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Fantasy@Earth2 幸せの住処 作者:黒木美夜

第6回   物語世界<ヘイヴァニア>
****ヘイヴァニア***********************

 目を開けると、木の天井が見えた。
「ここは……?」
 身体を起こす。予想したような目眩や頭痛は起こらなかった。
 起きたのは、十七、十八歳の少年だ。民族によっては成人と見なされる年齢でもある。抜けるような白い肌に上品な顔立ち。彼を十人に見せれば十人が『綺麗だ』と評するであろう。
 だが、笑えばどんな女性でも籠絡できそうなその顔に、今は深い苦悩が刻まれている。
「…………」
 少年は、自分の身体を確認し、小さく眉をひそめた。
 左足が折れている。他にも裂傷がいくつか。適切な処置がなされているから、すぐに治るだろうけれど。
 改めて、室内を見回す。
 低い天井に狭い室内。まるで牢獄のようだと、彼は思った。
 けれど牢獄とは違い、部屋も、彼が寝ていた布団も清潔そうだ。
「誰かに……助けられたのか」
 よく見ると、彼が寝ていた寝台も小さい。よほど小柄な人物の部屋……子供のための部屋だろうか。
 助けられたのは、幸運と考えるべきだろう。彼は、捨てられたのだから。故郷より遥か遠く、知り合いのいない土地に、無一文・着の身着のままで。
 けれど、彼はその幸運を感謝する気はなかった。
「いまさら……何を得たところで……。
 僕は……死んだ人間なのだから」
 すべてを諦めた口調で、呟く。
 聞く者がいないのにわざわざ声に出したのは、ただの独り言か、それとも己に言い聞かせるためか。
「!」
 人の気配がする。
 どんな心理状態でも、幼い頃から叩きこまれた感覚は変わらず働いていることに、彼は自嘲の笑みを浮かべる。
 近づいているのは、小柄な女だ。まだ子供だろう。それも、鍛錬などしたことのないと思われる動き。警戒するほどではない。
 もっとも、鍛錬などに関わりなく、恐ろしい力を持った相手がいることは判っているが……ほとんどのことなら、対応できる自信が彼にはあった。もし対応しきれずに死んだとしても、それはそれで惜しくない。
 そんなことを考えていると、建付の悪い扉を開き、女の子が一人入ってくる。
 やはり小柄で、ただし想像していたのとは違い、成長期の過ぎた少女を、そのまま一割五分ほど縮小したような印象だ。小柄なのだが、頭身はさほど低くないのである。
「あ! 気がついた? よかった〜。ずっと目を覚まさないから、心配してたんだよ?」
 首をかしげる様が小動物を思わせる、可愛い部類に入る少女だ。少年に言わせれば、よく焼けた肌は美とはほど遠いし、物腰には礼儀作法の欠片もないのだが。
「あたし、ラクパ・シェエっていうの。略してラクシェって、呼んで?
 それで、あなたのお名前は?」
 少女にしてみれば、それは当然の問いだったろう。けれど、今、少年にとっては都合の悪い質問の一つだった。
「……覚えていないな」
「え?」
「覚えていない、と言ったんだ」
 ことさらに素っ気なく言うのは、罪悪感があるからだろう。本当に覚えていないのなら、もっと戸惑うはずだ。
「記憶喪失、というのを聞いたことがないか?」
 自分で記憶喪失を主張する、記憶喪失者も珍しい。自分でそう思いつつも、目の前の少女の無理解ぶりを見ていると、仕方がないと思う。
「ん〜、ないよ!」
 明るくきっぱり言い放つラクシェに、少年は軽い頭痛を覚えた。
(だが……仕方ないか。帝国の影響力の及ぶ、もっとも辺境のはずだ)
 辺境に来たのは初めてだが、話にはいろいろと聞いている。ものを手づかみで食べるだとか、病気を呪術で治すだとか。そういところでは無論教育のための施設もなく、読み書きもできない住人が大半だとか。
 そんな少年の心のつぶやきなど知らぬげに、ラクシェはいいことを思いついたように、にっこりと笑った。
「ね! 名前、ないと不便でしょ? あたしが付けて、いい?」
「!」
 ラクシェがきゅっと少年に身を寄せる。彼女にしてみれば、何気ない仕草だったのだろうが、少年は弾けたように身体を引き離した。
「! ……っつう…………」
 傷が痛む。さすがに、開いたりはしていないようだが。
「…………あ、ごめんね?
 それで、どうかな?」
 少年の動きにしばし考え込んだ少女は身体の位置を元に戻すと、殊更に大きな笑顔を見せ、何事もなかったように続けた。
「名前、つけていい?」
「ああ……」
 どうせ仮の名だから、変な名前を付けられてもかまうまい、と少年は承諾した。
「ん〜と、じゃあねじゃあね……。
 ツォナム! ツォナムでどう?」
「ツォナム?」
「そ! ツォは湖で、ナムは空! あなたを拾ったの、村の人たちが『天空の湖』って呼んでる所なんだ。だから、ツォナム。どう?」
「ああ……それでいい」
 ツォナムと名付けられた少年は、他人のことのような口調でそう言った。
(どうせ……今更名前など、記号に過ぎないし……)
「! いっけない! ラトさん、あなたが目を覚ましたら呼んでって言ってたのに! ちょっと待っててね!」
 ぽてぽてという擬音語が付きそうな、バランスの悪い走り方でラクシェは部屋を出て行く。
「ふう……」
 女といるのは、どうも落ち着かない。ひとえに、子供の頃から男女を同席させない、厳しい倫理観を持つ一族の中で育ったからだが。
 これで、もし『ラト』という人物まで女なら……。
「あら、元気そうね。安心したわ」
「…………」
 女だったようだ。
「あら、なにか不満がありそうな顔ね? 見たところ、あなたは帝国の人のようだし、『女ごとき』に自分の身体を任せるのは不安かもしれないけれど、この村には……というより、この近辺には私しか医者はいないのよ。
 ああ、安心して。呪術で治そうっていうわけじゃないから」
 その女医は燃えるような長い赤毛の持ち主で、ラクシェと異なり、小さくはない。ツォナムの一族の女性と変わらない体格の持ち主だ。それに白い肌も。
「ラクシェちゃん、ちょっと、サルケの薬草を探してきてくれない?」
「え? いいよ! サルケだね?」
 女医の頼みを快く引き受けると、ラクシェは相変わらずな足取りで去っていった。
「さて、もう判っているだろうけれど、私は『ラト』って名のってるわ。『ツォナム』くん」
「…………」
 ラトが言葉に含みを持たせているのには気づいていたが、ツォナムはあえて無視を決めた。
「ここはあの子……ラクシェの家よ。私の家でもよかったんだけど、部屋がなくてね。ここならラクシェの『家族だった』人たちの部屋もあるから」
 ラトは診察するでもなく、やや楽しげにツォナムを見つめた。
「あなたの『記憶喪失』は、私にはどうにもならないわ。それをどうにかできるのは、あなただけ」
「……僕は……半身を亡くした。肉体の半分を失って、生きていられる人間はいないだろう。だから僕は……死者だ。
 死者に、過去の記憶などいらない。ただ人知れず朽ちて、誰からも忘れ去られる……それだけだ」
 ツォナムはラトと顔を合わせずに、まっすぐに無限の彼方を見つめて呟いた。
 その様子に、ラトは苦笑とともにため息を漏らす。
「まあ、いいわ。どっちみち、しばらくここにいることになるでしょう? その足で、山を下りるのは無理だものね。高山病の危険もあるし……。
 でね、治療費代わりの私のお願い。
 ここにいる間だけでいいの。あの子の家族になってあげて。あの子はこの家に一人で住んでる。それに……村を見て回ればどうせ判るから言うけど、ラクシェはこの村では禁忌に等しいほどに忌避されているの。私が来てからは、私があの子の面倒を見ているから、露骨な嫌がらせはされていないみたいだけれど、それでもあの子には居場所が少ないのよ」
「…………家族……とはいかないが。嫌う理由がなければ、嫌うつもりはない」
「そう? じゃあ、お願いね」
 ラトは柔らかく微笑んだ。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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