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Fantasy@Earth2 幸せの住処 作者:黒木美夜

第10回   闇の迫る廊下
 あれから、どこをどう走ったのか、覚えていない。足の遅い風歌も、遅れずについてきた。人間、必死になるといつも以上の力を発揮できるというが、事実なようだ。
「逃げ切れ……たのか、な?」
 ぜいぜいと荒れる息を整えつつ、梓は聞いてみた。聞いても誰にも判らないことは自明なのだが、聞かずにはいられなかった。
「た、たぶん……」
 梓ほどではないが、風歌も息が上がっている。
 だが美幸は平然としている。たしかに、彼女の運動神経はたいしたものだが。
「………………」
 その美幸を、風歌は少し怯えた目で見ている。そして、自分の手を見た。彼女の表情にしめる不安が、より大きくなった。
「これから……どうしようか?
 美幸ちゃん、もう資料の整理なんて危なくてできないし……」
 あの闇がなんだったのか、あえて考えないことにした。考え始めるとどんどんと怖ろしい想像をしてしまいそうで。
「外も暗いしさ……。今日はもう、帰らない?
 ……っていうか、暗すぎない?」
 廊下はぽつぽつと灯りが点いているから気にならなかったが、窓から外を見ると真っ暗だ。日が暮れるのが早くなったとはいえ、まだこの時間では薄暗いという程度のはず。それに、たとえ夜でも、人家や街灯の灯りが見えるはずだ。
「外が……見えない、ね……」
 風歌もその異常に気づいたらしい。
 一見、窓に黒い紙でも貼り付けたようにも見えるが……それならば彼女たちの姿がガラスに映るはず。けれど窓は全ての光を吸収してしまったかのように、何も映しださない。
 カサカサカサ……
「え?」
 不審な音に、天井を見上げる。
「……ひっ!」
 天井を埋め尽くす、無数の虫、虫、虫、虫……。
 それが数え切れないほどの足を蠢かし、三人の少女達に近づいてくる。
「に、逃げようっ!」
 言い出したのは誰だったか。
 声に押されるように駆けだした梓達の頭上に、バラバラと虫が降ってくる。蜘蛛もいる、ゲジゲジもいる、ムカデもいる。得体の知れない虫もいる。
「…………っ!」
 気持ちの悪さに悲鳴もでない。
 それを必死に振り払いながら、少女達はひたすら逃げた。

 いつのまにか虫はいなくなり、風歌達は一階まで逃げていた。
「そこから、出よう」
 梓が指さした先には中庭への出口がある。ただ、いつもは開いているそれが、今はぴったりと閉ざされているが。
「あれ……」
「どうしたの?」
「開かないよ、これ……。鍵かかってるのかな?」
 まだ部活動がある時間帯だから、まだ管理人も鍵はかけないはずなのだが。今日は部活をしている様子もなかったし、普段より早く鍵を閉めてしまったのだろうか。
「ねえ……、やっぱり、変だよ……」
 『闇』や虫に追われていたときは、余裕がなく忘れていたが、風歌は梓達の知らない方法で助けを呼べるのだ。
 だが、いくら呼びかけようとしても、克樹も聖良も応答がない。二人ともが同時に町を抜けるということはないはずだ。不測の事態に対応するために。
「ん? そりゃあ……虫があんなにいるってのは……」
 梓は、風歌ほど危機感を持っていないようだ。虫に追われていたときは、悲鳴をあげ、必死に駆けていたというのに。美幸に至っては、さっきから何も発言しない。
「普通、ないことだと思うけどね。
 職員室、行ってみようか。途中に開いてるところがあるかもしれないし」
 肩をすくめ、梓は歩きだす。
 他にどうすることも思いつかず、風歌はその後を追った。最後に美幸が続く。
 廊下に淀む闇が、ほんの少し、深くなった。

 途中、外に出るための扉は全てが固く閉ざされ、そしてやはり、どこからも外は見えなかった。
 教室側のガラスに映った自分の姿に、風歌はびくりと震える。
 一瞬、そこに映った顔が、ニタリと笑ったように見えた。
「灯り点いてるし、先生誰か残ってるよ。これで帰れるね」
 梓の口調からは問題は外に出られないことだけのように聞こえる。もうすでに、外が見えないことに対する疑問も、虫や闇に襲われた記憶も、日常の変わらぬ光景の中に埋没してしまったような。
 なにかの魔法の気配を感じる。そう言った聖良の言葉が、風歌の中で繰り返される。
 自殺者が出ても、無数の虫に襲われても、『何事もなかった』ことにしてしまえる、そんな未知なる力。
「失礼しまーす」
 ガラガラッと戸を開けると、黙々と仕事をしている教師達の姿があった。
 ほっと安堵する梓のため息が聞こえる。
 やはり彼女も、無意識のうちではこの状況下に不安を抱いているのだ。それを普段感じていないだけで。
「あの……校舎の外に出られなくて。鍵、開けていただけますか?」
 梓が声をかけると、教師達は一斉に立ち上がった。
「っ?!」
 そして、全員が同時に彼女たちを見る。
 寸分のずれもない、まったく同じ動きで。
 貼りつけたような笑顔を浮かべて。
『貴女たちは帰ることはできない』
 異なる声が、全く同じタイミングとイントネーションで唱和する。
『我が主への捧げものに選ばれたのだから』
 丁寧だが、傲然とした口調で言う、声、声、声。
「なにっ……?」
『光栄に思うが良い』
 怯え、戸惑う風歌と梓を尻目に、声は言う。高らかに、唄うように、そして無慈悲に。
「に、逃げよう!」
 過ぎた危険は忘れる梓も、目の前に差し迫った危機には、きちんと反応する。
 三人は廊下を走る。
 走って、走って。
 それでも、足音は離れない。
 多くの人間の、歩く足音。ゆっくりとしたその音が、駆ける少女達から離れない。
 そして、廊下はさらに暗さを増した。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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