稲波〜第一部

作者：kig

第5回 　 バブル

コーヒーには手をつけず、順一は煙草を吸いながら増岡を待っていた。 三本目の煙草を咥えた時、窓越しに増岡が順一を見つけて手をあげた。 向かいに座った増岡は、ビールを注文して、ショルダーバッグを横に置いた。 「その上着、窮屈そうだな」 順一に云われて巨漢の増岡は、肩を回した。 「安月給だから、服も新調出来やしない」 「会う度に、太ってる気がするが……」 「ラグビーをやってた頃が懐かしいよ」 増岡は笑顔でそう云うと、上着のポケットから煙草を取り出した。 順一はそれを見て、少し驚いた。 「いつから煙草を？」 「二年ほど前からだ。そういえば、おまえの前では吸ってなかったかな……」 増岡は、テーブルに運ばれたビールを喉を鳴らして飲んで一息つくと、 急に真顔になった。 「さっそくだが、五年前の事件のことを調べてみた」 「僕も新聞記事には目を通したんだが……」 「舞台は北海道だ……」 増岡は残りのビールを飲み干してから、事件のあらましを話し始めた。 「森林公園にする予定の国有地が、地域活性化のための 工業団地建設という名目で外郭団体に払い下げられた。 この国有地払い下げに深く関与したのが、民政党代議士の合田虎雄だ」 合田虎雄は北海道出身で建設族のボス的存在であり、 党三役に名を連ねたこともある大物だった。 「この外郭団体というのが、合田虎雄の云いなりでな」 「国有地だろ？　そんな簡単に右から左へ……」 「合田には、それだけの力があったということさ」 「それで、シリウス工業の役回りは？」 「工業団地の入居予定企業の大半が、シリウス工業と、そのダミー会社だったんだ。 後にシリウス工業はその殆どをソラリス電機に転売した。現在のソラリス電機道南工場だな」 「それで、金の流れは？」 「白鷺土地興業という会社が二束三文の荒れ地を買い、 後に、それを何倍もの価格でソラリス電機が購入している。 その金が白鷺土地興業を通して、少しずつ合田に還流したわけだ」 「見え透いたことを……」 「ああ、みえみえだ。そして、お前はソラリスの社員なわけだ」 増岡は笑い、ビールのおかわりとサンドイッチを注文した。 「その、白鷺土地興業ってのは？」 「合田のスポンサー企業さ。裏では金平組とつながっている」 「金平組？　あの暴力団のか？」 増岡は煙草の煙を大きく吐いてから頷いた。 「じゃあ、シリウス工業はソラリス電機の露払いということか？」 「ソラリス電機にしたら、万が一に備えてのトカゲの尻尾だな」 「しかし、シリウスがそこまで義理立てする必要があったのか？」 「当時、シリウスは大量の不良品を納品してしまってな、 ソラリスから賠償を求められていた。ニュースでは流れなかったがな。 それにソラリスに切られたら、シリウスもお終いだ」 「知らなかった……」 「それで、土地投機に手を出してしまったのはいいが、資金不足を懸念していたのさ」 「土地投機？　それなら、儲けた金をまわせば……」 「金はいくらあっても足りないさ。金の切れ目が縁の切れ目だ。引き際が肝心なのさ」 「当時の銀行は、いくらでも貸し出したんだろ？」 「何の利用価値も無い土地が担保になること自体が異常で、 規制されるのは時間の問題だった。シリウスにとっては後発の部門だから、 途中で時間が足りないと考えたのだろう」 地価の異常な上昇を抑えるべく、金融政策が引き締めに転じるのは明らかだった。 実際にはその前から段階的にではあるが、対策も講じられてきた。 しかし、さほど効果はみられなかった。 その後、一九九〇年四月に「総量規制」が導入され、 銀行はむやみな土地担保融資が出来なくなり、 これが地価高騰の歯止めになった。 「あの頃は、土地ブームも絶頂期を迎える前だったんだろ？」 「プレイヤー全員が勝つマネーゲームなどあると思うか？　 地価の高騰が永遠に続かないのは、みんな知っていた。 あれはババ抜きさ。それにシリウスに選択の余地はなかった」 「最後にババを引いた者が手にするのは、破滅への片道切符か。 とにかく、シリウスはババを引かずに済んで、 それ以来ソラリスとの蜜月関係が続いているのか……」 「ソラリス電機に転売した利益は、シリウスの駄賃となったわけだ。トカゲのシッポ役のな」 「誰がシナリオを書いたんだ？」 「合田なのか、シリウスなのか、それともソラリス……」 （増岡は、それを知っている……） 順一は、増岡の左眉毛が上下するのを見逃さなかった。 それは、隠し事をしている時のクセだった。 「ところで、あの贈収賄疑惑がスクープされるネタとなった、合田メモとはなんだ？」 「それだ。それを話したくて来たんだ」 増岡は、少し声を低くして話し始めた。

Novel Editor by BS CGI Rental
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