「へへへっ」 眼下で騒ぐ人々を、満足げに見下ろして、<蒼の影>は笑った。 目以外を覆う覆面で、顔は判らない。妙にごてごてと巻きつけた布のせいで、体型もはっきりと判らない。かなりの細身のようだが。 「テレビってのは、いいよなぁ」 注目されるのが快感でしかたないといった声音で、<蒼の影>は呟いた。 「まぁ、そのテレビのおかげで、こんなもんしなけりゃならねーわけだけどよ」 邪魔そうに覆面を触る。 人に止められなければ、素顔のまま出向いていたところだ。素顔を曝しても捕まらない自信はあるのだが、絶対に止めろ、と言われてしまった。 「ま、いっか。そろそろショータイムといくぜ!」 ひらりと、屋上から飛び降りる。 歓声が聞こえた。 ゾクゾクするほど高揚するのが判る。 <蒼の影>は空中で身を翻し、屋上から下げたロープを使い、目的の部屋に飛び込む。ガラスが派手に砕けた。 「貴様っ!」 警備の警官が<蒼の影>に飛びかかる。 <蒼の影>は、何かを床に投げつける仕草をした。 ぼふんっ! ピンク色の煙幕があたりに広がる。 「馬鹿め! そう何度も同じ手に……、あ、れ?」 ガスマスクを装備した警官達が、次々に崩れていった。 「馬鹿はどっちだっつ〜の。本気であれが催眠ガスだと……っとと」 慌てて口を押さえ、周りを見回す。 (やべぇやべぇ。監視カメラやマイクが仕掛けられてるって可能性もあんだよな) 余計なことは言わないでおこうと気を引き締めて、目的の絵を探す。 「……おろ?」 下見に客として訪れたときと、同じ場所に同じ絵が掛けられている。 だが。 「ニセモンじゃねえか。舐めたマネしてくれやがって」 覆面の奥の目が笑う。 「オレの目は誤魔化せねぇよ」 覆面の奥で、なにやら呟く。 「ふぅん、あっちか。 ……やっぱ……だよなぁ」 目が、先ほどとは違う種類の笑みを浮かべた。
「<蒼の影>発見! 三階西廊下です!」 制服の警官が無線機に向けて叫ぶ。 その彼の視線の先で、<蒼の影>の派手な姿はマントを翻して消えた。
『こちら第四展示室、<蒼の影>発見しました!』 『第七展示室に<蒼の影>現れました!』 『一階ロビーに……』 『喫茶室に……』 『四階東廊下……』 「ええ〜い! どいつもこいつも!」 本物の絵を前にした俵田警部は怒り心頭なようすで叫んだ。 いくつもの無線の中で、どれが本当の目撃情報なのか判らない。 いや、本当のものなどないかもしれない。 これまでもこんな無茶苦茶な状況に追い込まれて、毎度盗まれているのだ。 「いいか、これはヤツの陽動だ! 決してこの場を動くなよ!」 同じ部屋に詰める部下に命ずる。 ここは、館長室だ。少数精鋭で、本物を守るためにここに隠れている。 「へぇ〜。じゃあ、動けねぇようにしてやろっか?」 人を小馬鹿にしたような声が響く。今までにも聞いた声だ。 「貴様、その声! <蒼の影>! どこにいる!」 警部は立ち上がろうとしたが、尻がソファに張り付いたように、動かない。 「?!」 驚き戸惑う警察官達の前で、館長室の扉が開き、<蒼の影>が堂々と姿を現す。 「貴様、よくもノコノコと……!?」 立てないどころか、指一本動かせない。 「知ってっか、おっさん? 精神は、肉体を凌駕するんだぜ? 動きたくないって心底思いこめば、動けなくなるもんさ。動くな、っておっさんが言ったから、皆動けなくなっちまったんだ。 よかったな〜」 からかうような<蒼の影>の科白に、刑事たちは顔を真っ赤にするほど怒っている。だが、動けないものはどうしようもない。 「こいつは、予告通りいただいていくぜ。 あばよっ」 絵を納めた箱を取り上げると、<蒼の影>は軽い足取りで去っていた。 「あ、あのヤロ〜!!!!」 怒声だけが、<蒼の影>を追いかけた。
その後、気球に掴まり美術館から逃走する<蒼の影>の姿がテレビで放送されたが、テレビカメラと大衆の見ている中、その気球も煙幕に包まれ、いずこへともなく姿を消した。
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