「………………。 と、いうことは、誰かがあの世界を考えたということか?」 「……そうなるね?」 同意を求めて、結花は芽衣を見た。芽衣も頷く。 「……あんな。あんな、貧しくて、苦しくて、辛い……あんな世界を。 豊かなこの世界で、考えたのか? 何のためだ! ひどいじゃないか! 今日も明日も真っ暗な。そして、それを放りだして!」 ばきっ! 手にしていたマグカップが粉々に割れる。 それを目にした芽衣と結花が思いっきり引いている。 「あ、す、すまない。 アタシは力が強くなった<変異体>だから……」 「<変異体>?」 芽衣はカップの欠片を集める。 「……ってゆーか、怪我はない?」 結花は布巾で零れたオレンジジュースを拭き始めた。 「……平気。これくらいで、怪我はない。 アタシの世界では、旧文明の遺したモノのせいで、動物も植物も変な姿になっていた。 ……人間も同じ。人間に都合のいい形で変化したものは<変異体>。悪いものは<異形体>という。<異形体>はときに人の精神まで狂わせて、同じ人を襲うようになる」 「………………」 美星が淡々と語るのは、それが彼女にとって当たり前の世界だったからだろう。結花と芽衣は美星が哀れに思えて、じっと彼女を見つめた。 「……辛い、世界だったんだね」 「大変だったでしょう?」 同情の言葉を投げかけてくる。が、美星はそれを受け取る気にはなれなかった。 「だけど……」 美星の表情から何かを察したのか、二人の顔から同情が消える。 「だけど、アタシは、あの世界を救いたかった。あんな……でも、アタシの生まれ育ったところ。あれ以上、壊れること、嫌だった。 それに、リュージは……。……いや、なんでもない」 「……そうですね」 芽衣は頷き、外を見る。もうすっかり暗くなっていた。 手にしていたカップをテーブルに置く。彼女が持っていたのは先ほど美星が割った物のはずだ。今はヒビひとつ入っていない。 「今日はここまでにしましょう。 結花、美星をお風呂にいれてあげてくださる? 私は、そろそろ……ですから」 「え? ああ、わかったよ。 服は、芽衣の借りていい? あたしのじゃ、サイズがあわないよ」 結花は小柄だ。胸だけは、三人の中で一番大きいが。 「ええ、どうぞ。好きなものを選んでもらってください。下着も、新品がありますから、それをどうぞ。 じゃあ、お願いしますね」 芽衣に見送られ、結花に連れられて、美星は浴室へと入っていった。
「おお〜」 結花が感嘆の声をあげる。 その気持ちは、美星にも判らなくはなかった。 風呂に入る前と入った後の自分は、まるで別人だったからだ。 もといた世界には、風呂はおろか、綺麗な水さえなかった。身体を洗っても綺麗になるのか疑わしいほどに。 「けっこう、美人じゃ〜ん」 髪をドライヤーで乾かしてもらう。汚れて、絡まっていた髪はさらさらと流れるようになっていた。 「明日は、服を買いに行こうか。いつまでも芽衣の服を借りるわけにもいかないしね」 リビングに戻ると、結花はテレビの電源をいれた。 美星が一瞬びくりと震える。 「あ、テレビって始めて? 箱の中に人が入ってるって、驚く人が多いらしいんだ。美星もそう?」 結花は勘違いをしている。 確かに美星はテレビを見るのは初めてだが、それを怖がったのではない。 美星の故郷では、機械は人を襲う怪物だったのだ。人を襲わない機械を、ほんの一握りの人間が使いこなしてはいたけれど。 「最近ね、<蒼の影>っていう怪盗が世間を賑わしててね。怪盗なんて、漫画じゃよくあるけど、実際に現れたコトなんてないし、やることが派手だしってんで、も〜大人気。 今日が四回目の仕事なんだけどね。前回からテレビ中継まで入るようになって」 チャンネルを合わせると、美術館らしい建物の前でレポーターがなにやら喋っている。その背後に、カメラに向かってピースをする野次馬の若者達の姿もあるが。 「まあ、中継っていっても、外から様子を伝えるだけだけどね。さすがに、警察がテレビカメラを中に入れてはくれないし」 「ふぅ〜ん?」 「……それに、盗む物も地味ですよ。知る人ぞ知る、という程度の、榎原法原という明治時代の日本画家、では」 「?」 芽衣の姿になにか違和感を感じ、美星は首を傾げた。 「何か?」 「?……いや。なんでも」 違和感の正体はわからず、美星は視線をテレビに戻す。 『さあ、予告時間まであと五分となりました! そろそろ、何か起こりそうです!』 リポーターが叫ぶ。 そのとき、美術館をバックに、花火がいくつもうちあがった。 『うおおおおおおお』 野次馬の歓声が聞こえる。 カメラは、屋上にすっくと立つ人影を捉えた。
|
|