「だが、その前に騒ぎを小さくしねぇとな」 本を結花に手渡し、ふわりと宙に浮かび上がる。 「と、飛んだ?!」 驚く男は無視し、メイはなにやらぶつぶつと呟いた。 「……半径一キロくらいか、あれが見えたのは? それより遠くなら暗いし、見えてもさほど奇怪には思わねぇだろ。このあたりの人口密度からして…………となると、オレの力じゃちぃっと弱いな」 「ちょっと……まさか」 結花があからさまに怯え始める。 「安心しな。あの力のほんの欠片を引きだすだけだ。 ……万が一ってぇときのために、保険はかけてあるしな。……ま、その保険がどんだけ役に立つかは保証できねぇけど」 メイは額飾りに手を伸ばし、中央についた石に少し触る。 「じゃ、行って来るぜ!」 <高速飛行>で飛びだし、あっというまに見えなくなる。 そして、遠くでビルの谷間ごしに、白い輝きが大学を中心とした円を描くように伸びていくのが見えた。 円が繋がってすぐ、メイが戻ってくる。 「ほらよ、おまえらはこれを持ってな」 小さな手鏡を渡される。 「これは……?」 「……忘却は安らぎ。 …………忘れよ」 訊ねる美星を無視し、メイが呟くと同時に、剛と壮平が倒れる。 「おい? 大丈夫か?」 「平気だよ。強引にこの十五分ばかりのことを忘れさせたから、ショックで気絶しただけだ。この半径一キロ内で皆バタバタ倒れてるだろうから、騒ぎにゃなるだろうが……」 「……物語の現実化、について知られるよりはずっとましね」 結花は肩をすくめている。今までにも何度か、こうして記憶操作をしているのだろう。 「鏡、返せよ? オレの精神魔法ですら無効にする貴重なもんだからな。こっちの世界じゃ、同じものはたぶん作れねえし。 で、証拠隠滅もしとかねぇとな。ったく、面倒くせーな」 ぶつぶつ文句を言いながら、メイはあちこち飛び回って<修復>の呪文をかけていく。さらに怪我人には<治癒>を施し、ところどころで人が倒れている以外は、何事もなかったように見えるようにした。 「それより、早く……」 美星だけは、隆の安否が気がかりで仕方ない。本格的に取り込まれていれば、もう助けることはできないのだ。 「わあったよ。オレと手を繋げ。んで、心を空にするんだ……」 手を取り合った三人の姿がかき消える。 後に残されたのは本が一冊。 そして、剛と壮平が意識を取り戻し、立ち上がる。 「……なんで、こんなとこで寝とったんや?」 「……さあ? それより、今日の実験は終わったんだし、帰ろうぜ。隆は、もう帰ったみたいだしな」 何事もなかったように、二人の大学生はそれぞれの家路についた。
「……ここは?」 景色が一転して、美星は戸惑う。 空は灰色をベースに、青、紫、その他諸々の色が斑に入り乱れ、一瞬たりとも同じ姿を保っていない。足下は緑色の土で、左右は奈落の底まで通じていそうな崖、ただ正面にだけ、ぐねぐねと通路が続いていて、美星の世界を滅ぼそうとした憎むべき敵がある。 これが、本の中なのだろうか。 「あたしも初めて入ったけど……。なんか、不気味ね……」 「見え方は人それぞれらしいぜ。無意識のイメージが形になるらしいな。たとえば、オレにはこの道がぶっとい蛇の石像に見えるが……おまえらは違うだろ?」 美星も結花も頷いた。 「…………もしかして」 結花が急に何か思い立ったらしく、ぴっと立てた人差し指で空中に何かを書き始めた。「やっぱり! ここ、あたしの能力が戻ってるよ!」 彼女の指の軌跡は金色の文字が糸状に残っている。ただ、誰も見たことのない文字だが。 「本の中って、あたしの世界の<狭間>に似てるのかも。あたしたちは、呪文を言うんじゃなくて、呪糸を書いて力を使うから。 ……章良にも教えてやらなきゃ」 幼なじみに思いを馳せて、結花がふわりと笑顔になる。 「とにかく、行こう。急がないと……ダメだ」 「ああ、そだな」 メイが三人まとめて<高速飛行>をかけ、道を無視して一気にデスプラントに近づく。 もう少しで入口、というところで、声が聞こえた。 「キサマら、ヨクもわたシをまタこのよウなトコろに、閉じコメテくれタ、ナ」 「?!」 「こいつ、しゃべれるの?」 「そんなはずない! 今まで言葉を発したこと、ない!」 三人は着地し、身構える。 「……今こいつ、『また』って言ったよな……」 「ソウだ、あノ忌々シいボウズの呪縛カラ、ようヤく抜けだせタとイウのに」 「忌々しい坊主って……榎原法原のコト?」 ということは、スピーカーを使って話しているのは、からくり人形に宿っていた怨霊ということだ。 「……よりによって、変なもんに取り憑きやがって。まあいい! 手間が省けたぜ。てめぇなんざ、永久にこっから出してやんねぇからな!」 子供の喧嘩口調でメイが啖呵を切る。やはり、芽衣のときとイメージが違いすぎる。 「……厄介なことに、ならなきゃいいけど……」 その横で、気弱そうに結花が呟いていた。
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