東京も郊外となると緑が多い。 ちょっとした森に囲まれて、煉瓦風の外装に覆われた建物がある。 建物は古びているが、そこから連想される廃墟じみた雰囲気はまったくない。その理由は建物の内外を闊歩する、無数の少女達の生みだす活気だ。 屋根に掲げられた十字架から、ミッション系の女子学校であることが容易に見て取れる。年齢層が広いことから、中高一貫校だろう。 校門脇には「私立 啓明女子学校」と書いてある。 どうやらちょうど終業時間らしく、何人かは校門をでて、帰路についている。もっとも、全員が同じ方向に向かっているので、全寮制なのだろう。彼女たちが向かう先には、校舎より少し新しい、やはり煉瓦風のタイルを貼った建物がいくつも並んでいる。 そして帰らない少女達はおのおのクラブ活動にいそしんでいるのだろう。 テニスやソフトボールをしている少女達、体育館から響くボールと走る音、気配はないけれど文化系クラブも活動しているはずだ。 一見、どこにでもある放課後の風景である。
吉永梓は一人校舎を出てきた。 帰宅部たちの帰宅ラッシュは終わっていて、もう校門周辺に人影はない。 「これ、忘れて帰ったら今日なんにもできないもんね〜」 彼女が手にしているのはフロッピーディスクだ。今日は彼女のクラブは活動日ではないけれど、寮の部屋でやるべきことはたくさんある。 なんといっても、締め切りが近い。 彼女は文芸部に所属している。フロッピーの中身は書きかけの小説。部室に寄ってとってきたのだ。 部室のパソコンは、自分のパソコンを持っていない子に優先的に使わせることになっている。梓は安物だが、親にねだって買ってもらったものがある。 勉強のためだといえば、結構お金をだしてくれるのだ、彼女の親は。 「さて、頑張って続き書かなきゃ!」 梓は小走りに校門へ向かう。 学校の敷地を少しでたところで、彼女の足が止まった。 (うわぁ……) 目にとまったそれを、思わずじっと見つめてしまう。 それというより、「その人」だ。彼女と同じか少し年上くらいの男の子がじっと校舎を見つめて立っている。 教師に隠れて他校の男子とつきあう生徒もいるから、ガールフレンドを待つ少年、それ自体は珍しいことではない。 ただ、思わず感嘆の吐息が漏れてしまうほど、綺麗な少年だったのだ。それに、ただ綺麗なだけではない。 髪は真っ黒で、服装も折り目正しいが地味だ。人並みはずれて優れた容姿以外、人の目を惹く要素はない。 けれど、思わず平伏したくなるような……そんな威厳というか、カリスマというか、そういうものが彼にはある。 (誰だろ……誰かの彼氏だろうけど……) 梓がじっと少年を見ていると、その男の子がふっと彼女を見た。 「え?」 見られただけで、心臓がうるさく高鳴る。 ただ、恋のときめきとは違う。それははっきり自分でもわかる。 怯えているのだ。萎縮してしまうほどの、この少年の何かに。 「君たちは……」 声は案外普通の声で、少年は語りかけてくる。 「何故、おかしいと思わない?」 「え……?」 おかしい? なにが? 梓の頭の奥底が、そんな言葉を紡いでいる。 ここはただの学校だ。おかしなことなど何も……。 「理由を聞いても……無駄か」 気がついたときには、少年は彼女の前を去っていた。 否、普通に振り返り、立ち去っただけなのだが、その動きがあまりに自然で無駄がなく、梓の理解が彼の動きについていけなかっただけだ。 「なん……だったんだろう」 恋人がこの学校にいたわけではなさそうだ。 「でも、ま……ラッキーだったかな?」 全寮制の女子校などに通っていては、男子を見る機会など限られる。それもあんなアイドルも顔負けの綺麗な男の子など、かなりの希少価値だ。 「あ! それより、帰らなきゃ!」 急いで原稿を書かなければ。 梓は慌てて駆けだした。
翌朝。 やや寝不足気味の頭を叱咤激励しながら、梓は教室に入ってきた。 「おはよ〜」 「おはよ! 梓、あんたまた睡眠時間削って小説書いてたの?」 友人の美幸が呆れた口調で問いかけてくる。 「違うよ〜。睡眠時間削ったのは宿題のせいで〜」 まだ高校一年の彼女たちには、受験勉強はまだ遠いものだが、宿題や日々の勉強はやはり切り離せない。 「宿題のせいって……。小説書いた後に宿題やるから、そうなるだけでしょう?」 くすくすと控えめに笑うのは裕子。この三人は高校からこの学校に通っている。どうも、中学からと、高校からのグループとに別れる傾向にある。中学からの通称エレベーター組は、すでに友人関係ができていたのだから、無理からぬことだが。 「あ、それより、まだ聞いてないっしょ?」 「なにを?」 美幸がとっておきの秘密を明かす顔で、梓の頭をぐっと引き寄せた。 活発で行動的な彼女は生徒会で手伝いをしているので、何かと情報を得るのが早い。 「転校生が来るらしいよ!」 「え? こんな時期に?」 全寮制の女子校に、転校生というだけでかなり珍しい。しかもそれが、二学期が始まって一月ほどのこの時期にとなると、その事実を疑いたくなるくらい、稀なことだ。 「そーそー! なんか、外国からきたって噂」 「へえ〜。じゃあ、金髪のクラスメートとか、できたりするんだ?」 それはそれで面白い。英語の発音が抜群なら、在校の学生達の勉強にもなると、学校も編入を認めたのかもしれない、なんてことを梓は思う。 「そうじゃないらしいのよ。帰国子女……だって、ねえ?」 既に話を聞いていたらしい裕子がおっとりと美幸に確認する。 「うん。ただ、どこの国から……ってのは聞いてないけど」 そこだけ少し歯切れが悪そうに、美幸は答える。 「ふ〜ん。そうなんだ」 不明瞭な点はあるが、とりあえず梓は納得の表情をつくった。 あまり問いつめると、美幸がかわいそうだ。 そこにガラガラと教室の扉が開く音が響く。 「席に着いて!」 いつもよりほんの少し早く、担任の教師が現れる。 やはり、転校生のためにホームルームが長引くことが予想されるからだろうか。 「えっと、既に聞いてる人もいるかもしれませんが、転校生です。 羽鳥さん、入ってきて」 「はい」 高い声とともに、女の子が入ってくる。 「きゃ〜! かわいい!!」 同時に、教室中に大合唱が響き渡った。 その少女、やたらと小さいのである。 身長は140cmあるかないか、といったところだ。身体に比例して頭も小さいのでアンバランスな感じはないが、その小さな頭の、鼻や口は小さいのに、黒目がちの目だけは転げ落ちそうなくらいに大きい。中学生どころか、小学生でも通じそうな容貌である。 腕も足も細いけれど、よく焼けた小麦色の肌のためか、華奢だとか虚弱だとかいった印象はまるでない。どちらかというと、マラソンランナーの細さだ。 「はい、静かに!」 ぱんぱんと手を打ち、騒ぐ生徒達を黙らせると、教師は黒板に『羽鳥風歌』と大きく書いた。 「今日からこの教室の一員になる、『はとりふうか』さんです。ずっと海外で暮らしていたせいで、あまり読み書きが得意じゃないそうだけど。 まあ、仲良くしてあげて」 「ヨロシクお願いします!」 身体を半分に折り曲げるような勢いで、風歌は頭を下げた。 その様子に、再び『可愛い』コールが巻きおこる。 「それで、席は……。 吉永さんの隣が空いてるわね。あそこに座って。吉永さん、機器の使い方を教えてあげてね」 全員の視線が、梓とその隣の空席に注がれる。 「はい、わかりました」 梓は立ちあがり、教師の言葉に頷いた後、風歌を手招きする。 とてとてと風歌が着いた席は、窓際、前から三番目、後からも三番目という、空席であるには不自然な位置だ。 この学校の座席はすべて据え付けで、全席モニタがついている。席は一年を通じて変わらない。 何故、そんな中途半端な位置が空いているのか、誰も疑問に思わないようだが。 「ヨロシクね」 隣に腰掛けた風歌が、人なつこい笑みを浮かべる。 「こちらこそ、よろしく。私は吉永梓。梓、でいいよ」 「じゃあ、あたしは風歌でいいよぉ」 にこにこにこと、風歌はやたらと愛想のいい笑みを浮かべている。 梓はそこにやや不自然さを感じたが、それについて考える前に、授業が始まってしまった。
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