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Fantasy@Earth2 幸せの住処 作者:黒木美夜

第11回   調理実習室の恐怖
「あそこ!」
 風歌が指をさす。
 お互いの姿を認識するのがやっとなくらい、暗くなった廊下で、一つだけ灯りの点った教室はよく見える。
 あそこが安全とは限らないのだが、それでも、光というのは、闇に怯えた人間に安堵をもたらす。
 ガラガラっ
 バタン!
 少々乱暴に扉を開け、閉める。
 ただ明るいということが、どんなにか嬉しい。
「はぁ〜〜〜」
 乱れきった息を整え、梓は扉に鍵をかけた。
 だが、足音が聞こえなくなっていることには気がつかない。
 ポタ、ポタ……
「ひっ……!」
 水が滴る音に、背筋に寒気が走る。
 だが振り返って教室の中を見れば、なんのことはない。
「ここ……調理室ね」
 きちんと蛇口が締まっていないだけだ。
 無我夢中で走り続け、自分がどこにいるのかも判らなくなっていたが、現在位置の把握だけはできた。
 時間も確認しようとして、教室の時計を見上げ、それは諦めざるをえなかった。
 時計の針はデタラメにぐるぐると廻っている。
 梓は、それを『仕方ないか』で片づけていた。
「……あれ?」
 風歌は、時間など気にならないのか、調理室を見回し、ある一点を見つめていた。

「くそっ!」
 克樹は暗然とそびえる校舎の前で悪態をついていた。
 どうしても校舎に入れない。
 ガラス窓を叩いても、石をぶつけても、ビクともしない。
 もちろん、学校の窓ガラスが防弾ガラスなはずはない。ただのガラスだ。叩けばひび割れ、脆く壊れる、そのはずだ。
「おそらくは、何らかの結界が張ってあるとみて、間違いなさそうね。風歌ちゃんと連絡が取れないのもそのせいよ。
 時間がかかるけど、結界破りを試してみましょう。
 これが、悪魔とか黒魔術とか、そういった系統の力なら、私でも何とかなるはずですから」
 聖良は手にした巨大な、通常よりも横棒の短い十字架で、地面になにやら描き始めた。

「なんでお鍋が……?」
 梓もそれに気がついた。
 調理実習室にある、一番大きな鍋が一つだけ、コンロにかけられている。誰もいないのに火にかけられたそれは、ぐつぐつと煮えていた。
「な、なんか……」
 不気味なこと、このうえない。
 日常の何気ないことが、こんなに気味が悪いとは思わなかった。
「どうってこと、ないわよ」
 平然と美幸が近づく。
 剛胆な彼女らしい行動と言えなくもないが、今日の美幸はどこか変だ。
「ちょっと駄目だよ、美幸ちゃん……」
 鍋から出てくる無数の蛇。
 鍋から出てくる幽霊。
 鍋から出てくる濡れた長い髪。
 鍋から出てくる蛭の群れ。
 鍋から出てくる…………
 いくつもの嫌な想像が、梓の脳裏を駆けめぐる。
 このときばかりは、想像力旺盛な自分を恨めしく思う梓であった。
 怯える梓と風化には構わず、美幸は鍋に近づき……
「だめっ!」
 風歌が慌てて回り込み、美幸を止めた。
「どうして? ただのお鍋だよ」
 薄ら笑いすら浮かべて、美幸はなおも進もうとする。何故、そこまでこの鍋に執着するのか。
「私も……なんか、やだよ。美幸ちゃん、やめよ?」
 後から、梓が美幸の袖を掴み、動きを止める。
「そう……」
 美幸が前進を止める。
 無理に鍋の中身を確認することを諦めたのか、そう思ったのだが。
 美幸は笑顔で口を開いた。
「無駄よ……」
「え?」
 思わず聞き返した風歌の耳に、鍋のふたがずれる音が聞こえた。
 振り向いた彼女の視線の先で、ふたがひとりでに動いている。
「……!」
 隙間からざわりと黒い濡れた糸が何本も何本も、それこそ数え切れないほどにあふれてくる。
 いや、違う。あれは糸ではなく……
「開いちゃダメ!」
 風歌はふたを閉めようと鍋に駆け寄った。
 その目の前で、ステンレスのふたがはじけ飛ぶ。
「!!!!!!!」
 悲鳴すらだせない。
 鍋の中で、己の血に染まった湯に浸かり、女の顔が、笑っていた。
 しかも、その顔は……
「きゃああああああ!!!!!!」
 背後の悲鳴に振り返ると、梓が襲われていた。
 それも、顔だけが見事になくなった、美幸に。
 頭部はある。
 耳もある。だが、そこに見えるのは頭蓋骨と灰色の脳。そして何本か奥歯も見える。半ばで途切れた舌も。そして血と脳漿が混じりあい、絶え間なく流れだしているのも。
 そう、鍋の顔は、今の美幸から欠損した、彼女自身の顔なのだ。
 風歌は恐怖に凍りつく。
 こんなもの、見て平気な方がどうかしている。
「いやああああ!!!!」
 だが、恥も外聞もなく、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにして泣き叫んでいる梓の姿が、風歌の体を突き動かした。
 何か黒いものを握った手を、美幸の体に押しつけた。その場所が一気に燃え上がる。
「っ!?」
 我を忘れていた梓も、突然生じた炎に驚いたのか、はっとなる。
 そして改めて、その顔に恐怖を宿し、大きく後ずさった。
「逃げよう!」
 風歌に手を引かれ、梓はその場を逃げだした。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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