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稲波〜第一部 作者:kig

第6回   合田(ごうだ)メモ
「代議士の合田虎雄は、几帳面男でな。いつ何処で誰と会ったのかを詳細に
書き留める習慣があったらしい。もちろん、金の流れも含めてな。その手帳のことだ」

「手帳? 合田メモとは手帳のことだったのか」

(奈っちゃんが云っていた手帳って、まさか……)

「それを秘書の河合悟郎が持ち逃げし、島崎に手帳の一部をコピーして渡してリークした」

「島崎? そいつは何者だ?」

「自称フリー・ジャーナリストさ。以前からウチの編集部にネタを持ち込んでいた。
ヤバイこともやっていたようだ。強請(ゆすり)とかな」

「まさか、島崎という男は、そのネタをお前の編集部に?」

「ああ、そうだ」

「他にも、もっとまともな週刊誌はあるだろうに……」

増岡は、腹を立てることもなく苦笑した。

「島崎の奴を、まともに相手するのはウチくらいだからな。
持ち込むのはガセネタばかりだがね。
ただ、島崎は裏社会の事情に精通していてな、その点だけは俺たちも評価していた」

「どうして秘書の河合は、そんな奴にリークしたんだ?」

「島崎とは、集団就職の取材を受けて以来の付き合いらしい」

「集団就職?」

「河合は中学を卒業と同時に集団就職で上京したんだ。島崎も昔は新聞記者だった」

「それにしても、なぜ、河合は手帳の持ち逃げなんてマネを?」

「その前に話しておきたい事がある。今日のニュースは見たか? 一家四人のガス中毒事故だが」

「ああ……」

順一は数時間前の出来事を、遠い昔のように感じていた。

「ガス中毒事故のあった家の主は、佐藤和夫というんだ。
さっき話した白鷺土地興業の社員だ。俺は何か裏があると感じた。
無理心中の可能性は否定出来んが……俺は他殺だと考えている」

(奈っちゃんの父親のことだ……)

「五年前の事件は、まだ終わっていないというのか?」

「まあ、そんなに急かすなよ」

増岡は、秘書の河合と佐藤和夫との関係を順一に話し始めた。

合田の秘書の河合悟郎と白鷺土地興業の佐藤和夫は幼なじみだった。
二人は同い年で、北海道出身だった。

集団就職で上京して工場で働き始めた二人は、
何年も夜学に通って高校を卒業した。

その後、河合は大学に進み、優秀な成績で卒業したあとは故郷に帰って公務員となった。
人並みに家庭も持ったが、幸せは長く続かなかった。妻子を交通事故で失ったのだ。

その時に、一人取り残された河合に声をかけたのが合田だった。
建設課に勤務する河合は、合田とは市会議員の頃から面識があった。
そして、河合は再び上京し、合田の秘書となった。二十年前のことだった。

「代議士の合田も、北海道出身だったのか?」

「お前も、スポーツ欄だけでなく、政治欄くらい読めよな」

「それで、佐藤は?」

「佐藤はだな……」

増岡は話を続けた。

佐藤は厳密に云えば北海道出身ではなく、東京出身だった。
幼い頃に養子として、北海道に住む遠い親戚に貰われた。

終戦直後でもあり、生活に貧した両親の悲しい決断だったのかもしれないが、
結果的には、捨てられた形になってしまった。

子供の頃から邪魔者扱いに嫌気がさしていた佐藤は、
家を出ることばかり考えていた。

河合と共に夜学に通って高校を出た。
結婚してからは妻の姓を名乗り、
娘の奈津子を儲けた。

「佐藤は婿養子だったのか?」

「邪魔者扱いされた家の姓を名乗るのは、抵抗があったんだろうな」

婿養子といっても妻の両親と同居する必要もなかった。
暮らしは裕福とは云えなかったが、暖かい家庭を築いた。
一人娘の奈津子には、特に優しい父親だった。

その後は不動産の資格も取得し、白鷺土地興業に入った。
定年後は、街に根付いた、小さな不動産屋を開業するのが夢だった。

白鷺土地興業の社員と云っても名ばかりで、
フルコミッションの営業マンだった。
成績を上げないと給料は一円も貰えない。

バブルのような高景気の時は収入も多いが、
そうでない時は死活問題だった。

「土地バブルが、いつまでも続くわけないしな」

「佐藤は実直な男でな、生活は地味だったようだ」

「バブルで儲けた金を、派手に使ったりはしなかったのか?」

「ああ、だから金には困っていなかったらしい。不動産屋を開業する夢もあったしな」

河合と佐藤は無二の親友同士であり、
信頼関係が揺らぐことなど一度もなかった。

「二人とも、苦労人なんだな。真面目な人間ほど生きるのが難しい世の中なんて」

「それで、河合は秘書となってからは、身を粉にして合田に尽くして来たのだが……」

代議士の合田虎雄には、放蕩息子の慎一がいた。
コネを使って就職は出来たが、
慎一の放蕩ぶりはおさまるどころか、ますます度を超していった。

秘書の河合は、ことある毎に慎一を、諫(いさ)めていた。
ひとり息子に手を焼く合田だったが、
慎一の他に跡継ぎはいなかった。

政治にはまったく興味の無い慎一だが、権力にだけは執着があった。
心を入れ替えて合田の跡を継ぐ条件として、
慎一は、自分に口うるさい河合の解雇を要求した。

「バカ息子、丸出しだなあ」

「将来、こんなバカ息子が先生と呼ばれるんだぜ。やってられないぜ。まったく」

「それで、河合はどうなったんだ?」

「秘書として二十年も仕えてきた河合は、合田ファミリーの一員として、
自分は、なくてはならぬ存在だと自負していたんだが……」

「クビにされたのか?」

「ああ、合田はひとり息子の要求をのんだ」

「気の毒な話だな……」

「馬鹿な子供ほど可愛いと云うだろ。それで腹いせに手帳を持ち出したわけだが、
結局自殺した。捜査はこれからという矢先だった。あっけない幕切れだ」

「河合は、合田を家族のように思っていたんじゃないかな。孤独感に絶望したのかもな」

国有地払い下げにまつわる贈収賄を島崎にリークした河合だったが、
結局、合田メモは自作自演だったという内容の遺書を残し、ビルから投身自殺した。

「最後まで、合田に忠義を尽くしたのさ。悲しい話だ」

「それで、手帳は合田の手に戻ったのか?」

増岡は首を横に振った。

「それきりだが、たぶん、佐藤が知っていた……いや、持っていたはずだ」

「まさか、誰かが手帳を取り戻す為に、佐藤一家を事故に見せかけて……」

順一には、それ以上、云えなかった。
増岡が、その後を続けた。

「俺は、事故に見せかけて始末したと考えている。手帳がどうなったかは、定かじゃないが」

「いったい、誰が?」

「さあな」

「増岡。お前の考えた通りだとしたら、あまりにも非情だな」

(奈っちゃんも、死んでしまったのだ……罪のない幼い子まで……)

順一は目を閉じて、うなだれた。
増岡はその様子を見て、注意を向けさせるように云った。

「それと……河合がリークした島崎だが、今年の春に殺された」

順一は顔を上げ、解せない様子で増岡の顔を見た。

「殺されたのか?」

「ああ、ネクタイで首を後ろから絞められてな」

「五年前の件と関係があるのか?」

「殺される直前に、佐藤と会っていたという情報もある」

「誰から聞いた?」

「情報ソースは云えない。それが、ルールだからな」

「だから、佐藤は警察から手配されたのか……」

「手配? 佐藤は手配などされていないぜ? それは確かだ」

(なぜ、奈っちゃんは、父親が手配されていると云ったのだろうか……)

「森下。お前なにか知ってるのか?」

順一は、しばらく黙り込んだ。

「五年前の事件のあらましは、そんなところだ」

「合田メモか……その手帳がみつからない限り、枕を高くして眠れない奴がいるんだな?」

「ああ、今でもその手帳の存在に、びくびくしてる奴がいる」

「そんな奴は、合田と、……シリウス工業、或いはソラリス電機の関係者か」

「そういうことだ」

そう云うと、増岡は店の奥にある公衆電話に向かったが、
ほどなく戻って来た。

「俺は、これから行かなきゃならん所があるから……」

「そうか、僕はもうしばらくここにいる」

「また、何か分かったら連絡する」

増岡はテーブルにあった伝票を掴むとレジに急いだ。
順一は椅子に座ったまま、増岡を見送った。

順一は、妙だと思った。
五年前の事件を調べて欲しいと頼んだ時、
増岡は、その理由を聞かなかった。

(普通ならば、何故その事件に拘るのか、この場で僕に尋ねるはずだ)

(増岡は、僕が五年前の事件に興味を示す事情を知っているのか?)

(それとも、僕が事件に拘ることに、興味が無いだけか……)

いつのまにか、外は雨だった。
順一は窓ガラスに垂れる雨を見ていた。

(雨の日の屋台で飲む酒は、格別に旨かったよな……奈っちゃん)

(そろそろ、おでんの美味しい季節だよ……カラシはちょっぴりで、香りが大事……)

順一の目から、光るものが一粒こぼれ落ちた。

雨で濡れたアスファルトの道路には、信号機の灯りが照り返し、
殺風景な深夜に彩りを添えていた。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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