翌朝、紫苑 鱗は、窓から差し込むまばゆい陽の光で目を覚ました。 「ここは…? 私一体、どうなったのかな…」 見慣れないベッド、豪華なシャンデリア、アンティークな振り子時計。かすかにラベンダーの香りがする。ふと、サイドテーブルに目をやると、お香が焚いてあった。 「これの匂いだったんだ…」 はっと、気づくと私は裸だった。下着さえも付けていない。もしかして私…誰かに… 涙が出そうになった。それに今日は、雑誌のグラビア撮りと、ドラマの収録があるはず… マネージャーの古田さぁん、どこに消えちゃったのよぉー! ドアが開いた。思わず身を硬くした。怖い、誰か助けて!
飛鳥はやっと目覚めた鱗に、声を掛けた。 「お目覚めかい、お嬢さん。随分熟睡できたようだな。オレは飛鳥。君にどうしても協力して欲しい事がある。別にとって食おうなんて考えちゃいないさ、心配しなくても君の仕事は別の奴に任せてある」 そう言うと手にしていた白いドレスをベッドに放り投げた。 「裸だと寒いだろう…サイズはピッタリだと思う。…メイドに食事の用意を頼んである。鱗、君の大好きなチョコレート・ムースもね」 「えっっ? ほんとー? 嬉しいー」 無邪気な鱗の笑顔を見て、飛鳥は まだまだ子供だなと実感した。 「終わったら隣にあるオレのリビングに来てくれないか」 「あ、あのー、ひとつ聞いていいですか? あなたは私のファンなの?」 「…ああ、もちろん。紫苑 鱗、いや伊藤 鱗名(りな)の大ファンだよ」 「えっ? どうして私の本名を知ってるの? 知ってるのは社長さんだけの筈なのに」 驚愕する鱗に、追い討ちをかけるように話し続けた。 「君の事なら何でも知っているよ。生活苦で父親に捨てられた子供だってね」 「・・・!」絶句していた鱗を横目に、飛鳥は部屋を出た。
飛鳥はリビングでモーツアルトの魔笛をヘッドフォンで聴いていた。いつもなら大音量で聞くのだが珍しい事であった。隣室にいる鱗への配慮だろうか。何もかも忘れて自分に戻れる唯一のひとときだった。 鱗はノックしたが、応答がないのでドアを開け、飛鳥の隣に立っていた。 ようやく飛鳥は彼女の存在に気づき、息を呑みこんだ。 透き通るような肌に、細い華奢な肢体を包む柔らかな白いドレスには、胸元に細やかなビーズ刺繍が施されており、神秘的な鱗のイメージを更に美しく見せている。十六歳には見えないフェロモンを感じさせていた。 飛鳥は戸惑った。鱗の美しさに見とれてしまった。まるで天使そのものだった。 「あの、ありがとう。こんな素敵なドレス…それに食事まで…。私、あなたの事勘違いしてた」 動揺を隠し切れないオレは何とか平常心を保とうとした。なるべく鱗を見ないように言った。 「あ、ああ。まずそこのソファーに掛けてくれ」 そしてオレは、恋人であるミチルの全てを話した。鱗の大ファンであることも。 気づくと鱗は涙を流していた。何か喋ろうとしていた。 「いいよ、君も今まで辛かったんだろ? 寒い北海道で君は生まれてすぐ捨てられた…。シオン修道会の孤児院にいた君は自分の命と引き換えに死んだ母親の事を知り、芸能界で有名になった君に元漁師だった飲んだくれの父が金をせびる…。でも大丈夫だ。ここにいれば君は自由だ。…君に協力して欲しいのは、ミチルに手紙を書いて励ましてやって欲しい。彼女はもう永くは生きられない」 「…ミチルさん、かわいそう…、飛鳥さんも」 彼女は応えてくれた。本当は逢わせてやりたいが、芸能人が来たりしたら大騒ぎになってしまう。 前もって用意してあった可愛いレターセットに書いてもらった。それと、サイン色紙、彼女の写真を何枚か撮ってプリントした。 「オレは生まれてこの方、礼など殆ど言った事がない。でも君に感謝する。ありがとな」 鱗はニッコリと笑った。つられてオレも笑ってしまった。 「ところで、君は彼氏はいるのか?」 首を横に振り、俯いてしまう。 「忙しすぎて、彼氏なんて出来ないよ。でも、お仕事するのって楽しいの。ホントのバージンだよ」 『バージン・ラブ!』彼女は歌を歌いだした。 「振り付けはまだ覚えてないんだ、今度の新曲なんだよー。CMで使われるの」 (ホントのバージンか…おあつらえ向きだ。飛鳥、お前にはミチルしかいない。私情を捨てろ)そう、自分に言い聞かせていた。
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