がちゃりと扉が開いて、小さな少女が入ってくる。 「ツォナム?」 「風歌……。ここでは克樹と呼べ。おまえも、ラクシェという名が知れると面倒だろう」 それよりどうだ、様子は?」 ソファに座り、風歌を待っていたのは、昨日梓が見かけた少年だが、風歌はそんなことは知らない。 「ん〜。なんか、怖い人はいたよ。でも怖いってだけで事件に関係あるかどうか、判んない。 それより、授業とか、全然解んなくて。あのすーがくっていうの、聞いてると頭痛くなってくるよぅ。やっぱ、結花ちゃんに変わってもらった方がよかったんじゃない?」 「仕方ないだろ。あの人は今別件で……。問題の『絵』を集めるのは、芽衣さんじゃないと無理だし、彼女のサポートをするにはこの世界の常識が必要だ。それこそ、おまえには無理だろう。今は人手が足りないから、我慢しろ。だいたい、今はまだ調査段階だ。戦力として使える人は、それ相応の任務に就いている。僕たちはここで起きている事件の実態を調べ……」 「ああ〜、判った、判ったよ」 淀みなく話し続ける克樹を両手を振って制止し、風歌も向かいのソファに座った。 「それはともかくさぁ、何の用? 一応夜には経過報告のためにそっちに行くことになってるんだし」 「ああ、芽衣さんから送られてきたものがあるんだ。夜渡そうかとも思ったんだが、万が一、今日中に危険に巻き込まれる可能性だってある。まだ休み時間はあるんだろう? 聖良さんにも渡してくれないか?」 そう言って克樹が取りだしたのはなにやらびっしりと彫り込まれたヘアピンである。 「これは? 芽衣さんが用意したなら、魔法の品物なんだろうけど。何ができるの、これ?」 風歌は何の抵抗もなく、ゲームや漫画の話ではなく現実の事柄として、『魔法』を語っている。それに対する克樹も、笑いだすでも相手の常識を疑うでもなく、平然と受け止めている。普通ではあり得ない。 「それを、このあたりに着けるんだ」 克樹は自分の耳の上あたりをとんとんと叩いた。そこには風歌に渡したものと同じものがある。 「えっと……こう?」 (……僕の声が聞こえるか?) 「わっ!」 克樹は口を開いていないのに、彼の声が直接頭の中に響く。 (これを着けたもの同士、テレパシーのように会話ができるらしい。あまり離れると無理だそうだが、少なくともこの町内くらいなら、声が届くそうだ) 「へぇ〜」 (あたしの声も……聞こえるのかな?) (ああ、ちゃんと聞こえている) 恐る恐る念じてみた言葉は、ちゃんと克樹に届いたようだ。 「これで、なにかあっても僕か聖良さんが助けにいける。無論、僕らの手に負えなさそうなら、応援を呼ばなければならないけれどな。 この三人で調査にあたると聞いて、芽衣さんが心配したんだろう」 彼らは、彼らの属する集団の中では決して強くないのだ。さらに『こちら』での生活が長い聖良はともかく、克樹と風歌は日本語を読むのも覚束ない。克樹は漢字を知っているのでだいたいの意味は判るが……育った場所では日本と漢字の意味が違うものもあるので、確実ではない。 そもそも三人のうち克樹は男だから女子校内にはそう簡単に入れない。今回は緊急の用事だといって入れてもらったが、この手はもう通じないだろう。彼らがばらばらになるのは避けられないことなのだ。 「ん〜。早く、あっちの事件が片づいてくれればいいのにな。 聖良さんには届ければいいのね? もう、あんまり時間がないから行くよ。わざわざ、ありがと」 風歌と克樹はそろって立ちあがり、並んで扉に向かった。 「使い方の説明は、後で僕がこれを使ってやっておこう。髪に着けるまでは頼んだ」 「わかった!」 にっこり笑って、風歌は廊下に出た。 「あ! 梓ちゃんたち、待っててくれたんだ!」 「あたりまえでしょ。風歌、一人で教室に戻れないでしょ。 ……あれ」 梓の目が克樹にとまる。 見られた克樹は不快そうに眉を寄せる。 「?」 「あなた、風歌のお兄さんだったんですね」 「…………ああ。昨日の……」 不審そうにしていた克樹も、思いだしたのか小さく頷いた。 それを見た風歌は、二人の間でひょこんと跳ねた。 「え? 何? 克樹、梓ちゃん知ってるの?」 「昨日ね、ちょっとすれ違っただけ」 克樹ではなく、梓が答える。やはりどうも、幼子に対する口調になってしまうが。 「ふぅん」 「それより、頼んだぞ、風歌」 「うん!」 思い切り手を振って見送る風歌に見送られ、克樹は去っていく。 「……はぁ〜」 「なんか……すごいね」 克樹を初めて見た美幸と裕子は深いため息をついている。 昨日の自分もああだったのかな、と思うと少し恥ずかしい気がするが、年頃の女の子としては自然な反応だと思う。今日改めて間近で見ても、やはり綺麗なのだ。 「それにしても、似てないのね、兄妹っていっても」 特筆できるほど小柄な風歌に対し、克樹は175は超えているだろう。とびきり高いわけではないが、風歌と並ぶと身長差は歴然だ。 それに小麦色の肌を持つ風歌と違い、色は抜けるように白い。風歌の可愛らしさは野の花のようだが、彼の美しさは至高の芸術品だ。 「本当の兄妹じゃないから」 「え?」 重大に違いないことをさらっと言われ、梓達は目を瞬かせる。 「あ、ごめんね。ヘンなこと言っちゃったみたい……」 慌てて取り繕うとするが、傍目に見れば逆効果だ。 だが、当の風歌は気にした様子もなく、にこにこ笑っている。 「あたしがね、一人で寂しいって思ってたら、克樹が来て、お兄ちゃんになってくれたの。だから、あたしは、克樹が好き」 「一人って……お父さんやお母さんは?」 「…………いないよ、そんなの」 梓の問いに、風歌は彼女たちに始めてみせる表情を見せた。 なにかを嫌悪するような、それでいて寂しげな、なにかを求める顔を。 「あ……」 それこそ、聞いてはいけないことだったんだと梓が思い知り、謝罪しようか、慰めようか、彼女が迷っている間に、風歌はふたたび笑顔になった。 「それより、図書室行きたいの。連れてって?」
「それにしても、字も読めないのに図書館で何するの?」 がらがらと図書室の扉を開きながら、梓は訊ねた。 「えっと……ちょっとね」 いいわけが思い浮かばなかったらしい。風歌は笑ってごまかした。 焦る風歌にかまわず、美幸が梓と風歌の間に首をつっこんできた。その顔は好奇心で輝いている。 「新しい司書の人が来てるんでしょ? 私見たことないけど、美人だって噂」 「あ、私見たよ。河原先生でしょ? ハーフみたいでね、綺麗な人だよ」 噂には敏感だが本を読まない美幸とは違い、よく図書室にくる梓は既に実物を見ている。 「一週間くらい前からだったかな。 ……ほら、あそこ」 梓が指さした先では、白いスーツの女性が本棚の整理をしている。 ハーフかもしれないというだけあって、髪は亜麻色をしている。染めたのとは違う、自然な色合いだ。 「河原先生」 「あら、吉永さん。今日はお友達と一緒かしら?」 呼ばれて振り返った女性の瞳は灰色がかったブルー。 ただ、その顔立ちはどこか日本人臭く、確かにハーフのようだ。 「今日転校してきた羽鳥風歌ちゃん。図書館に行きたいって言ったから、連れてきました」 「あら、そう? 本に触れることはいいことよ。またいつでもいらっしゃいな」 「あ、はい!」 風歌の目の高さにかがんだ河原の胸元に、小さなクロスペンダントが下がっているのが見えた。ただ、普通の十字架とは縦と横の軸の長さの比率が少々違っている。 「あ、ついでだから、私なんか本借りていこうかな」 「急いでよ。あんまり時間ないよ」 目当ての本棚に小走りで向かう梓を追って、美幸も裕子も行ってしまった。 それを見て、風歌はポケットから先ほど克樹に渡されたヘアピンを取りだし、河原に渡した。 「聖良さん。これ、ツォナム……克樹から。芽衣さんが造ったものだって」 「あら、ありがとう。ここに着ければいいのね?」 風歌の髪にも同じものが留められているのを見て、河原聖良は自分の髪にも挿した。 「うん。後で克樹が連絡するって。じゃああたし、行くね?」 「ええ。授業、頑張って受けてきなさいな」 手を振り、クラスメートに合流する風歌を見、聖良はそっと胸元のクロスに触れた。 「あの子に、神の祝福がありますように」
|
|