「やめろおおおおおっっっっっっ!!!!!」 なにかが弾けた。 突風が、ルシファの逞しい体躯を揺らめかせた。激しい雷がその背を撃つ。浅黒い皮膚が、熱で灼け、爆ぜた。 そこでようやく、ルシファは少女を傷つけることをやめ、振り返った。 「オリエンタル・ドラゴン……?」 ルシファの代わりにその姿を示す言葉を吐いたのは、由利亜だった。 全長三メートルほど、想像される竜としては小さいサイズだろうが、それでもチャペル内にその長い身体を曲げて収めている姿は、壮大である。 蒼い鱗に蒼いたてがみ。ただ、その瞳だけが怒りに燃えて、紅い。 その咆吼で、ステンドグラスがすべて砕けた。 「か、克樹……?」 ようやく意識を取り戻したらしい聖良が、信じられないといった面持ちで呟いた。彼には何かあると思っていた。強い力のその内部に感じてもいた。 だが、想像を超えすぎだ。 しかも、ドラゴンはルシファ=サタンを示すものでもある。洋の東西でそのイメージも象徴するものも異なるが、なんという偶然か。 「フッ……」 ルシファが小さく笑う。彼が初めてみせた、表情らしい表情である。 その背に赤い羽根が伸びる。風歌の鳥の翼とは異なる、蝙蝠のような造形の羽根だ。 GYUOOOOOOOOOOO!!!!!! 雄叫びとともにルシファの身体が変容する。 巨大化し、虫の甲殻のようなものに覆われ、四肢は太く逞しくなっていく。そして、全身が血のような赤に染まっている。 二匹の魔獣は教会の屋根を吹き飛ばし、夜の空へと飛びだしていった。 「…………冗談でしょ……」 残された聖良は放心したように呟く。あんなものを見て気絶しない自分を誉めてやりたい気分でもあった。 「あ! いけない!」 倒れる二人の少女に駆け寄った。痛みで気絶することもできず、けれど恐怖に凍りついている。幸い、二人とも命に別状はないけれど、もちろん、すぐに手当をしなければならない。とくに風化はひどかった。できるだけ、梓を庇おうとしたのだろう。 「傷を治せる人を呼ばないと……それに、せめて応急処置だけでも……」 携帯電話を取りだし、聖良は誰かに電話をかけた。
稲妻が、炎が、暗い夜空に閃く。 蒼き龍の鬣が燃える。 赤いドラゴンの甲殻が風に切り裂かれる。 衝撃波に龍の左前脚が折れた。その威力は、人型をとっていたころと桁違いに強い。 (ぐぅっ……!) 感じる激痛にも、龍の肉体では声に出せない。だがその苦痛も、下から下から湧きあがってくるような怒りに飲み込まれ、すべてが赤く塗りつぶされる。 電撃を放つ。それはルシファの右目を灼いた。 ゴウッ! ルシファの苦痛の思念が放射状に広がる。 (…………っ) 思い思念の波に押され、蒼龍の身体が流される。 長い身体をくねらせ、バランスをとる。たかが精神波に、数メートル流されていた。 それが、龍のプライドに火をつける。その生まれた世界で、最強と呼ばれた存在の名にかけて、目の前の紅い魔獣になど、負けるわけにはいかない。 風が轟々と唸った。 蒼き龍の額の前に、圧縮された空気が集まり、渦を巻き、摩擦で激しい音を立て、熱を帯びる。静電気が生じ、バチバチと爆ぜる。 轟ッ!!! 咆吼と共に、風の弾を押し出した。 風球はルシファの胸部を打った。 背中よりは柔らかい甲殻を切り裂き、熱で焦がす。 空気の圧力で、その巨体を吹き飛ばす。 赤いドラゴンが体勢を整えられずにいる間に、続いて念を凝らす。スルスルと蔦が伸びび、巨大な肉体を拘束する。腕を絡め、脚を縛り、羽根を封じて動きを止める。 無論ルシファは落下しつつも力任せにそれを引きちぎろうとするが、許さない。千切るよりも早く、次から次へと蔦を絡めた。 轟々と空気を押しのけながら、深紅の巨躯はグラウンドへと落ちていった。 ずぅぅぅぅぅん…… 地響きをたて、ドラゴンは地面にめり込んだ。 そこに電撃、電撃、電撃。 地上からも、反撃のように激しく炎が噴きあがる。蒼い鱗が熱で歪み、肉が焼ける匂いが漂った。 どれだけの稲妻を放ったか判らなくなった頃、呼吸を乱しつつ、ようやく蒼き龍はそれを止めた。 深く抉れた地面にぶすぶすと煙を上げる、炭化した闇がわだかまっている。 だが、まだ蒼き龍の瞳は紅く彩られていた。
「あ、あ、あああああああ」 絶望の啼き声をあげ、少女の姿をした堕天使はくずおれた。 それを横目に見つつ、聖良は手早く止血をしていた。 忙しいはずの友人が来てくれるまで、少しでも彼女にできることをしておかなければならない。その友人も、流れでた血までは元に戻せないのだ。 聖良にできることのうちに、由利亜の捕獲も含まれているはずだが、聖良はそれを一番後回しにするつもりだった。少なくとも、今の由利亜にこれ以上の抵抗をする意志があるとは思えない。封印しようと思えば、おとなしく封印されるだろう。 もちろん、あまり時間をおけば、やけになって何をするかは判らないが。 手を休めることなく治療を続けていた聖良の手が、びくっと止まる。 圧倒的な気迫。攻撃的な意志。凝縮された、強大な力。 見れば、人の姿に戻った克樹がいた。 だが、まるっきり元のままではない。 腰まで届く、長く蒼い髪がゆらゆらと動き、瞳は爛々と真っ赤に燃えている。 そして、左腕が折れている。 「克樹君っ?」 「うううううううう……」 聖良の声を無視し、克樹は唸り声をあげて由利亜を睨みすえた。 これから何が起こるのか、聖良には判った。 「ちょっと、ダメよ! 克樹君! 落ち着いて! もう、危なくなんてないから!」 聖良は声を荒げるけれど、克樹に近寄れない。怖ろしいのだ。この、大きすぎる力を得てしまった少年が。 克樹はまっすぐ由利亜に近づいた。 そして、黙って殴りつける。 殴って、殴って、殴って、殴って、殴って、殴りつけた。 怒りに燃えた瞳で殴り続けた。 「ダメよ! 止めなさい!」 聖良の言葉は届かない。 「があああああ!」 大きく腕を振りかぶる。 「ダメだったら!」 聖良の言葉に呼応するかのように、黒い影が飛んだ。 そして、小麦色の細い腕がしっかりと克樹の腕を掴む。 「ダメだよ……。そんなこと、ダメだよ……」 風歌の腕は細い。龍の力を宿したままの克樹を止められるはずはない。 けれど、克樹の動きは止まっていた。 「憎しみや怒りにまかせて戦うのはダメ……。ラトさん、言ってたじゃない。 それに……あたしも、そんなツォナムは……見たくないよ……」 しゅうぅぅぅぅ……と克樹の中に溜まった怒りの熱が下がる。 そして、自分の腕をしっかりと抱える少女を見た。 「風……歌?」 「うん……」 風歌が微笑む。 それにつられるように、笑みの形に細められた克樹の瞳は、蒼かった。 そんな二人を、流れでた血で朦朧としながら、梓がじっと見つめていた。
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