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稲波〜プロローグ 作者:kig

第7回   サボテンの花
翌朝、目覚めるとベッドに奈津子の姿はなかった。
仕事に出かけたのだろう。

今日、ここに帰って来るのだろうか。
……たぶん帰ってくるだろう。
奈津子なら、僕のとる行動は想定しているだろうから。

僕は銀行に向かい、今月分のお金を下ろした。
そして、最少限必要な衣類をボストンバッグに詰めた。

3月末の日曜日に、残りの荷物を取りに来る旨を書き置きした。
銀行で下ろしたお金は、何故だか冷蔵庫の中に置いた。

ドアの鍵を閉め、部屋の鍵は封筒に入れて一階のポストに置いた。
それから駅前のビジネスホテルに部屋を取った。

今度は独りで部屋探しだ。何故こんなことに……。
僕の独りよがりだったのだろうか。

奈津子との平凡な生活を望んだだけなのに。
平凡な生活ほど、実は築くのが難しいのかもしれない。



3月末の日曜日。僕は残りの荷物を引き取りに出かけた。
前日に「明日行く」とだけ留守電に入れておいた。

ドアを開けると、男物の靴があった。
部屋には上がらず、僕は荷物を受け取った。

奥から僕の名を呼ぶ男の声がした。
シマちゃんだった。

奈津子は僕の正面に立っていた。
普段と変わらぬ、僕の好きな薄化粧だった。
まるで何事も無かったかのように。

そのまま振り返ってドアを開けようとした時、
下駄箱のサボテンが目に映った。

月宮殿がポツンと小さな赤い花を付けていた。
こんな状況でなければ、二人して祝杯を挙げていたことだろう。

僕は黙ってそれを見ていた。
奈津子もそれを見ていた。

それから、僕は「うん」とだけ云って部屋を出た。
ドアを閉める時、その隙間から目を閉じる奈津子の顔が見えた。

玄関の表札から、僕の名前が消えていた。
プラスからゼロに戻ったのだ。
急に荷物も体も重く感じられた。

奈津子と別れて間もなく始まったTVドラマがあった。
主題歌は『サボテンの花』だった。

優しいメロディーだったけど、切ない歌だった。
それは、小さな声で奈津子が口ずさんでいた、あの歌だった……。

まるで今の状況を、あのサボテンが最初から暗示していたような気がした。
苦笑する余裕など、僕にあるはずもなかった。

奈津子と別れてから、僕の生活は荒んだ。
仕事は順調だったが、精神はズタズタだった。
女性に対する不信感ばかりが募っていった。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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