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稲波〜第一部 作者:kig

第2回   再起
サワサワと風になびく稲穂の影で、
鈴虫が過ぎゆく秋を惜しむように鳴いていた。

所々に、ポツリポツリと民家の灯りが見えた。
夜も九時になると、この辺りは車の往来もほとんど無い。

玲子は佐藤家の庭先に車を止め、
エンジンをかけたままヘッドライトを消し、
シートを倒してぼんやりと星空を見ていた。

やがて玄関のドアから漏れる灯りに気づいて、
身体を起こし、窓を開けた。

「ごめんね、こんな時間に」

奈津子が申し訳なさそうに云った。

「おじさん、帰って来たんだって?」

「驚いたわ。突然、お客さんを連れて帰って来たのよ。連絡くらいして欲しいわ」

奈津子はちょっと困った顔をしたが、その目は笑っていた。

「こんな時間に、お客さん?」

「ええ、お父さんね、もっと安定した会社に転職出来そうなの」

奈津子は、嬉しさを隠しきれないようだった。

「じゃあ、その人が世話してくれるんだ?」

「そうみたい」

玲子は奈津子が手に提げていた、
ビニール袋が気になって云った。

「それで、用って?」

「これを預かって欲しいの」

奈津子はビニール袋を持ち上げて中身を玲子に見せた。
それは順一と二人で買った、月宮殿というサボテンだった。
玲子も、サボテンのことは聞かされていた。

「どうして私に?」

玲子はあまり気が進まない顔をした。

「深い意味は無いのよ。暫くの間でいいの」

「家族旅行でもするの?」

「いいえ、そうじゃないけど。……迷惑?」

「……、わかった。預かればいいのね」

奈津子は、ほっとした様子で云った。

「ごめんね……」

「おじさんにヨロシク云っておいて。じゃあね」

玲子がヘッドライトを着けてサイドブレーキを戻し、
窓を閉めようとした時、慌てて奈津子は窓に手を置いた。

「それから……私に、もしもの事があったら……そのサボテンは、順一さんに渡してね」

ひと言ひと言、噛みしめるように奈津子は云った。
奈津子の意図が分からず、玲子は怒った。

「え? 何を云ってるの? 縁起でもない」

「もしもの話よ。だから、その時は……順一さんに渡してね。必ずよ……」

玲子は問いただそうとしたが、
こういう時の奈津子は、なにを聞いても答えないのを知っていた。

玲子の返事を待つ間、奈津子は少し寂しそうに微笑んでいた。

「わかったわ」

玲子はそう云って車を出した。
いつもなら、すぐに玄関に戻るはずの奈津子が、
ルームミラーの中で、いつまでも見送っていた。



これといった家具のない殺風景な部屋で、
順一はベッドに寝て天井を見ていた。

(増岡の奴、何やってんだ……)

増岡大輔は学生時代の友人で、週刊誌の記者をしている。
週刊誌といっても、グラビアばかりが目立つゴシップ専門の雑誌だった。

特に親しく付き合っているわけでもなかったが、
年賀状のやりとりは今でも続いていた。

たまに思い出したように連絡しあっては、
酒を飲む程度の付き合いだった。

順一は、五年前に起きた事件の詳細を聞きたいと
連絡を入れていたが、それから半年以上、なしのつぶてだった。

図書館で新聞の縮刷版を読んではみたが、
とても満足出来る内容ではなかった。

順一が(事件は終わっていないのか?)と聞いたとき、
増岡は(その事か……)と何かを知っている様子だったが、
(時間をくれ)といったきり、今日に至っていた。

順一は、奈津子に会って詳しく聞くことも考えたが、
それは増岡の話を聞いてからにしようと決めていた。

(奈っちゃんに、会いたい……)

目を閉じて溜息をついた時、電話が鳴った。

(こんな時間に、誰だ?)

時計は夜中の一時を回っていた。

「はい、森下です」

「脇田だけど……」

「あっ、先輩でしたか」

脇田政志は、順一が勤めるソラリス電機の第一営業部渉外課の課長である。
順一よりも十歳年上で、面倒見がよく、部下からも慕われていた。

同じ大学出身というのもあって、順一は特に目をかけて貰っていた。
会社では脇田課長と呼ぶが、それ以外の場所では先輩と呼んでいた。

入社したての頃、新人ばかりで海水浴に行ったことがあった。
脇田夫妻もお目付役として参加していた。

その時に順一は潮に流されて溺れかけ、
脇田は命を賭して順一を助けた。
順一にとって、脇田は命の恩人でもあった。

四年前に三十二才という若さで課長に昇進。
ソラリスでは異例のことだった。
三十代のうちに部長になるだろうと社内では噂されていた。

「夜遅くすまん」

「いいえ、気にしないで下さい」

「全然、気にしてない。ははは」

受話器に笑い声が大きく響いた。電話は酒場からだった。

「先輩、ご機嫌ですね? 何かいいことでも?」

「まあな。それより、明日はヒマか?」

「ええ、予定はありませんが」

「なら、ウチに来い。昌子も会いたがってる」

「はあ……それは、かまいませんが」

「こういう時は、是非、伺わせて頂きますと云うんだ」

「わかりました。是非、伺わせて頂きます」

「じゃあ、待ってるから」

「はい。失礼します」

脇田には、妻の昌子と四才になる娘の絵美子がいた。
順一が脇田のマンションを訪ねるのは一年ぶりだった。

(絵美ちゃん、大きくなっただろうな。そして奈津子の子供も……)

最近の順一は、奈津子とやり直すことを真剣に考えていた。
三月に、玲子の話を聞いてからの数ヶ月は後悔ばかりだったが、
今の順一は、いたって冷静だった。

(きっと、うまくいく。出会いからやり直せば良いのだ)

(僕には奈っちゃんが必要だ。奈っちゃんの弟……子供は二人で育てよう)

(三人家族から、始めよう。奈っちゃんは、どんな顔をするだろうか……)

(今夜は、いい夢が見られそうだ)

順一は、笑みを浮かべて目を閉じた。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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