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Fantasy@Earth2 幸せの住処 作者:黒木美夜

第8回   体育の時間
「あ!」
 更衣室へ向かう途中、風歌が大声を上げた。
「どうしたの?」
「えへへ。体操服、忘れて来ちゃった」
 苦笑を浮かべる風歌。そんな顔も可愛いが、体操服なしでは次の体育の授業が受けられない。
「ええ〜!?」
「早くとっておいでよ。……っていうか、一緒に行こうか?」
 まだ校内に不案内な風歌を気遣って、梓が同行を申し出る。
「ううん、だいじょぶ! 何とかなるよ! 迷ったら、人に聞くし」
「そう?」
「うん! じゃ後でね!」
 不安そうな梓を尻目に、風歌は元気よく、どこか幼児のような走り方で教室へと戻っていった。

「あう〜。やっぱり迷っちゃった……」
 誰かに聞けばいいと気楽に思っていたが、どういうわけか廊下に人の姿はない。
「ええと……」
「……どうなさいました?」
「ひゃっ!
 ……ああ……、たしか……」
「更科由利亜ですわ」
 風歌に声をかけてきた生徒会長は、婉然と微笑んだ。
 同時に、何やら甘い香りが周囲に広がる。
「あの……更衣室……」
 ちょっと腰が引け気味に、それでも風歌は勇気を奮い起こして訊ねた。
「……案内してあげましょうか?」
 提案の声は優しげで、風歌も昨日会ったときに怯えたことなど忘れ、思わず頷いていた。
「え? いいの?
 ……っ!」
 だが、由利亜の目を見て、その表情が恐怖に固まる。
 何が怖いのか自分でも判らないが、それでも風歌は猛烈に由利亜が怖かった。
「でも……いい。教えてくれるだけで、いいから」
 数センチ、足をズリズリと後に下げつつ、蛇に睨まれた蛙のように硬直している。
「……そう。そこの階段を下りて、廊下を右に行けば更衣室ですわ」
「あ、ありがとう!」
 ふぅっと由利亜の視線が外れ、風歌は逃げるように示された方向へと走った。

 ばたん!
 激しく扉が開かれ、閉じる。
「遅かったじゃない、風歌。……どうしたの?」
 すっかり着替え終わった梓達は、風歌の到着を待っていてくれたらしい。
「怖い……あたし、あの人……怖いよ……」
 ガタガタと震える風歌の姿に、梓達は驚いて顔を見合わせた。

「……落ち着いた?」
 一番遅れてグラウンド三周を走り終えた風歌に、梓は話しかけた。
 風歌は、走るのは幼児走りで驚くほど遅いのだが、不思議と息は乱れていない。手を抜いて走っているわけではなさそうなのだが。対する梓は実はかなり息も絶え絶えだ。元々体育は苦手な上に、持久力がまるでないのである。
「……うん」
 もう風歌の顔に恐怖はない。多少の不安は残っているようだけれど、人の話は聞けるようだ。
「何があったの?」
「ゆりひめ……って皆が呼んでた人、あの人に会ったの。最初は平気だったんだけど、目を見たら……怖くて」
 ゆるゆると揺れる瞳で梓を見上げてくる。
 あまりに可愛くて、仔犬や仔猫を見たときのような感覚に襲われるが、梓は理性を総動員して冷静を保った。
「別に、ひどいことされたわけじゃ、ないんでしょ?」
「そうだけど……」
 話しながら、列に加わる。
 今体育では走り高跳びをしている。背面で飛ぶのだが、梓はこれがまた苦手だった。身体をうまくねじれないのである。
「気のせいだよ、百合姫は誰にでも優しいっていうし。風歌をいじめたりしないって。ね?」
「うん……」
 おずおずと風歌は頷いたが、納得したわけではなさそうだ。
「次、吉永!」
「あ、はい!」
 いつのまにか順番が回ってきていたらしい。教師に怒られて、梓は助走を始めた。
 バーの近くまで勢いよく走り……跳ぶ!
 ボスン!
「ぎゃん!」
 途中で引っかけたバーが、マットに沈んだ梓の上に落ちてくる。
「何やっても苦手みたいだな、吉永は」
「うう〜、すいません……」
 苦笑を浮かべる教師に反論できない。
 梓はもそもそとマットから降りた。
「次、え〜と、羽鳥、だったか?」
「は〜い」
 元気よく返事した風歌は、教師が直したバーに向かって駆ける。やはりポテポテとした走り方なので、助走の勢いは期待できそうにない。
 だが、意外にも彼女は軽々とバーを飛び越えた。身長の低さを考えれば、かなりの跳躍力だ。
 そしてマットに落ちる。
 彼女を受け止めたマットは、ほとんど沈まない。いくら風歌が小柄でも、体重や落下の勢いを考えれば、もう少し沈んでも良さそうなものだが。
「えへへ〜」
 飛べたことが嬉しかったのか、笑顔でマットから降りる。
「すごいじゃない!」
「そう? すごい?」
 梓に誉められた風歌は、口の前で両手の指先を軽く絡ませ、うふふと笑い、照れくささを正直に表現している。
「運動神経、いいんだねえ。走るの遅いから、駄目なのかと思ったけど」
「えへへ。走ること、あんまりなかったから」
 急ぐときは飛んでいたなど、口が裂けても言えないが。
「ふぅん? なんにせよ、楽しそうだからよかったよ。
 他の授業中、なんか拷問受けてるみたいな顔してるから」
「あ、心配かけてる? ごめんね?」
「いいのいいの。心配するのも友達の特権。ね?」
「うん!」
 梓が少々不器用なウインクをしてみせると、風歌は甘える仔猫のように体をすり寄せた。
「そこ! サボらない!」
「わ! すみませ〜ん!」
 教師に怒られ、慌てて列に戻る。
 そして、二人は顔を見合わせてくすくすと笑いあった。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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