昼食を腹に詰め込んだ後、梓達は校舎の中を風歌を案内して廻っていた。 こういう学校が珍しいのか、風歌はずっとはしゃいでいる。 「ねーねーあれは?」 ぴとっと梓に張りついて、風歌はあちこち指さして説明を求めてくる。 自分と同じ年頃の娘にこうされたら普通は少々気味悪さを感じるのだろうが、風歌の容貌と言動のせいか、年の離れた妹に懐かれてるような感覚で、悪くない。 「あれはバスケットのゴール……見たことない? バスケ?」 「ううん。全然」 言葉の途中で風歌を見下ろすと、ちょうど目があった。 なにかを探るような風歌の目。 「そっか。チベットではあんまり流行ってないのかな」 梓が笑うと、風歌の目もふうっと細められて、いつもの笑顔になった。 「そのうち、体育の授業でやると思うよ。バスケ」 「へえ?」 「でね、あっちの木の向こうに十字架が見えるでしょ? あそこが教会なの。本当のクリスチャンは、毎週日曜日にはあそこでミサをやってるよ。たまに、学校に入った後で洗礼受ける人もいるし」 「ふうん?」 ミサとか洗礼とか、風歌はあまりピンと来ないようだ。 「あともっと稀だけど、あそこで卒業生が結婚式したりね」 「へえ……」 なんてことを話していると、急に周囲がざわついた。 「なに? どうしたの?」 風歌が怯えて梓の背に隠れる。 ただ周囲の人間が騒ぐだけでこの怯えようは異常だが……チベットの、それも田舎育ちで人混みになれていないせいだろうと、梓は勝手に解釈する。 「大丈夫だよ、風歌」 「百合姫が歩いてるから、皆騒いでるだけ」 「ゆりひめ?」 梓の脇からちょこんと顔だけを覗かせて、風歌は指さされた方を見た。 少々癖のある長い黒髪の美少女の姿が見える。何人かと連れだって歩いているその姿は、まさしく従者を従える『姫』の称号に相応しいものだ。 「生徒会長さんだよ。学年は一個上で、名前は更科由利亜さん。字は違うけど、花の百合に引っかけて百合姫って呼ばれてる」 「無理ないよねぇ。あんなに美人で成績もよくて、おまけに優しくて人望も篤いんだもの」 梓も裕子も声にうっとりとした響きを含ませている。この憧れこそが、由利亜を百合姫と呼ばせている所以だろう。 ちなみに百合は聖母マリアの象徴とされる。ミッション系の女子校のアイドルのあだ名としては、出来すぎなくらい、ぴったりとはまっている。 「私だって、百合姫に憧れて生徒会手伝ってるんだし」 美幸は意味もなく拳を振り上げ力説している。 すると、その彼女に向かって、由利亜が近づいてきた。 近くで見ると、なおさら美しい。白い肌は磁器のようにきめ細かく、なめらかだ。それに、どこか甘い匂いも漂っている。 「美幸ちゃん」 「あ……更科さん」 美幸も、さすがに面と向かっては『百合姫』とは呼ばないらしい。 「いつも助かってますわ。ありがとうございます」 親しげに声をかけられる美幸を、周囲の生徒達が羨望と嫉妬の混じった視線で見ているのが判る。 「い、いえ! 私なんてたいしたことは……!」 「ううん。美幸ちゃんはすごいですわよ。 ところで、来週あたり……申し訳ないんだけれど、資料の整理をしたいんですの。用事がなければでいいのだけれど……手伝っていただけるかしら?」 「はい! よろこんで!」 間髪入れずに答えた美幸を満足そうに見、由利亜は風歌に目を留めた。 「あら。可愛い子ですこと。貴女が噂の転校生?」 「ええ、そうです」 ぎゅっと背中に隠れてしまった風歌の代わりに、梓が答える。 寛大らしい由利亜は気にした様子もなく、優雅に微笑んだ。 「そう。啓明にようこそ。早く慣れてくださいね」 そして、取り巻きを引き連れ立ち去っていく。 「……風歌、どうしたの?」 今までクラスメートに囲まれようがどうしようが、あそこまで人見知りをしたことはない。それが、よりにもよって学内のアイドル、由利亜に対してだけ激しく拒絶反応を示した。 風歌は答えず、ただただ由利亜が去っていったほうを怯えた目で見続けていた。
「………………」 由利亜の姿が見えなくなって、ようやく風歌は梓から離れた。 「どうしたってのさ、失礼だよ、あの態度!」 自他共に認める由利亜の信奉者である美幸は憤然と怒っている。 「……でも」 「まあまあ。仕方ないじゃない、いまさら。 もしかしたら、あんまり綺麗でびっくりしたのかもしれないじゃない?」 裕子が美幸をなだめている間に、梓は顔を風歌と同じ高さまで下げた。 「大丈夫? 顔色が悪いけど」 「うん……へいき。 えへへ。だいじょぶ! 心配かけて、ごめんね?」 風歌は笑い、きゅっと梓にすり寄った。まるで母親に甘える二歳児だ。 「そう? ならよかった。 じゃあ、次、行こうか」 梓が風歌の手を握り、歩きだしたとき、校内放送がかかった。 『羽鳥風歌さん、羽鳥風歌さん。 ご家族が訪問されてます。応接室へ……』 「風歌、呼ばれてるね。 応接室、場所知らないでしょ? 連れてってあげる。裕ちゃん、美幸ちゃん、行こ」 「あ、はいはい」 「ところで、ご家族ってどなたでしょうねえ?」 歩きだしながら、裕子は何気なく聞いてみた。もちろん、一人に絞れるはずもないだろうが、平日だし、母親だとかそういう答えを想像していたのだろう。 「ん〜と……たぶん……お兄ちゃん?」 「へえ! お兄さんがいるの? いいなぁ」 妹がいるだけの梓が羨ましそうに呟いた。 「え、そう? えへへ」 「お兄さんのこと、好きなんだね」 嬉しそうに応じる風歌の姿に、梓はそんなことを感じた。 そしてやはり、びっくりするくらい小柄なんだろうか、なんてことも思った。
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