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稲波〜第一部 作者:kig

最終回   居場所
墓参りでとった三連休が終わっても、
順一は部屋に閉じこもったままだった。
今日で無断欠勤も三日を数えた。

テーブルには空のウィスキーボトルが数本。
灰皿は煙草の吸い殻で盛り上がっていた。

煙草の煙がどんよりと漂う部屋で、
順一はベッドに横になったまま、
ぼんやりと天井を見つめていた。

(ママと玲子には、迷惑をかけてしまった)

絵里子の「お願いだから、しっかりして」と懇願する顔が、
目に焼き付いていた。だから、あの後、部屋に帰ってから、
順一は絵里子に連絡を入れた。「ごめんなさい」と。

順一に必要なのは、これから生きていく為の動機だった。
奈津子の死の真相を突き止めるというのは、
動機としては充分だった。あの時までは……。

真実を知ったからといって、奈津子が生き返るわけでもない。
順一は、後悔と絶望に押しつぶされていた。

時計を気にかけることもない。ただ、むやみに時間を過ごしていた。
それでも、生理現象には逆らえずトイレに立った時、
インターホンのチャイムが鳴った。

返事をすることなくドアを開けると、
脇田の妻の昌子が、娘の絵美子を連れて立っていた。

「順ちゃん……」

無精髭でやつれた、生気の無い順一を見て、昌子は絶句した。

順一は、昌子たちを汚い部屋にあげるわけにもいかず、
近所のファミレスに誘った。

「順ちゃん、何かあったの? 脇田も心配してるわ」

「すみません」

「脇田から聞いたんだけど、その……、亡くなった彼女のことかしら?」

(先輩、墓参りのことを、ママたちから聞いたのかな……)

順一は、それには返事をせず、黙ったまま、
絵美子が苺パフェを食べるのを見ていた。

(可愛いなあ……)

「私達に出来ることがあれば、遠慮しないで云ってね。力になるから」

「子供って可愛いですよね」

「順ちゃん……」

「僕も子供が欲しかったなあ」

「まだ、これからじゃないの。チャンスは、いくらでもあるわ」

「でも、奈津子は、もう、いないんです」

「そんなに、彼女の事を……」

絵美子は苺を丸ごと口に頬張り、
目をクルクルさせて、ほっぺを膨らませた。

「絵美ちゃん、美味しい?」

順一が声をかけると、絵美子は目で笑ってコクリと頷いた。

「仕事のほうは心配ないそうよ。だから今週一杯、ゆっくり休んだらどうかって」

来春の新製品キャンペーンの準備で、特に忙しい時期だった。
社内で募集したキャンペーン企画のプレゼンの結果は、どれも一長一短だった。
会議を重ねた結果、順一が立てた企画が採用された。

「僕がいなくても、仕事は……」

「捨て鉢にならないで。いつもの順ちゃんに戻ってよ」

「心配ありませんよ。ちょっと疲れただけだから」

順一は、笑顔を作った。
それを見て、昌子は少し安心した顔になった。

「そうよ、少し休めば、また元気な順ちゃんに戻るわ」

「心配を、おかけして、申し訳ありません」

「やめてよ、他人行儀な云い方は」

昌子は笑いながら、順一の目をじっと見つめた。

「先輩にも、心配かけたこと、謝っておいて下さい」

昌子は、うなづいた。

「あの人、最近、帰りが遅くて殆ど家にいないのよ。そんなに忙しいのかしら」

「そうなんですか?」

順一は、玲子の顔を思い浮かべた。

「酔っぱらって帰ることも多くなったし……こんなこと、今まで無かったのに」

「接待とか……、それに今は忘年会シーズンだし」

昌子は絵美子を見て、少し考え込んだ。

「まさか……浮気とか」

「それはありませんよ。先輩に限って」

「そうよね。あの人に限って、それは無いわね」

「そうですよ」

順一は、精一杯の笑顔を作った。
昌子は恥ずかしくなったのか、話題を変えた。

「順ちゃん、そのセーター、素敵ね。綺麗な白だわ」

「奥さんも、そう思います? これは僕の宝物なんです」

「さては、彼女の……」

昌子は云い掛けて、残りの言葉を飲み込んだ。

「奈津子からの、クリスマスプレゼントなんです」

順一は、大げさに胸を張って自慢した。

「そう……、暖かそうね」

「はい。とても暖かいんです。いつも、奈津子を傍に感じられて……」

順一は、いかにも嬉しそうな顔をしたが、昌子は素直に喜べなかった。
寂しさと、云い知れぬ不安を感じた。

「今週はゆっくり身体を休めて、来週からは気持ちを切り替えてね!」

「僕は、大丈夫ですから。今日は、ありがとうございました」

ファミレスを出てから、順一は絵美子の目線に合わせるようにしゃがんだ。
サンタクロースを連想させる赤いコートは、絵美子によく似合っていた。

「絵美ちゃん、またね」

順一は絵美子を優しく抱きしめた。
絵美子は、ちょっと驚いた顔をしたが、
順一の無精髭を手で撫でて、ケラケラ笑った。

「ジュン、ジュン。おひげがチクチク痛いわ」

順一は苦笑して、絵美子の頭を撫でた。
二人を駅まで送った後、順一は部屋には帰らず、雑踏の中にいた。

(僕の居場所は、もう、ここには無い……)

そのまま、順一は姿を消した。誰に告げることもなく。

街には、クリスマスソングが流れていた。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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