昼前から騒ぎだし、片づけを終えて帰路についたのはもう夕刻だった。 洗い物は女の子たち、部屋の掃除は男の子たちがやった。 クレハは不服そうだったが、カズトも一緒に掃除をしていた。いかにも慣れないことをしている手つきではあったけれど。 今日一日、等しく友人として時を共有したのだから、最後までそれを貫きたいという、カズトらしい意見にクレハも黙ったのだ。タスクたちも、もちろん異論は挟まなかった。そういうことを通じて、さらに絆は結ばれる、そう思うから。 さすがに帰り道に何かあってはいけないので、タスクとユイナもミナギリの総社まで送っていくことにした。 カズトの『今日は楽しかった』の一言に、二人とも満足げに笑っていた。 「今度はお弁当持って、近くの山か川まで行きたいね。 あ、ミオも来てよ?」 「え? あ、はい……じゃなくて……う、うん……」 ユイナに軽く睨まれて、ミオは慌てて言い直した。 「じゃあさ、ミオはどっちがいい? 山と川と? 今日はカズトのための歓迎会だったから、次はミオの希望を聞こうかなって思ったんだけど」 「えっと……その……か、川……」 どっちでもいい、という答えは許されそうにない雰囲気だった。 「そっか。やっぱ、ミナギリだもんね。川の方が親しみやすいよね。 じゃあ、カズトもそれでいい?」 「ああ、僕はそれで構わないよ。 それより、君たちこそ仕事の都合は大丈夫かい?」 カズトはお飾りの役職だが、タスクやユイナは職務や勉強にけっこう忙しいはずだ。 「おう、気にするな」 「若いんだから、遊ぶことも大事にしないとね! あ、ミオは大丈夫?」 「平気……」 ミオはカズトの側仕えという役目をいただいて以来、他の職務からは外されている。〈偽巫(にせかんなぎ)〉の術式の失敗に悩まされていた人々は、密かにカズトに感謝をしていることだろう。 「そっかそか。ならいいよね」 「なあユイナ。それはいいかもしれんが、さっきからミオ、単語しか話してねえぞ」 「え?」 一日、ミオはユイナに敬語を禁じられていたものの、まだ『〜よ』とか『〜なのよ』などの語尾がつけられないので、会話がすべて体言止めになっているのである。 自分の勢いで話しているユイナは、気にしていなかったようだが。 瞬くユイナに、カズトは微かな苦笑を浮かべた。 「そうだね。僕もちょっと気になっていたんだ。 僕も君たちに敬語はやめて欲しいと頼んだけれど、会話にならないなら……自然に話せる口調が一番いいんじゃないかな。 いや、実をいうと、僕も一度、ミオには敬語をやめてくれないかと頼んだんだけれど、彼女は聞いてくれなかったし」 元若宮が軽く肩をすくめる。 その横で、ミナギリの若い神官が俯いた。 「あの……すみません」 「いや、いいんだよ。無理強いはしたくないからね。 それに考えてみれば、総社の幹部に聞かれるかもしれない場で、僕に敬語を使わないわけにはいかないだろうしね」 カズトが微笑む。 ミオが安心してみていられる、本当に優しい笑みだ。 「う〜ん、じゃあ、仕方ないか〜。 ミオ、ごめんね? 無理させるつもりはなかったんだけど……。やりやすいように話してくれたらいいから、これからもよろしくね?」 「あ、はい……。よろしく、お願いします」 ユイナがにこりと笑い、ミオが生真面目に頭を下げる。 「んじゃさ、また計画決まったら連絡するぜ。 今日は来てくれてありがとな」 「いや、僕こそ楽しかったよ。ありがとう」 気づけば、もうミナギリの総社前だ。 別れを告げ、境内に戻っていくカズトとミオの後ろ姿を見送って、タスクとミオも帰路についた。 「今日はいい一日だったね、タスク」 「だな。なんか……忘れちまいそうだな」 「何を?」 ユイナは首を傾げて幼なじみを見上げた。 「スメラとか、西土の噂とか……。 俺達の、毎日の勤めを果たして、たまにダチと思いっきり騒いで。そういうさ、あたりまえで、ちょっと幸せなことを崩しちまう、そういう奴らがいるってこと。 治安の維持は仕事だからマジに忘れるこたぁねぇけど、なんつーかさ、心の底から楽しんでるときって、いちいちそんなこと考えねえだろ?」 「そりゃまあ……。 でも、それは別に悪いことじゃないでしょ。あたしらの器はそんなに広くないんだしさ。楽しむときは楽しむ、仕事するときは仕事する。 それでいいんじゃない。どうしたの、いきなり? らしくないよ?」 ユイナはタスクの正面に回った。 見上げれば、見慣れた顔がそこにある。 どこか変わったろうか。いや、変わっていないはずだ。それとも、変わって欲しくないと思っているのは、ユイナの方だろうか。 「ん、ああ。そうなんだ。いいんだよな、それで。 ただ……奴らには、そういう時間はねえのかなって思ってな。ずっと……次はどう他人の生活を害そうか、なんて考えてるのかな……って思ったら、やりきれなくね?」 「そうすることが目的だから、辛くはないんじゃないの? どうしたの? なんか今日、変だよ?」 「……いや。 ああ、気にするな。なんかちょっとそんなことを思っただけだ。 明日も仕事だし、とっとと帰って休もうぜ」 「うん、そうだね」 ほんの少し、歩調を早めた。 夕暮れの中から、夜の闇が迫ってきていた。
古い紙の匂いと、埃っぽさが漂う室内。 たまにコトとかカタという微かな物音が聞こえるだけの静かな部屋に、ミオはいた。 昨日のパーティの騒がしさが、今はもう遠い。そしてこの静けさの方が自分には相応しいと、彼女は思う。 「………………」 ぱらぱらとページをめくり、ミオは本を棚に戻した。 ここはミナギリ総社の資料室である。 彼女がいるのは、百年前の記録を集めた棚である。 次の本を出そうとして、その手がふと止まる。 (これは……) 丁寧に和綴じされたその綴じ目に、若干の違和感を覚える。 ひっくり返し、やや本を丸めて、小口の紙をずらしてみる。 (…………やはり……) 数枚だけ、紙の変色具合が違う。ほんのわずかな差だが、違いは違いだ。 綴じ目がどこかおかしいと感じたのは、一度閉じられたものを開き、数枚を追加、あるいは差し替えて閉じ直したからだ。 問題の箇所は新たな尊皇が立ち、それに伴い東宮も立てられた、という話だ。東宮は第二皇子だが、第一皇子は母親の身分が低く、立坊ならなかったとのこと。 文章の流れからして、新たに追加されたのではなく、差し替えられたものだろう。文字もよく似せてあるが、若干癖が違う。別の筆者によるものだ。 その次の本には、第一皇子が帝位を求めて乱を起こしたとある。その名は、イズタカ親王。 彼女はこの前に、百年前の宮家の資料に目を通している。 実はここにも、改ざんされた形跡があった。 どれもその気になって見なければ気づかないほどの痕跡だが、そのどれもがイズタカ親王を中心になされている。 おそらくはかの親王が謀反を起こした後に、それ以前の記録に手をつけたからこうなったのだろう。けれど何故、わざわざ書き換える必要があるのか。 それも、その存在を徹底的に否定するような抹消ではなく、中途半端な嘘でごまかすようなやり方をしている。 もっとも都合の悪い部分だけを隠し、それ以外は事実を見せる。 たしかに、嘘のつき方としては上手いやり方だ。 すべてが嘘では、かえって人は騙されない。 イズタカ親王の素性は、それほどまでにこのクニの中枢にとって癌なのか。 (私は、この嘘に気づかなければならなかったということ。 そうなのですね? タマユラヒメノカミ様。そう、『彼』のために……) 先日、イズタカ親王の話題が出たときに感じた違和感。 あれは、イズタカ親王について調べよという、神からの啓示であったと、ミオは解釈している。 まだ真実が判ったわけではない。 だが、大きな前進のはずだ。
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