8.金曜日
約束の金曜日になった。
数学がもともと苦手な私は、数学準備室なんて行ったことがなかった。 私の普段行かない校舎の4階の1番端に準備室はあった。
とりあえず、ノックしてみる。 「どうぞ」 速水先生の声だ。普段のクールモードの時の声。
私はドア開けながら、「失礼します」といって入った。 中に入ると、教室の半分くらいの大きさの部屋に 先生たちの机が4つ並んでおいてあった。 あとは本棚が並べてあり、小さい台所まであった。
部屋の中には速水先生が一人。 「いらっしゃい」 先生は、いつもの感じになって、私を笑顔で迎えてくれた。 今日もジャージ姿だった。
「水曜日はちょうど、クラブが休みでよかったんだけど、金曜日は4時半から体育館に行かなきゃいけないんだ」 「あの、それで私はここに来て何をしたらいいのですか?」 「うーん、俺のひざの上に座って、ずっと俺の事を見ていてほしいと言いたいところだけど、それは無理だろうから、勉強を見てあげる」 ひざの上って…
「はい。でも、数学は中野先生だから、速水先生に見てもらうのはおかしいんじゃないかと」 「俺のほうがかっこいいから、見てもらいたいって事にしようよ」 「そんな…」 なんて人なんだろう、自分のことかっこいいって言ってるよ。 たしかにかっこいいけど。
「俺に見てもらいたいって、頼みにくる子、結構いるんだけど、みなちゃん以外をかまいたくないから、『授業を聞いてればわかるはずだ!』ってお断りしてるんだよ」 「そんなの、先生の勝手でしょう」 「そりゃそうだけど」
結局、いつもの強引さに負けて、 先生から数学を習うことになった。 私は文系で私学を受けるから、数学は受験科目じゃないんだけど。 速水先生は、数学で留年したら困るでしょうといって(しかし、留年したら俺はうれしいとも言った) とりあえず、中間テストに向けて勉強することになった。
それから、毎週金曜日の4時から30分だけ、先生と勉強することに決まった。
先生の教え方は、とてもわかりやすくて面白かった。 中学のころから数学が苦手で、何とか平均点を取るのがやっとだったのに、 今回のテストは、とても成績がよくて、担当の中野先生も驚いていた。
そうなると、なんだか、速水先生にも感謝の気持ちを表すべきかなと思って 手作りのおやつを持っていくことにした。
いつもは速水先生しかいない準備室に 今日は、なんと中野先生もいた。
「あれ、扇原、どうしたの?」 中に入ると、まず中野先生に声をかけられた。 どうしよう… 「えーと、マドレーヌをたくさん焼いたので、先生方にも食べてもらおうと思って、持ってきたんです。どうぞ」 私は、速水先生に渡すつもりだった紙袋を、中野先生に渡した。 「へーすごいね。おいしそう。じゃ、いただくよ。速水君も一緒に食べよう」 「はい」 速水先生は、零下50度って顔になってる。怖い…
「扇原、せっかくだから一緒にコーヒー飲んでいくか」 中野先生は、ミニ台所のほうに向かって歩きながら声をかけてくれた。 どうしたらいいんだろ??速水先生にらんでるよ〜 私じゃなく、中野先生を! 小太りで、良いパパって感じの中野先生は、そんな視線も気づかないで 鼻歌交じりにお湯を沸かしてる。
「今回、テストがんばってたなぁ」 「あ、はい。ありがとうございます」 「受験科目じゃないから、手を抜いてるやつ多いのに」 中野先生は、私の成績がよかったこともうれしいようだ。
速水先生は、ノートパソコンに向かって何か仕事をしている。 いたたまれない気持ちになって、ドアのほうへ向かおうとしたら 「こっちに座ったら」 と速水先生の隣の空いている席を勧められた。 「あ、速水君ありがとねー。扇原、遠慮しないで座りなさい」 中野先生は、ゆっくりコーヒーを入れている。 いい香りがしてきた。
「はい」おずおずと速水先生の隣に座った。 先生から、さっと、何かの紙を渡された。 読んでみると 『俺のマドレーヌを!!くやしー!しかし、俺は寛大なので、許してやろう』 と書いてあり、携帯番号とメールアドレスも書いてあった。 その下に 『今晩、必ず電話をかけてくること』とあった。
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