊を組織してるらしいぜ」 「面子のためだけにしちゃ……妙だな」 「まあ、こちらに正式な協力要請がないかぎり、手は出せないが……ホヅキも気をつけないとな。 もっとも攻撃に特化した我々が賊に襲われたとなっては、話にならん」 話ながら、その二人は去っていく。 「…………まさか」 とてつもなく、嫌な予感がする。 タスクは手の中の手ぬぐいを力一杯握りしめた。
火事場のような騒ぎになっているミナギリの総社の境内を、タスクとユイナは知った顔を探して駆けた。 「あ! タスク、あそこ!」 ユイナが幼なじみの袖をぐいっとひっぱり、一方向を指さす。 見れば、額と左腕に止血のための布を巻いたミオが座っている。 「ミオ!」 駆け寄ると、呼ばれた少女は強ばった顔を上げた。 「大丈夫?」 「……私は。 けれど、カズト様が…………」 「まさか、攫われたのか?」 タスクの問いに、ミオは黙って頷いた。 「じゃあ、その賊の目的は……」 端から金目のものではなく、呪術に必要なものでもなく、皇族の血だったのだ。 「……で? 賊の隠れ家は判ってるのか? 物々しく戦う準備をしてるみたいだが」 「いえ……。今も情報を集めている最中のようです。 捕らえて死んだ賊も、その身元を明らかにするようなものは持っていなかったそうですし」 「ミオは? 行かなくていいの? まあ、怪我してるから無理はできないけど……」 それほど酷い怪我には見えなかったので、ユイナは気軽に聞いてみた。 「……私は捜索隊から外されました。カズト様が拉致されたのは、私の責任と見ている方々もいます。私が一緒にいたから、カズト様を守れなかったのだと」 だから、捜索にも加わらせないということか。 「そんな! 言いがかりじゃない!」 憤然とするユイナを軽く押さえ、タスクはミオの目をじっと見た。 「……なあ、ミオ。俺達さ、おまえやカズトになんかあったら力になろうと思って、ここに来たんだ。二人とも、今日一日の緊急休暇って形で、上司の許可はとってある。カズトの事情を話したら、許してくれた。 俺達も、ミナギリじゃない以上、正式な捜索隊には参加できない。協力の要請がねぇからな。でも、俺達は探しに行くつもりだ」 少年の目線から逃げようとする少女の目が、それでもタスクに応えるように、逃げず、見つめかえしてくる。 「……おまえは、どうする?」 「おいでよ。一緒に、カズトを助けに行こう?」 そして優しく差し伸べられる、ユイナの手。 「………………」 楽しいことでも、辛いことでも。 ミオを誘うものなど、この数年いなかった。 どれだけ努力しても思い詰めても、彼女に成果はついてこず、失敗ばかりを重ね……。神の声を聞いたというミオに勝手に期待した人間達は、同じように勝手に失望し、無用な者と誹り、あげくは嘘つきとなじった。 人々はミオに背を向け、ミオは思い詰めるあまり人々から目を背けた。 けれど、この二人は、カズトもミオも友人だからと、それだけの理由で先日のパーティに誘った。そして今もまた、その友人を助けるために力を合わせようと言っている。 過剰な期待はなく、無責任に嘱望するでなく。 あくまでも対等な一人の仲間として、ミオの微力を求めている。 「……はい」 ミオは、その手を取った。 「うん! じゃあ、一緒に頑張ろう!」 「おし! 気合い入れてこうぜ!」 裏表のない笑顔がミオを迎える。 「……で、どうしようか? 地道に聞き込みする?」 未明の事件とはいえ、誰かカズトを連れ去る賊を目撃した人がいるかもしれない。 だが。 「それなら、正規の捜索隊だってやってんじゃねえか? 同じことをしてたら、絶対に追いつけねえだろ?」 「う〜ん……」 幼なじみコンビは腕を組んで揃って唸りだした。 「………………。 あの……確実ではないんですけど。こっちに……来てください」 ミオは境内の奥に向かって歩きだす。 不思議そうに顔を見合わせてから、タスクとユイナもその後に続いた。 しばらく歩いて、ミナギリの少女が立ち止まったところで、二人はそれを見上げた。 「これ……?」 青々と葉を茂らせた、榊の神木である。 境内に榊はいくらでも生えているが、この木は年に数度の特に重要な祭祀の折りに使われる玉串を作るときにしかその枝を切らない、ミナギリの総社で最も神聖な木であった。 「どうするの?」 ユイナの問いには答えず、ミオは榊の枝に触れた。 彼女の身体が淡い光に包まれる。 「!」 いくら神木でも、触れた者の身体が発光するなど、聞いたことがない。 その光が、ゆらゆらと揺らめいている様は、神職である二人の目から見ても異常なことであり、異界の出来事であった。 「……そうか」 「え?」 合点したというようなタスクのつぶやきに、ユイナが顔を上げる。 「カミと話しているんだ」 神を降ろすとき、巫(かんなぎ)は榊の枝を手に祈る。 榊はカミが好むものであり、カミが宿るものだからだ。 まして、これほどの霊木ならば、木霊(こだま)もいるだろう。 カミは空間を超えて繋がっている。遠くの木霊や山のカミともリンクしていると言われているのだ。 「そっか……。カズトの近くに木霊の宿る木があれば、答えてもらえる」 あるいは、山神のおわす山か。 なんにせよ、常人にはない能力なのは間違いがない。 が、そうなると逆に疑問も生じる。 「これでなんで……術が使えないんだろうな」 「そうだね。それだけカミに近いはずなのに」 囁く二人の目の前で、ミオを包んでいた光が消える。 「……私は、カミの声が聞こえるだけですから」 ぽつりと呟いて、振り返ったミオの顔からは、いつにもまして表情が消えている。 少々気遣いの足りない台詞だったかと、タスクとミオは中途半端な笑みでごまかした。 「方角はここより西……とぐろを巻く蛇のような形をした岩と……紺青色の三段の滝がある山です」 「その条件にあう山ってーと……カガチ山か?」 「そうだね。あの山は一方が崖になってて大勢では攻めにくいし、カズトを隠して潜伏するにはちょうどいいかも」 都から近く、蛇の姿をした山神が住むということで、タスクがピンと来るくらいには有名な山である。 「では……行きますか?」 未だ神木に触れたまま、ミオが問う。 「もちろんだ!」 力強くタスクが答え、ユイナが頷く。 榊の大木がさわりと揺れた。
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