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Fantasy@Earth 作者:黒木美夜

第13回   榎原法原
 美星が現実に来て三日目。
 三人の物語の少女達は近くの美術館を訪れていた。
 ここは<蒼の影>が次の盗みの予告をしているとあって、野次馬たちがどっと押し掛けている。特に、有名でもなかった榎原法原の絵の前は黒山の人だかりとなっている。
 職員が、メガホンを持って、『立ち止まらずにご覧ください』と叫んでいるが、まるで無駄である。もっとも、立ち止まらずにいることが無理なほど混んでいるが。
「……この世界は、本当に人が多いな」
 文明滅亡後の、人口激減世界から来た美星には、人が多くて歩くのもままならない、というのは信じられない現象だ。
「……皆物好きだよねえ」
 結花が呟く。傍目には、彼女もその物好きの一員だが。
「物好き、と思うのは無理がないかもしれませんね。
 二ヶ月前に、この美術館で『榎原法原展』が開かれたときは、それほど観覧者も集まらなかったそうですから」
 日本画に詳しい人々の間では、榎原法原の遺言で、けして一堂に会してはならないと言われた五点の連作を、始めて並べて展示することが実現したとかで、ちょっとした話題になったのだが。
「そりゃ、そうでしょ。美術館なんて、あたしも学校の行事でなきゃ、行ったことないもん。美術部の人とかなら、そりゃあ行くかもしれないけど。おまけに日本画って地味じゃない?」
 ごく一般的な女子高生の感性をもった結花の感想である。
「そうですか? 私は、けっこう好きですけれど。
 ああ、あれですね。話題の作品は」
 身体の身動きがままならないので、芽衣は首を動かしてそれを見た。
 柿の木に猿がいるという図柄で、ぱっと見には特に変わったところはない。ましてや、<蒼の影>などという怪盗が派手派手しく盗みだすような作品には見えない。
「……あれが今度、盗まれるのか?」
「そうらしいですね。……お気づきですか? 部屋の隅にいる人達、きっと警察の方々ですよ。急ごしらえの監視カメラなんかもありますし……」
 薄い笑みを浮かべて、芽衣は周囲に視線を走らせている。
「今から警戒してるんだね」
「……<蒼の影>が下見に来たり、盗むための仕掛けを用意しに来るかもしれないと思っているんでしょう。
 <蒼の影>の外見が判らなければ、どうしようもないでしょうに」
 芽衣の浮かべる『余裕の笑み』の意味が判らず、美星は内心首を捻った。
 <蒼の影>が盗みに成功することが、そんなに嬉しいのか、あるいは警察が失態を曝すことが喜ばしいことなのか。
 ここに来ている野次馬や、テレビ中継を楽しみにしている人々の半数くらいは、<蒼の影>が成功することを望んでいるだろう。退屈な日常の、新鮮な話題だから。
 だが、芽衣がそういうタイプの人間だとは、美星は思っていなかった。人は見かけによらないということだろうか。
 そういえば、美術館に行こうと言いだしたのは、芽衣だったし。
 意外にミーハーなのかもしれない。美星はそう結論づけて、もう一度<蒼の影>が狙っているという絵を見た。
 彼女の世界に絵を鑑賞するという習慣などなかったが、面白いものだとちょっと思う。
 ものの姿をそのまま残すのでなく、心に映ったままを描き、残す。他人と自分と、同じものを見ていても、感じることは違う。
 そういったことは、想像もしたことがなかったが、いいものだと思った。
 あるいは、自分の造り主は、絵を見ることが好きだったのだろうか。
「……この部屋には、窓がないな? どうするんだろう?」
 先日テレビで見たときには、<蒼の影>は窓を突き破って室内に侵入していた。今度はそうはいかない。
「あんな大きな窓があるほうが稀ですよ。絵は、日光で傷みますから」
「通風孔から入ったこともあったし、どうやって入ったか判らないときもあったよね。まぁ、なんでもありって感じだけど」
 先日は、数カ所で同時に<蒼の影>が目撃されたらしい。さらに、警官達が眠りにおちたという。だが、催眠ガスの類は検出されなかったという。
「知ってるか?」
「何を?」
 ふと、近くのカップルの会話が聞こえてきて、美星は耳を傾ける。
「<蒼の影>が狙ってるのは、五点の連作だって話」
「ああ、ワイドショーで言ってたわよ。その五点が揃うと、なにか災いが起こるっていうんでしょ?」
「そうそう。でさ、<蒼の影>はその災いを起こそうとしてるんじゃないか?」
 男の軽い口調からは、そんな話欠片も信じていない、ということが感じられる。
「まっさかぁ。何が起こるっていうのよ?」
「わからねえぜ。榎原法原は坊主だったんだろ? 何かおきそうじゃないか」
 その会話を聞いて、美星は結花の袖を引いた。
「ん? なに?」
「ボウズは何か?」
「え? ああ、美星の世界には、いなかったのね? お坊さん。
 えっと……。神父さんとか、牧師さんとか、神主さんとか……いなかった?」
 問われて、美星はしばらく考える。
「そう呼ばれる人達に、会ったこと、ない」
「そっか……。宗教とかもなかった? 神様とか……」
「神に……祈ってる人はいたけど……。あまり、実感がわかない」
「…………。とにかくね、ここには仏教っていう、神様の代わりに仏様を崇める宗教があって。お坊さんはその仏様にお仕えする人……でいいのかな? あたし的には、お葬式の時に出てくる人ってくらいだけど。
 で、坊主っていうのは、お坊さんの……乱暴な呼び方?」
 あまりにも当たり前の事柄を説明するのは、かえって難しいらしい。
「……そうか。なんとなく、わかった」
 頷く美星を、結花は複雑な目で見ていた。
 本当に、自分の説明で誤解なく理解してもらえたかどうか、自信がなくて。

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Novel Editor