正午を少し回った、照りつけるような陽射しの中だった。成城の三省堂で『タイタンの妖女』を買った私は自宅へと向かう裏道を歩いていた。住宅街の中にある小学校の前を通ると半開きになった校門から勢い良くポニーテイルの女の子が飛び出してきた。小学校の低学年だろうか、透明なビニイルの水着入れを小脇に抱え、ビイチサンダルをぺたぺた鳴らしながら、私の進む方角へ走り去っていく。
そして二十メートルばかり走ると、疲れたのか女の子は歩き出した。私の胸乳にも届かない背丈の女の子の歩みでは、私の健脚には適わない。私はすぐに彼女を追い抜かした。すると女の子はまたぺたぺたと走り出した。そして私より十メートルばかり先行すると後ろを振り返った。陽射しの眩しさに眉をしかめながら女の子は少し得意そうな顔をしていた。それを見て苦笑いしながら、あの年頃はまったく汗をかかないのだろうか、などと思っていた。しかし私の歩幅は大きい。何度も何度も女の子は私の方を振り返り、足を懸命に動かすけれどまた私に抜かされてしまった。そうしたら、また女の子は水着入れを小脇に抱えて走り出し、ぺたぺたとビイチサンダルを鳴らして私を追い抜かした。けれど十メートルばかり先行すると、何を思ったのか女の子はいきなり立ち止まり、道端に寄って、植木の葉をむしりだしたのである。葉をむしっては捨てながら私の方をちらちらっと見遣る女の子に「何をしているのだろう、この子は?」という視線を返して、私はその子を抜かして歩いていった。そうするとまたビイチサンダルのぺたぺたという音が聞こえてきた。女の子は一気に私を抜かすと団地の方に消えていった。ぺたぺたという音は消えた。「ああ、あの子は団地の娘なのだな」と私は一人合点して団地の前を通り過ぎようとした。しかし団地の前の道を歩いていると、まだぺたぺたという音が聞こえてくるのである。団地には幾人かの子どもがいたけれど、彼らはみな立ち止まって話していた。その謎のぺたぺたという音は確実に私をつけて来ていた。あの女の子の姿を探そうとしたけれど、私には団地の樹木や階段に遮られて見つけることはできなかった。
団地の脇を抜けて私は丁字路に突き当たった。そこで振り返ると団地の樹木の中からあのポニーテイルの女の子が飛び出してきて、私が後ろを見ているのに気づくと道の真ん中でぎょっとしたように立ち止まった。笑って、私はそのまま丁字路を曲がった。角を曲がるたびにぺたぺたというサンダルの可愛らしい音が、すでに私が歩いた道から聞こえてきた。私は悪戯を思いつき、道をそれて神社の境内に入った。境内の石畳の道を歩いて横を見ると、神社の石柵の外から女の子が顔を覗かせていた。私は手を振った。それには答えず、女の子はぺたぺたと走り去った。神社の境内を抜けた。最後のぺたぺたが聞こえてくる。私の前を女の子が駆け抜けていき、角に消えた。やがて門扉をしめるような金属音がかすかに聞こえて、ぺたぺたは止んだ。
辺りを見回しても誰もいなかった。真夏の住宅街は静寂に包まれた。私は子狐にだまされた気分になった。
|
|