「これはまた、派手にやったわね〜」 ショートカットの活発そうな少女がぐるりと周囲を見回して、そう言った。彼女も小柄だが、風歌ほどではない。それに、風歌と違い豊かな胸の持ち主だ。 「仕方ありませんよ。ルシファというのは、この世界では有名な悪魔なのでしょう?」 その隣に、長身のロングヘアの女性が並んでいる。ゴテゴテとアクセサリーを着けているにも関わらず、不思議と清楚な印象のある美人だ。 「芽衣ちゃん……それに結花ちゃんも来てくれたのね。他の仕事抱えてるときに、ごめんなさいね。 ちょっと大変だったのよ。今回はね。調査だけのはずが、成り行きで戦うことになってしまったし」 真夜中の学校を訪れた二人を出迎えたのは聖良だ。風歌は梓と一緒に、教室の一室で安静にさせられている。そして克樹は自主的に頭を冷やしにいっている。 やってきた芽衣は聖良と並んで歩きながら、軽く腕をまくった。彼女がこれからすることに、別に必要のない仕草なのだが。 「とにかく……怪我人の所に案内してください。封印は、もう終わったんですよね? それから建物の修復をして……最後に、記憶操作の結界について調べましょう。大掛かりなもののようだから、解除に時間がかかるかもしれないけれど、一刻を争うものではないのでしょう?」 「ええ。本音を言えば、一年くらい経ってから解除してもらってもいいくらいよ。いろいろ遭った事件の、冷却期間にするためにね。もっとも、そういうわけにはいかないでしょうけれど……」 芽衣の質問に答える聖良は、軽くため息をついた。 「あたしたちが関わる期間は、短い方がいいもんね。せっかく学校いったりして、友達できてもすぐに別れなきゃいけないし……」 結花も小さく息を吐く。何度経験しても、別れは辛いものなのだ。 いくら、馴染んだ世界からの別れを経験している彼女たちでも。 「とにかく、自分がしなければならないことをしましょう。この世界で、私たちのような異分子が生きていくために、必要なことを」 梓の側に跪き、芽衣は軽く精神統一をはかった。
「………………」 翌朝、風歌は名残惜しそうに校舎を見上げていた。 彼女がいるのは学校から道路一本挟んだ歩道である。学校は授業中なのか、何事もなかったかのようなグラウンドから時折歓声が聞こえるものの、静かなものだった。 「仕方ないわよ、さ、行きましょう」 「うん……」 聖良に促され、風歌はおずおずと歩きだす。 前方には、蒼くなった髪を切り、芽衣の魔法でとりあえず黒髪に見せかけている克樹の姿があった。 龍に変身したことについて、彼自身には何か知っていることがあるようだが、それについては何も語ろうとしない。 聖良も芽衣も、いずれ話すだろうと言っていた。今はまだ、心の整理が必要なときなのだろう、と。 風歌もそれでいいと思う。 克樹がどこか遠くへ行ってしまうのでなければ、それでいい。昨夜は、それが怖かった。あの克樹を放っておけば、風歌の知らない克樹になってしまう。理由はないが、そう思った。 変わってしまうといえば、梓はどうだろうか。 芽衣は、記憶操作の魔法結界を解くのに、二、三日はかかると言っていた。次の『予告日』が明後日だから、それまでには絶対に終わらせたい、とも言っていたが。 その後、梓が風歌を覚えていてくれる可能性は低い。 あんな怖ろしい思いをしたのだ。覚えていない方がいい。理性はそう考えるのだが、忘れ去られる悲しさもある。 大事な、大事な友達だと思った彼女に。 風歌にはそれが、たまらなく怖ろしいことに思えた。
****ヘイヴァニア***********************
旅立つツォナムとラクシェを見送り、ラトは大きな岩の上に立っていた。 二人の姿はもうかなり小さくなり、かろうじてどちらがどちらかが判別できる程度だ。それも、彼女の視力をもってしてのことだけれど。 「…………がんばれ、二人とも」 小さく呟く。 『そう思うのであれば、教えてやればよかったものを』 彼女の頭の中に、声が響く。 「それはできない決まりよ。それに、いいの? 教えてしまえば、あの子の中のあなたの同族に不利になるわよ?」 ラトは、頭の中の<友人>に答えた。 『同族であっても、我自身ではないからな。それをいうなら、おぬしこそ、どうして我を完全に吸収しない? 不老不死は今のままでも得られるが、龍師族の真の指導者たる<仙人>となるには、我の力をすべて得る必要があるのだぞ?』 「……それが嫌だから、しないんじゃない。政治なんて私はまっぴら。こうやって、ふらふら生きている方が性に合ってるわ。それに、一番気の合う話し相手がいなくなるのも寂しいしね。 こうして、私の後進に生きる気力を与えるだけでも、役に立ってると思わない? あの時の私と一緒で……自分が半身たる龍を喰ったことにも気づかず、喪失感に悩み、苦しむのは……辛いことだから。 せめて、喰われて中にいる龍が、自分はここだ〜って、自己主張してくれたらいいのにね」 『それも、当人が気づくまではできない決まりなのでね』 声だけだが、ラトには相手が肩をすくめる様子が伝わってきた。 「あとは……あの子次第ね」 龍師族の中には、危機に陥ったとき、己の半身たる龍を喰って危険を乗り越えるものが、稀にいる。 ツォナムの場合は、皇太子が夭折したことで、他の皇太子候補やその支持者に命を狙われたことが原因ではないかと、ラトは考えている。 一体となった龍と人は、強い力を得るが、力に溺れ、あるいは力に飲まれると、人は喰ったはずの龍に内から喰われる。逆に、きちんと自分の力を制御できれば、人は完全に龍の力を我がものとすることができるのだ。 人を喰った龍は<真龍>に、龍の力のすべてを得た人は、<仙人>になる。 そのための試練は、人にとっても龍にとっても、長く険しいものとなる。 ツォナムは、まだその道を歩み始めたばかりだ。 ラクシェが、多少なりともその支えになるのではないかと、ラトは思っている。ラクシェもまた、ツォナムを支えることで、強くなれるだろう。世界の広さを知ることで、混じり者である自分の身体を許せることもあるかもしれない。 すべては、彼ら次第だ。 「さて、今度はどこに行こうか? あと百年くらいは、次の<龍を喰らいし者>はでないようだし」 ラトは占星術の名手だ。<龍を喰らいし者>がいつ、どこに捨てられるか、あらかじめ占いで知ることができる。 『好きなところに行くといい。我は、おぬしの一部にすぎぬのだから』 「じゃあ〜、西の方に言ってみようか!」 軽い足取りで、ラトは荷物をまとめに自分の小屋へと戻っていった。
*********************************
休み時間、なにやらメモをとっている梓がいた。 「どうしたの? すっごい真剣に、何、書いてるの?」 裕子がしげしげと手元を見つめに来た。 友人が一人減っていることを、彼女は知らない。教室に、一つ不自然な空席が増えたことも。 「ん? ああ、いい加減、部活用だけじゃなく、本格的にプロ作家を目指そうかなって、思って」 梓は、メモをとる手を休め、裕子の顔を見た。 「へえ?」 「母さんを納得させるためにもね、私が真剣に作家になりたいんだってことを証明しようと思って。なりたい、なりたい、って言ってるだけじゃ、いつまで経ってもなれやしないし、小説を書き続けることを認めてなんてもらえないでしょ?」 シャーペンの頭で唇をきゅっと押し上げて、梓は窓から空を見上げた。 「で、どんな話を書くつもりなの?」 「ん〜、翼の生えた女の子を主人公にしようかなって。不幸な生い立ちの女の子でね。どこか遠い所に、夢みたいに幸せな場所があるって噂を聞いて、旅に出るってお話。 でも、それはどこにもないの。どこにもないんだけど、旅の仲間もできて、楽しいこともあって。もちろん辛いこともたくさんあるんだけど、仲間達と乗り越えて……」 「なんか、ずいぶんありきたりじゃない?」 デビューを目指すというから、もっと意表をついたアイデアを練っているものだと思っていた裕子は不思議そうに首をかしげた。 「うん、そうだね。 でもね、私さ、小説のキャラクター達は幸せそうって、ずっと勝手に思ってた。でも、そうじゃないよね。辛いことも楽しいこともあって。辛いことなんて、私たちが苦しいって思ってることより、何倍も苦しいことで。 なのに彼らが幸せそうに見えるのって、全力で生きて、仲間と力を合わせて、苦しいことも辛いことも乗り越えて、それでも……皆、笑っていられるからじゃないのかな。 なんかね、そんなことを思ったら……私はこれを伝えなきゃいけないって、思って。一人でも、二人でもいいの。それを読んで、ほんのちょっとでも共感してもらえればって思った。幸せは、遠くに探しに行くものじゃなくて、今自分がいる場所で、感じるものだって」 「ふぅん……。 なんか、前に国語で習った……なんとかってドイツ人の詩を逆手にとったようなお話ね」 「……うん……」 あの詩の話を、誰かにしたような気がする。 いつ、誰に話したんだろうかと、梓は思いだそうとしながら……再び、青い空を見上げた。
|
|