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Fantasy@Earth 作者:黒木美夜

第30回   イーファと女神の物語2
「知性あるとはいえ、魔法も使えぬ幻風情が、何用か」
 氷点下の声が暗い廊下に響く。
「まぁ、そう邪険にするなって。
 オレは、あんたが長い長い眠りについてた間、その身体を守ってきたんだぜ? ちょっとは、感謝してくれてもいいだろうがよ」
「………………」
 氷のように冷たい視線だが、幻覚であるメイは怯んだ様子は見せない。
「そりゃま、いつしか魔法具であんたを封じ込めてたのは確かだけどな……。あんただって、できれば二度と目覚めたくなかったんじゃないのか?」
 メイもメイファンディールとしての記憶を呼び起こすことができた。
 ラーハイトに愛されたわずかな幸福と、彼の期待に応えるために、多くの人々を殺した深い罪悪感と。
「ときが来れば……ラーのために…………」
「どんな苦痛も厭わねぇってか?
 だがな、さっきも言ったように……あいつはここにいない。この世界の何処にもいねぇんだ。ここは、平たく言や異界。後でオレの記憶を探ってもらえりゃ判ると思うが……。
 あいつがこの世界に来ることは、ない」
 メイの言葉に女神の身体がびくり、と震える。
「……その身体は、もともとあんたのもんだ。返せってぇんなら、返すさ。
 ただ……判るだろ? ここでは、世界を滅ぼす必要はない。まもなく、期限の二千年が経つが、あのときの再現をする必要はねえんだ。
 それと……オレの友達が困ってる。できれば……」
 メイは言葉を切った。
 彼女の本体は聞いていない。
「……いない…………ラーが……。彼のいない世界など……」
「!」
 うつろな表情で呟き続けるメイファンディールの姿に、メイは戦慄を覚えた。
 二千年に一度の滅びは、人類の滅亡を避けるため、ある割合以上の人口を残すようにプログラムされている。
 だが、ラーハイトがいないなら、すべてを滅ぼしてしまえという結論に達してしまうのか。この女神ならこの封印空間から脱出するなど容易いことだ。
「やっぱり、その身体、返しやがれ! おまえになんて、預けておけるか!」
 メイは叫んだ。
 もう誰も、自分のせいで死んでいくところなど見たくはない。

「そーいやこの絵、イーファに似てるよな〜」
 エルドリックが絵とイーファを交互に見ている。
 水色の髪、額にある第三の目。それはこの国を守る蒼月の女神の姿。
「確かに……イーファの髪を水色にすれば」
 ジグニスは目を細めてイーファを見た。
 いつのまにか、ジグニスとイーファの仲は噂されるほどになっている。
 種族が違うため、結婚は認められていないし、子供が産まれることもないのだが。
 それ以前に、実際の二人の間には、噂されるようなことは何もない。城でも一、二を争う堅物のジグニスに恋の噂が立ったことが珍しく、話だけが暴走した、というのが実体だ。
「光栄です……。女神・メイファンディールに似ているなんて」
 イーファのはにかんだ笑みが少々、強ばっている。
 フォレスの民に神を信仰する習慣がない故か、それとも。
「……イーファ?」
 表情の不自然さに気づいたのか、ジグニスが気遣わしげに声を掛けてくる。
「ああ……なんでもありません。ごめんなさい」
 ここは城内部の教会だ。イーファがここに足を踏み入れたのは実は初めてなのである。宮廷の人間が祈りを捧げるための場所だから、神を信仰しないイーファが立ち寄らないのは当然だが、今日は誘われて来てしまった。
 まさか、壁に掛けられた女神の絵が、自分の肖像画だなどと言えるはずもない。
「部屋に戻りましょう。リックはどうしますか?」
「ああ、もうちょい、ここにいるよ」
 王子はひらひらと手をふった。本人的には気を使ったつもりだが、もちろんその甲斐なく何も進展がないのは予想の範囲内だ。

 エルドリックがようやく自室に引き上げたとき、バルコニーから不自然なものが見えた。庶民が通うための教会のひとつ、その屋根に人影が見えたのだ。

「まさか、こんなところで会うとはな」
 声を掛けられた方は驚かない。エルドリックの接近には気づいていたようだ。
「会えて嬉しいぜ〜、<蒼の影>」
 語尾にハートマークでもついていそうな口調に、<蒼の影>の冷ややかな視線が返される。
 追う方も追われる方も、不安定な足場でどちらに軍配が上がるかは承知しているので、勝負をする気はないようだ。
「……よく、オレがここにいると気づいたな」
 マナが死んだ遺跡を共に脱出して以来、二人は何度かこうやって会っている。<蒼の影>がいる場所にエルドリックがやってくるというのがパターンだ。
 ただ、王子が怪盗をうまく見つけているのか、それとも怪盗が王子の目につく場所にいるのか、それは本人たちにもよくわからない。
「ん〜、愛の力、かな?」
「……馬鹿。女なら、誰でもいいくせによ」
 エルドリックは、それには意味ありげな目線だけを返した。
「にしても、な〜んだって<悪魔>が教会なんかにいるんだ? ま、屋根だけど」
「自分のアイデンティティについて検証していた」
「は?」
「おまえらが崇めてる女神は、古代魔法帝国の連中から見れば、悪魔そのものだろう。自分たちを狂わせ、殺しあわせた……な」
「おれらの先祖にとっちゃ、救い主だからな〜。ああ、おまえら<悪魔>にとっちゃ、主を滅ぼした元凶かぁ……。
 つってもよ、おまえだって直接見たわけじゃないんだし」
 <悪魔>の寿命は人間と変わらないというのが定説である。
 だから何故<蒼の影>がそんなことを気にしているのかが解らない。
 エルドリックは、月光に照らされた<蒼の影>の怜悧な美貌にしばし見惚れた。
「おまえも、よく見ると似ているかもな。髪の色も瞳の色も。イーファも似ていると思ったが……」
「………………。
 もし。もしオレが、蒼月の女神のように、この国を滅ぼそうとしたら……おまえはどうする?」
「そりゃあ、止めてみせるさ。……愛の力で?」
 ごきゅ。
 <蒼の影>の、無言の拳が飛んだ。

「オレは……リックとジギーのためにも! 二度と殺戮など!
 奴らがいなくても関係ねぇ! オレは奴らに誓った!
 だから、その身体、オレに寄こせっ!」
 <知的完璧幻覚>の勢いに押され、滅びの女神が怯む。
 愛するもののためだけに滅びをもたらしていた女神は、心の支えを失ってもろくなった。
 逆に、大切な人たちのため、そして自分自身のために殺戮を食い止めようとしていたメイは、大切な人々と会えなくなっても、彼らの思い出と絆を支えに、強くあることができた。
 そして、彼女の中で何かが弾けた。
 髪が短くなり、服も動きやすそうな衣装に戻っている。
「………………。思ったよりも、効いたみたいだな、<保険>は。
 ご苦労だったな、消えていいぞ」
 メイが命じると、幻覚のメイが姿を消す。
 そして、成すべきことを成すために、彼女は走りだした。

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Novel Editor