小鳥の囀りがかしましく響く。 「ん……」 梓は少し身じろぎし、自分が寝ている場所がいつもと異なることに気づき、身を起こした。 珍しく、起きたときから爽快な気分だ。 「おはよ、梓ちゃん。よく眠れた?」 どこかぎこちない笑みの風歌がいる。 そして、どう見てもここは梓の部屋ではない。 「あれ……? 私、風歌の部屋で寝てたんだ?」 「……うん。ちょっと……ね」 今朝の風歌はどこか歯切れが悪い。 だが、梓は風歌のいつもと違う態度に気づかず、ぐ〜っと身体を伸ばした。 「昨日、風歌の部屋に遊びに来て、そのまま寝ちゃったのかな、私? ごめんね、部屋狭いのに、邪魔だったでしょ?」 見れば自分は制服のままなのだ。 風歌の部屋を訪れた記憶はないけれど、それ以外に自分がここにいる理由がない。 「ううん……全然。梓ちゃんがいてくれて、よかったよ」 「そう? じゃあ、今度は、風歌が私の部屋に泊まりにおいでよ。いいもの、見せてあげる」 風歌とは対照的に、梓は少々テンションが高い。 「なんか今日はご機嫌だね、梓ちゃん?」 風歌の声に、かすかな安堵が混じる。 「ん? あ〜、なんか……いい夢を見た気がするよ。 母さんと仲違いする前かな、あれは……」 「梓ちゃん、お母さんと仲悪いの?」 「仲が悪いっていうか……。母さんは、私が小説書くの、反対してるから。そんな無駄なことせずに、勉強しろ、の一点張りでさ。息が詰まるから、高校は全寮制のここを志望したの。ここならレベルが高いし、進学率もいいから、母さんも納得したしね」 ため息混じりに梓は言った。 「私、昔からあの人が苦手で。まぁ……いい成績さえだせば、何も文句は言わないから、そういう意味じゃ対処しやすい人ではあったけど」 「……でも、それは悲しいよ」 風歌がみせた、心底悲しそうな表情に、梓は戸惑う。 「え?」 「せっかく……解りあえるなら、生きているなら、仲良くできないのは、寂しいことだよ?」 「………………」 (そっか。風歌は……両親、いないんだっけ) 梓は己の浅はかさを呪った。折り合いが悪くても、自分など親が元気でいるだけ、ましではないか。 「……そうだね。仲良くしないとね。うん、約束するよ。ちゃんと話してみる。本当は、プロになって、いろんな人に私が書いた話を読んでもらいたいんだって、言ってみる。判ってもらえるまで、何度も何度も話し合うよ」 変に謝って取り繕うよりは、こう言った方がいい。そんな気が梓はした。 「うん……そうだね」 風歌が小さく頷き、笑みを浮かべるのを見て、梓はほっとする。 「じゃ〜、今日も頑張ろっと! 昨日は結局生徒会室の…………」 言いかけて、梓の顔から血の気が引く。 「梓ちゃん?」 案ずるように問いかける風歌の声も耳に入らない。 「私……なんてこと……。 美幸ちゃんがあんなことになったのに……。ちょっといい夢見たくらいで、そのこと忘れて……」 昨夜の惨事を思いだしたのか、梓は小刻みにカタカタと震える。 先刻までのテンションの高さは、夢によって表層意識から追い払われた、悪夢のような出来事から目を背けるためのものだったのだ。 もちろん、あのまま昨夜の惨事の記憶に苛まれ続けるよりは、精神への負担は少ないのだけれど。それでも、ショックは隠せない。 「………………。 ごめんね…………」 風歌が小さな声で謝った。 何に対する謝罪の言葉なのか、言った本人も、言われた梓もはっきりとは判っていないが……その一言は二人の少女の心の傷を、ほんの少しだけ埋めた。
陰鬱な表情で登校した二人を、いつもと変わらぬ笑顔で裕子は迎えた。 「おはよう。……? どうしたの、元気ないわね、二人とも」 彼女は昨日の出来事について何も知らないのだから無理はないと理解しつつも……梓は穏やかな表情に少々やるせない気分になった。 「あの……あのね」 美幸の友人として、彼女にも言っておかねばならないだろう。あの、悲惨な死を。 「昨日学校で……美幸ちゃんが……」 「美幸ちゃん?」 意を決して口を開いた梓に、裕子はきょとんと首をかしげた。 いきなり、深刻な顔をして言われれば、それはたしかにそういう反応しかできないだろう。だが。 「美幸ちゃんって、誰?」 続いた裕子の言葉は、あまりに意外なものだった。
「……どうなってるの」 一時間目が終わり、休み時間になった。 梓と風歌は生徒会室を経て、今調理実習室にいる。 まるで何事もなかったかのような、整然とした教室。 「…………なんだか……怖いよ」 「うん……悪い夢を見てる気分だね」 昨日の鍋も、美幸の遺体もない。 風歌が放った炎の痕跡もない。 先に見てきた生徒会室も、破れたはずの扉には傷一つなかった。 「……梓ちゃん、あれは……」 「判ってる……夢なんかじゃないのは、判ってるんだけど……」 美幸がいないにもかかわらず、平然とした教室。 教師も、出席を確認するのに、彼女がいないことに一言もなかった。いつも、誰それは休みか、と口にする先生なのに。 そう、昨日二人を追い回した教師も、何事もなかったように振る舞っている。 そして、美幸という人物など、最初からいないかのように。 けれどそんなはずはない。入学してから何ヶ月も、梓は美幸と行動を共にしてきた記憶があるのだ。けれど、もう一人の友人、裕子すら、美幸の存在をその記憶から消している。 「いったい……何が起きてるっていうの……?」 不安な表情で呟く梓に、風歌は答えることができなかった。
そして、昼休み。 風歌は図書室の隣、司書のための控え室で昼食を食べていた。 四限の終わりに魔法具をつかって、聖良に呼ばれたのである。 「そう……そんなことが。 やはり、ここでの出来事が騒ぎにならないのは、なんらかの魔法の作用と見て間違いがないようね」 「うん……。おまけにね、梓ちゃんまで……忘れてきてるみたい」 「その、美幸さんのこととか、ゆうべの事件のこととか?」 問われて、風歌は黙って頷いた。 「…………そう。 なおさら、事件を早く解決しないといけなくてね。 じゃあ、食べている途中で悪いのだけれど、これを見てもらえる?」 聖良は本を一冊取りだし、風歌の目の前に広げた。 「この学校の、高等部の卒業アルバムよ。ここを見て」 「……生徒会長さん?」 聖良が指さした先にいるのは、紛れもない、更科由利亜である。見間違えようのない、美貌の少女の写真が、そこにある。さらに、風歌には読めないけれど、写真の下にはたしかに『更科由利亜』と書かれている。 「これは、卒業した人たちの写真集だから、今も学校に通う人が載っているはずはないのよ。けれど、彼女はここにいる。これ、五年前のアルバムよ? そして、それだけではないの……こっちにも」 聖良はさらに由利亜の載る二冊のアルバムを取りだした。 それはきっちり六年おきのアルバムだった。 「……? なんで?」 さすがの風歌も、これがおかしなことであるのは判る。 「このことに気づく前に、最初に起きた事件について調べたのだけれど……おそらく最初に起きたと思われる自殺だけ、ちょっと騒ぎになっているのよ。それが、このアルバムの学生達と同学年でね。 相原遼子さんていう子で、屋上から飛び降りたらしいわ」 「屋上……」 そういえば、美幸も屋上へと向かおうとしていなかったか。死者を屋上から落とせば、一見投身自殺に見える。 「でね……最初の更科さんが、この相原さんと同学年と気づいてから、少し詳しく調べてみたのだけれど、更科さんは、この学校に入学した記録がないのよ。そして、記録に登場するのは、相原さんが亡くなった後」 「……え?」 更科由利亜に漠然と感じていた恐怖が、だんだんと実体を伴ったものになっていく。 「この相原さんという子は、文芸部に所属していたそうだから、もしかすると……相原さんが生みだしてしまったのかもしれない、と思ってね」 創造物は創造主の近くに現れる、その噂が真実かどうかは判らないけれど。そう、聖良は付け加えた。 少なくとも、彼女たちは、この世界に生じてすぐ、己の造り主らしき人間に出会ってはいない。 風歌は、あまり馴染みがないけれど、どこかで聞き覚えのある単語に首をひねっていた。 「ぶんげいぶ……たしか、梓ちゃんがぶんげいぶって、言ってたよ? 何か知ってるかもしれないし、呼んでこようか?」 「そう……そうね。古い話だから、彼女は何も知らないでしょうけれど、文芸部の資料か何か、見せてもらえると助かるわね」 頷く聖良を見て、風歌は全速力で教室へと戻った。 なんだか、嫌な予感がする。
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