飛鳥が腕時計に視線を落とすと、針は午後十一時五十分を指していた。 深々と息を吸い込むと、横たわる鱗を抱きかかえ、もうすぐ訪れる暗黒の時を迎える為に地下へと降りていった。地下には、父に内緒で造らせた「ルシファーの砦」と呼ばれる魔術儀式専用の大部屋がある。敬愛する悪魔の中でも頭脳明晰で、魔界の最高位に君臨するルシファーに魅了する余りそう名付けたのだ。 少し冷ややかな階段を下りて「ルシファーの砦」の扉を開けた。室内には、先刻指示していた通りの服装で、十二人のメンバーが集まっていた。室内の東側には、大理石で造られた祭壇がある。祭壇の上には、二本のキャンドルとキャリス(金製カップ)、アサメイ(短剣)、ペンタクル、ワンド(杖)、鈴が一つずつ置かれる。祭壇の横には、スウォード(長剣)とロータスワンド(十二色の杖)が置かれている。儀式魔術には欠かせない道具である。 床面も祭壇同様大理石で造られており、中央には大きな魔方円が書かれている。 飛鳥は、鱗を魔方円の中央に寝かせ、手術用のメスでドレスを切り裂き全裸にした。そして、手足を大の字にして縛り付け、黒い布で目隠しをした。「アディオス、鱗…」そう、つぶやいた。
司祭長である飛鳥は、皆の前に雄々しく仁王立ちして説明しだした。 「まず、カバラ十字を行い、その後に暗黒神殿建立儀式を行う。諸君は神経を集中して儀式に挑んでくれ」 彼は、四拍呼吸でリラックスしてから先程のメスを右手に持ち、床に印されたEASTに向いて精神を集中させた。 頭上十センチほどの所に、光輝く球体を想像し、手にしたメスを頭上に伸ばしたかと思えば、光輝く球体から光を引き伸ばすかのようにメスを額に触れ、言葉を発した。 「アテー!」気合の入った力強い飛鳥の声が、壁の四方に響きわたった。 そのまま、胸にメスをおろす。「マルクト!」次は右肩にメスが触れる。「ヴェ・ゲブラー!」 今度は胸に十字をきるように左肩にメスが触れる。「ヴェ・ゲドゥラー!」 そして胸の前で両手を組み、「レ・オラム!」メスの刃先を上に向け、両手にはさんで「アメン!」と唱えた。 今度はアサメイを右手に持ち、再び神経を集中させ呼吸を整えた。 「ここは混沌の砂漠の中央にそびえる神殿なり! 形なく、姿なく、生まれなき闇の勢力たちよ、我に耳傾けよ!我こそ汝らが主、汝らが支配者、我こそ神なり!」 そう祈ると真直ぐ東に進み、地面に向かって空中にアサメイで五芒星(ペンタクル)を描き、「ヤハウェ!」と唱えた。そのまま南方へまわり、同じく五芒星を描き、「アドナイ!」西方へ行き、五芒星を描き、「エヘイエ!」北方へ行き、五芒星を描き「アグラー!」と唱えた。 それから一旦、東向きに戻り魔方円の傍まで来るとアサメイをさしあげて叫んだ。 「我が頭上に、八芒星!」 飛鳥は意識のなかで『混沌の印形(ケイオスのシジル)』を想像していた。 それは円から矢印が八本外向きに出ている。闇の世界とこの世の接点とを表すマークである。 これでケイオスのシジルを頂点に、見えないピラミッド形のバリアーが出来るのだ。 そう、強く念じた後、再びパワーをみなぎらせながら、アサメイを胸元におろした。 「高貴なる暗黒の神殿はここにそびえたり! 我こそ神殿の主、王子にして祭司、第二の太陽なり! 我は神なり! 形なき、姿なき、生まれなき者どもよ、我に耳傾け、聞き従うべし!」 暗黒神殿の建立儀式が一通り終わると、飛鳥は額に汗をにじませていた。
「我は暗黒神殿の主 アスカ・キトウ! 敬愛なる明けの明星ルシファー、もとい『ヘレル・ベン・サハル』にこの乙女の純潔な血を捧げる!」 飛鳥は、既に目覚めてもがいていた鱗の白い肌を、メスで逆十字に深く切り裂いた。 「きゃあああーっ!」 瞬く間におびただしい血液が流れ、脈を確かめていたが彼女は既にこときれていた。
(よし、始めるぞ…鱗、完全な姿で戻って来い!)彼女の左手の薬指にしっかりとキスした。
「我こそ獣の王、王子にして祭司、我こそ神なり! 守護獣(トーテム)よ! 我の声を、願望を聞くのだ! 目前の乙女、伊藤 鱗名の新しい生命の息吹を与えたまえ! 全身に新しい血液そして、心臓を与えたまえ!」飛鳥は何度も繰り返し、そう唱えた。 すると、いつの間にか魔方円内に煙のような物がたちこもった。 他の十二人は、固唾を呑んで見いっていた。
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