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稲波〜プロローグ 作者:kig

第4回   月宮殿
秋になると休暇を利用しては、度々旅行をした。
旅館では夫婦として宿泊名簿に記帳した。
大人の飯事(ままごと)は楽しかった。

楽しい時間は、あっという間に過ぎてゆき、
コートを着る人も、ちらほら目につくようになった。

通勤途中の車窓の風景はすっかり晩秋の色で染まり、
稲刈りが終わった田んぼには、束ねた藁が並んでいた。

ちょっと前までは、夕日の中で風になびく稲穂が見られた。
その様子は黄金の絨毯のようで、ただ美しかった。
奈津子にも見せたかったが、来年まで待つしかなさそうだった。

「引っ越しは来年の四月でいいかしら?」

奈津子はキッチンで夕飯のロールキャベツを煮込みながら、
ベッドで寝転がる僕に云った。

「そうだな、二月になれば物件も出回るだろう」

「引っ越し費用は大丈夫?」

「案ずるな。冬のボーナスでなんとかなる。それにヘソクリも残ってるしな」

「ヘソクリ?」

「ゴールデンウィークに競馬で稼いだ」

「知らなかった」

「云ってなかったか?」

奈津子との飲食にちょくちょく使っていたが、まだ半分以上残っていた。
ちょっと得意な顔をした僕を見て、奈津子が云った。

「丁度良かったわ。ベッドも新しくしたかったの」

「駄目だよ。これは出産費用の一部に充てるんだから」

奈津子はレンジの火を止めて、僕の傍に来た。
そしてベッドに寝そべる僕のお腹の上にまたがって云った。

「出産の為には、良いベッドも必要でしょ?」

「……。ベッドのマットは堅いのにしてくれ」

「はい」と返事をして、さっそく奈津子は家計簿を広げた。
それから、嬉しそうに買い物予定の欄にベッドと書き込んだ。

「それで、部屋は2LDKでいいの?」

「うん。当面は二部屋でいいかな」

「寝室と……、もうひとつは趣味の部屋にするの」

「趣味?」

「私はロクロを回して器を焼いて……」

「僕は?」

「とりあえず、机を置きましょう」

「机?」

「来年からは司法試験、受けるんでしょ?」

「趣味で受ける訳じゃない」

奈津子は身振り手振りで、
部屋に置く家具の配置をこと細かに説明した。

カーテンの色は淡いグリーンにして、
壁にはモネの複製画を飾るらしい。

「私は、机に向かうあなたにココアをいれるの」

「それで?」

「あなたは、ただ、ウンと返事をするの」

「そうなんだ」

「年が明けたら、部屋探しね」

「そうだな」



寒さの厳しい季節になっても、二人で暮らす部屋は暖かい。
やはり、一人よりも二人なのだと、しみじみ思った。

これが三人なら……。僕らはそれを想像して胸をふくらませた。
しかし、子宝に恵まれることなく、新年を迎えた。

僕はキッチンのテーブルに夕刊を広げ、
奈津子は夕飯の支度をしていた。

今日のメニューは寄せ鍋だった。
薬味のネギを切るまな板の音が、耳に心地よかった。

「引っ越しに備えて、今から荷物を整理しておかないとな」

「大変だわ。意外と荷物もありそうだし」

「二屯車で足りるだろ?」

「そうそう、トラックの手配はしておいたから」

「まだ引っ越し先も決まってないのに?」

「知り合いにね、頼んでおいた」

「気が早いな」

「だから、あとは部屋を決めるだけ」

僕は新聞を捲るだけで、何も目に入らなかった。
トラックを頼んだ知り合いが誰なのか気になった。

「その……、さっき云った……知り合いって誰?」

「気になる?」

「いや、別に……」

「シマちゃんよ」

「なんだよ。それなら最初から、そう云えばいいのに……」

奈津子は包丁の手を止めて、僕の顔をのぞき込んだ。

こんな時、僕は少し眉間にシワを寄せて、嫉妬混じりの困った顔をするらしい。
奈津子は、その表情がお気に入りのようだった。

「あなたの、その顔が見たかったのよ」

そう云って、満足したように微笑んだ。
それは母親が子供に対するそれに似ている気がした。

「とにかく安心だな。なんたって、シマちゃんはプロだから」

島村さんも『BAR バク』の常連さんで、特に僕らとは親しかった。
五つか六つ年上の頼りがいのある男性で、運送会社で運転手をしていた。

僕らにとっては良き相談相手であり、兄貴的存在だった。
シマちゃんはバツイチのせいか、僕らが付き合い始めた当初から、
暖かく二人を見守ってくれていた。

「あのサボテンの花、春には咲くかな?」

奈津子は下駄箱の上に置かれた白い鉢植えを見て云った。
僕は色褪せない黒い鉢にしようと云ったが、
奈津子は、白は私のラッキーカラーだからと言い張って、
頑として譲らなかった。

まさに白黒つける論戦を展開したわけで、
結局、次に買う時はグレーにすることで意見の一致をみた。
洒落たわけでもないが、灰色決着というのが気に入らなかった。

僕は、正直どちらでも良かったのだけど、
奈津子はかたくなに白にこだわった。

「アレはなかなか咲かない品種なんだろ?春に咲くらしいけど」

「新居で咲くといいわね」

「楽しみではあるな」

植えてあるサボテンに比べて、鉢が少し小さく感じた。
サボテンというものは、大きくはならないのだろうか……。

「きっと咲くわ。そんな予感がする」

奈津子は下駄箱に近寄って、云った。

「どうすれば咲くんだ? 特別な肥料とか必要ないのか?」

背中を向けたまま、奈津子は顔を近づけて、じっとサボテンを見つめていた。

「咲かそうなんて思わないで、愛情を込めて枯れないように育てることが大切なの」

「愛情を込めて枯れないように……か」

「愛情にまさる肥料はありません」

奈津子はそう云って、子供をあやすみたいに、
サボテンのトゲトゲを「こらっ、どうだっ」と指でつついていた。

「僕も枯らさないでくれよな」

すると奈津子は僕の後ろにまわり込み、
背中から抱くように両手を回した。

そして、耳たぶを優しく噛んだ。
背中に電流が流れ、僕はぴくりとした。

耳元で囁くように奈津子は云った。
「今夜の肥料は、スペシャルよ」

下駄箱の上に置かれたサボテンの鉢植えは、去年の春、
一緒に暮らし始めた頃に、フリーマーケットで買ったものだった。

月宮殿(げっきゅうでん)というサボテンは三月頃に赤い小さな花をつけると聞いた。
サボテンの花は普通は夜閉じるが、この花は夜間も閉じないのだ。
花は夜昼なく一週間咲き続けるという。

しかし、なかなか花が咲かないのが難点らしい。
何年かかるのかも分からない。
だけど「夜昼なく一週間咲き続ける」という話に、僕らは惹かれた。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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