「じゃあ、この世界についてだね。えっと……どう説明しよう?」 今度は結花が芽衣に助けを求める。 「……美星、あなた、ここに来たとき、見覚えのない光景で驚いたでしょう?」 「ああ。今でも、判らない。ここはどこだ? 世界に、こんな場所があるなんて、アタシは知らない。 アタシ、いろんな所行った。いろんな所から来た友達いた。でも、見たことない、聞いたことない。こんな……豊かな場所」 やはり混乱しているのか、美星の表情は強ばっている。 「お茶でも、淹れようか。それとも、ジュースがいい?」 結花が立ち上がった。美星の緊張をほぐす役に立てば、と思ったのだろう。 「……そうですね、冷たいものをお願いします」 「はいは〜い」 奥の部屋に消えた結花は、すぐにカップを三つもって現れた。 「はい」 美星は渡されたカップの中身をしげしげと見つめる。鮮やかなオレンジ色。 一口、飲んでみる。 「……甘い」 こんな甘い物は、飲んだことがない。 「お嫌いですか?」 「ううん……。おいしい」 もう一口飲む。心なしか、美星の表情が緩んだ。 「話を戻しましょうか。……ここは、『現実の世界』なんです」 「ゲンジツ? どういうことだ? アタシの世界は……?」 「それは、誰かが紡ごうとした『物語の世界』。私や、結花の故郷もそうです。 誰かが、物語を書こうとして、話を考えた後、なんらかの事情で書かなかったり、途中で書くことを止めたとき、本来『本』に封じられるべき『物語の世界』から、人間や、動物や、物……何かがぽろりと『現実』に転がり出ることがあるんだそうです」 美星にはにわかに理解しがたい内容を、芽衣は淡々と話した。 「もちろん、そんなのはかなり稀なコトらしーのよ。現実に現れるのは、常に物語の欠片だけらしいしね。まあ、物語まるごと出てきたら、大騒ぎだけど」 「………………?」 「戸惑うのは無理ないよ。現実とはかなり違う世界設定の物語から来たみたいだし。逆にあたしは、元の世界と違和感なさすぎて、なかなか信じられなかったけど」 結花は肩をすくめてみせた。 「私は、魔法のある世界から来ました。古代魔法帝国が滅びた後にできた、よくあるファンタジー世界に近いそうです。 六系統の魔法と、それぞれを司る神、そしてその六柱の神を奉る六つの国がありました。古代魔法帝国の生体兵器の末裔がいたり……。 かなり、この世界とは違う文化の世界でしたよ」 「あたしはねえ、ほとんどこの世界と一緒なトコにいたんだけど。 実は滅びかけた異世界…<まほろば>…が寄生してるって話でね。あたしは、その異世界人と地球人の混血の子孫なんだって。<まほろば>へは行けなかったけど、合体部分である、<狭間>には好きなところから行けたんだ。 ……さすがに、現実にはそんな空間がないせいか、行けないし……。おかげで、<狭間>でだけ使えた魔法に似た力、使えなくなっちゃったけど。 ああ、通常空間でできたことは、今でもできるんだけどね」 どこか懐かしそうに、二人は自分の故郷のことを話す。 「もっとも、所詮は誰かの空想だったんですけれど」 どこか寂しげな芽衣の表情に、美星は胸のもやもやを吐き出させることにした。 「あれが、誰かの空想なのか? あの痛みも苦しみも? アタシ、覚えてる。敵を倒す感触。傷の痛み。血の熱さ。それに……飢えも渇きも。全部、幻だったのか?」 「……いいえ、違うと思います。誰かの空想でも、その中の人間にとっては、それはきっと現実……。私だってそうです。元いた世界のことが、夢だなんて思えません」 芽衣が遠いところを見るような目で、どこかを見上げる。そこにあるのは天井だけだが。 「でも、事実は事実なんですよ。 ……美星、あなたは、どんなところに住んでいましたか?」 「? アタシは……世界を旅してた。旅に出る前は、<天の樹>に住んでいた。<天の樹>は世界で一番大きな樹だ。幹を一周するのに、まる一日くらいかかる樹。文明が滅んだあと、いろんな生き物がその姿を変えたそうだ。<天の樹>もそのときに大きくなったらしい」 「……そこで、子供の頃、どうやって遊んでました?」 芽衣の質問に、美星は心底戸惑う。 「? ……遊び? ………………。わからない。 いや、きっと遊ぶことなんてなかった。そうだ、きっと。そんな余裕、ない」 あたりまえのはずの質問に、答が判らない。 「……では、そのころ、どんな知り合いがいました?」 「………………?」 答えられない。 知っていて当然のことのはずなのに。 「…………無理ないって」 混乱する美星を救うように、結花が声を投げ入れる。 「あたしもね、答えられなかった。高校の、クラスメートの名前を全員言ってみて、って言われて、もう全然。 でも、言われるまで気づかないの。知ってて当然のことを知らないってことにね」 「私は、元の世界で宮廷魔術師をしていました。第三王子付の。第一王子や、第二王子付の魔術師の名前が判らなかったんです。同僚だから、知っているはずですのに。いたのは確実なんですよ。あまり折り合いが良くなかったのを、覚えていますから」 結花にも芽衣にも、どこか諦めに似た表情が伴っているのは、気のせいだろうか。 「忘れたんじゃないの。覚えていないんでもないの。もとから、その人達には名前が設定されていなかったの。 書かれた物語だって、世界の細部にわたって設定されてるわけじゃない。その世界に住む住人すべてに名前があるわけ、ないもの。 ましてや書かれなかった物語は、かなり世界が未完成なんだよ」 「この数年、素人小説を書く人が増えて、私達のように現実世界に溢れてくる『空想の産物』も増えているそうです。特に、『ファンタジー小説』と呼ばれるものが増えて、現実世界の人間が持ち合わせない力をもった存在が」 私達がその筆頭なんですけどね、と芽衣がつけくわえる。
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