そして、休み時間が訪れる。 「羽鳥さんって、どこから来たの?」 やはり新しいものには好奇心がうずくらしい。転校生はクラスの半数の女の子に囲まれて、質問攻めに合っている。 「えっと……チベット……?」 微妙に自信のなさそうな、妙なイントネーションの答えだったが、それに気づいた人間はいないらしい。 「ええ〜チベット?」 「すっごーい!」 何がどうすごいのかはともかく、ぎゃあぎゃあと騒いでいる。 「………………」 その騒ぎの中心に否応なく巻き込まれて、梓は少し辟易していた。 せっかく転校生の隣という特等席にいるのだ。もう少し、自分も風歌と仲良くしたい。 だが今は、押し寄せるクラスメートに潰されないようにするだけで必死である。 「ねえねえ、なんでチベットにいたの〜?」 「お父さんの仕事か何か?」 「ええっと……そ、そんなとこかな」 一方、冷や汗をかきながら答える風歌も、かなり必死のようすである。 こんなに大勢に囲まれた経験がないためか、それとも他に理由があるのか。 「え〜、じゃあさ……あ」 誰かが何かを言いかけたとき、チャイムが鳴った。 小さなブーイングを起こしながらも、生徒達は自分の席に戻っていく。 「は〜〜〜」 妙に疲れた顔で、風歌は小さくため息をついた。 「大丈夫?」 「えへへ……うん!」 梓が小さな声で問いかけると、風歌ははにかんだ笑みを浮かべた。 そしてポケットからなにか小さな包みをとりだし、中身を口に放り込む。 「?」 梓の不審そうな視線に気づいてない様子で、風歌はなにかを食べていた。
「風歌って、本当に字が読めないのね」 梓が風歌を呼ぶときは、『ふうか』というより『ふーか』と伸ばした音になっている。名前を呼び捨てているというより、あだ名感覚なのだろう。 「えへへ〜。ひらがなと、簡単な漢字くらいは、覚えたよ〜?」 「う〜ん、これじゃあ、うちの部に誘うのは、ちょっと無理があるかなぁ……」 「梓ちゃんのブって?」 風歌は『部活』というものを知らない。梓のいう『部』が何かを彼女は聞きたかったのだが、梓はそうはとらなかったらしい。 「文芸部。小説書いてるの。ああ、中にはポエムやってる子もいるけど」 「小説……」 その単語を、風歌はひどく複雑な表情で呟いた。 「?」 「え? ああ、何でもない、何でもない!」 昼休み、梓たち三人組は、何とか風歌をゲットして、購買でパンを買い、中庭に向かっていた。 直前の授業は国語で、教師は座席順にテキストを読ませていったのだが……風歌は読める文字だけを拾って読み、教師を呆れさせた。 いくら海外育ちでも、日本人なら親が日本語を教えていて当然、そう考えていたからだ。 「それにしても、喋るのはすごい普通だよね?」 梓でなくても、このギャップは気になるところだ。 「ああ、これが共通語だった……あ」 「え?」 「ううん! なんでもない!」 風歌は慌ててぶんぶんと首を振る。 「チベットで、日本語が普通に話されてるの?」 「ええっと……そう! あたしが育った集落は、そう!」 裕子の問いに、風歌はがくがくと頷いた。明らかに、とりあえずそういうことにしておこう、という意図が丸見えだ。 「………………」 梓達は顔を見合わせる。 「そ、それより、ここでご飯、する? 木の陰って、気持ちよさそう!」 中庭の木陰に入り、風歌はぴょんぴょんと跳びはねる。 その仕草がまた妙に子供っぽくて、三人の顔に微笑が広がる。 「うん、そうだね。ここにしよっか」 梓も幼児に対するような口調になって対応してしまう。それでもう先ほどまでの会話は忘れてしまった。 そして芝生の上に腰を下ろす。 「風歌って……小食ねえ」 「だから大きくなれなかったんじゃない?」 風歌が買っていたのは一番小さなパンが一つだけだ。いくら小柄とはいえ、少なすぎる。 「あたし、一度に少ししか食べられないから」 言いながら、風歌はパンを小さくちぎって少しずつ食べている。 「……なんか、胃の切除手術した人みたいだね」 梓の言葉に、風歌は不思議そうな顔で首をかしげた。本気でその意味が判っていない顔つき。それがなんだか犬か猫が小首をかしげている様に似ていて、やはりほほえましい。とても同い年には見えなかった。 「あ……ひょっとして、休み時間なにか食べてたのってそのせい?」 「そうだよ、梓ちゃん。チョコレート。ここに来て初めて食べたけど、おいしいね、これ」 ポケットから小粒のチョコの包み紙をいくつも取りだす。 「………………」 三人は黙ってそのチョコを見た。 風歌は何も思ってないようだが、教師にばれるとかなりまずい。 「ふ……風歌、これ……」 「ん? 梓ちゃんも、欲しい?」 「いや、そうじゃなくて……」 「? ……ああ! せんせーに見つかったら駄目なんだよね? 結花ちゃんが教えてくれたよ。気をつけてねって言われた」 (ユカちゃんって誰?) 梓達の脳裏に同時にこの疑問がわき上がってくるが、風歌は気にする様子もなく続けた。 「……本当は、結花ちゃんがここに来る方がよかったんだけど」 「?」 今度こそ、意味が判らない。結花というのは風歌の友人なのだろうけれど、風歌ではなくその結花がこの学校に来た方がよかった。それはどういうことなのか。 「とにかく、気をつけるね?」 本人は三人の困惑になどまったく気づかない様子でにこにこと笑っていた。
|
|