若い頃、友人に絵描きがいました。 彼女とは同じ中学校で同じ部で、趣味も合ってよく話をしました。 絵描きと出会ってから程なくして、彼女はわたしにイラスト入りの手紙を書いてよこすようになりました。 あとになって知ったのですが、手紙を書くことはその年頃の女の子にはごく当たり前のことらしいのです。しかし当時のわたしには奇妙に思えました。毎日顔を合わせているのにわざわざ手紙を書く意義がわからなかったからです。 手紙の内容はというと、今日クラスでだれだれ君がおもろいことした、おかんとけんかした、兄ちゃんが家に彼女連れてきた、などという普段のおしゃべりと変わらないものでした。 手紙に添えられているイラスト自体も、当時流行っていた漫画のキャラクター、クラスメイトの似顔絵、花や猫など身の回りにあるものでした。 わたしは絵描きからの手紙を楽しみにしていました。彼女の描く絵も好きだったし、文章も滑稽だったし、何より彼女のことをもっと知ることができるようで嬉しかったからです。
一年後、絵描きに変化が現れ始めました。 彼女は死にたいなどと言うようになったのです。 疲れた、生きてる意味がわからない、自分なんてくだらない、死にたい、 絵も、こちらを睨んでいる少女の絵、血を流す男の絵、地面に一人ぺたんと座り込んでいる後姿、切り傷のある腕など、一年前とはうって変わって暗い雰囲気のものばかりでした。 たった一年で彼女の画力はぐんと上がっていましたが、それが余計にリアリティのある不気味さをかもし出していました。 なぜ絵描きがそんなことを言い始めたのか、どうして彼女がそう変わったのかはわかりませんでした。 しかしそんなことばや絵が連ねられている手紙を見るのは悲しく、辛く、それどころかだんだん怖くもなってきました。 毎回絵描きに手紙を渡される度、そしてそれを開く度、嫌な鼓動が止まらなくて、心臓が大音量で自分の脳みそを揺らしているような感覚に襲われるのでした。 どうにかして彼女のその考えを改めさせたくて、いつしかわたしも絵描きに宛てて手紙を書くようになりました。 わたしは絵は描けませんしかなりの悪筆でしたが、同じように自分の気持ちを文章にして吐き出すようになったのです。 すると不思議なことに、自分の中のとある感情に気が付き始めたのです。 今までずっと抱いていたけど何なのかわからなかった感情、つまりフラストレーションやストレス、苛々や鬱積、それに伴う破壊衝動が自分の中に大量にあることに気が付いたのです。 そのときわかりました。 ああ、絵描きは絵や文章を通してずっと自分を表現しているうちに、これに気が付いたんだろうなと。 その後、わたしも絵描きと同じ考えを抱くようになりました。 自分なんてくだらないという虚無感。 誰にもわかってもらえないという孤独感。 わたしたちはお互いにお互いの痛みを吐き出し合うようになりました。
また一年後、絵描きは“月刊お手紙”なるものを始めました。 それは毎月一回、わたしに十数枚ほどの絵と手紙をくれるというものでした。 それは卒業して絵描きと別々の生活になるまでのカウントダウンでもありました。 絵描きの精神状態は一年前よりはましになっていましたが、それでもやはり心の底のネガティブなイメージはぬぐいきれなかったようで、十数枚の絵の中には痛みや血や孤独感などの描写もありました。 そして絵描きは、自分が渡す絵は卒業するまでに全て焼いて欲しいと言っていました。 衝動的に吐き出したものたちだから、その後形になって残ってしまうのが嫌だったのでしょう。 焼いて欲しいと言われてもわたしは生返事をするだけで、絵描きから貰った絵はその後も大切にとっておきました。
絵描きは“学校”という環境を嫌っていました。“イマドキの女子中学生・女子高生”を嫌っていました。彼女達の甲高い笑い声、集団行動、トイレの落書きのようなえげつない陰口、口を開けば恋愛の話、それら全てを鬱陶しがっていました。そしてそれはわたしも同じでした。そのためわたしは常に孤立していました。 しかし絵描きは周りにそれを感じさせることなく見事に“イマドキの女子中学生”と話を合わせ、上手く生きていました。わたしにその器用さはなく、羨ましく思っていました。 しかしその仮面が余計に彼女を不安定にさせたのでしょう。“月刊お手紙”の絵は月によってテーマやイメージや画力ですら随分異なっていました。 “月刊お手紙”には、ストーリーがありました。 5人の“友だち”である男たちのストーリー。 絵描きは、彼らはいちいち口に出さなくてもいい信頼関係で結ばれていると手紙の中で言っていました。 楽しいおしゃべりやおもしろいイベントがなくてもいい、ただそこにいるってだけで充分満足できる信頼関係で結ばれた5人。 それは絵描きの憧れでもあり、生涯彼女が追い求めるであうテーマだったのでしょう。 「ありがとう」 卒業の日、絵描きは最後にそう書かれた手紙をくれました。 ひまわりを手に持って、ウインクしている少年の絵。 ひまわりには彼女特有の丸みを帯びた字で"THANK YOU"と書いてありました。
卒業後、絵描きとわたしは別々の高校に入学しましたが、通学の電車が一緒だったため時々会うことはできました。 その頃にはノートを一冊買って、手紙ではなくそれに書くようになっていました。いわゆる交換日記でした。 高校生になり2人とも携帯電話は手に入れていましたが、お互い決して携帯電話で深い話をしようとはしませんでした。 “そういう”話にこういう利器に頼りたいとは思わない、その意見はお互いに一致していたからです。 高校入学後、絵描きの外見はどんどん変わっていきました。 化粧をし、スカートをぎりぎりまで短くし、制服を崩して着、アクセサリーをし、髪を染め、パーマをかけ、すっかりイマドキの女子高生になっていました。 わたしは、あれほどお互い嫌っていた“イマドキの女子高生”になった絵描きを見て、怒りさえ覚えました。 その頃から、絵描きの絵を描く頻度はどんどん少なくなっていきました。 それでも1ヶ月に1枚くらいの割合でノートの端にそっと描かれる彼女の絵は、数年前とは比べ物にならないほどの出来栄えで、もはやそれは絵画と呼んでもよさそうなものでした。 絵のモチーフは、ティーン雑誌のモデルようなぎらぎらしたアイメイクの女性、煙草を吸うDJなど“イマドキの若者”がえがいてありました。わたしは5人の男の絵や花の絵が懐かしくなりました。 しかし文章については相変わらず、中学生のときと同じ、“イマドキの女子高生”に対する反感、自分達を取り巻く世界に対する苛立ちが綴ってありました。それを見て、不謹慎ながら安心してしまう自分がいました。外見こそ変われど、絵描きはやはり絵描きのままなのだと。ただ表現する方法が変わっただけなのだと。 そう自分に言い聞かせながらも、どんどん着飾っていく彼女を見る度、苛々とどうしようもない寂しさが襲ってくるのでした。 それを彼女に伝えることもできず、彼女に対して苛立ちを覚える自分にもっと苛立って、前々から抱いていた破壊衝動を自分に向けるようになりました。 腕に赤い線が増えていきました。
その頃、わたしは初めて異性を好きになりました。 同じ部活の2つ上の先輩で、よく彼への想いを絵描き宛のノートに書いたものでした。 彼女は喜んで応援してくれましたが、結局気持ちが彼に伝わることはなく、彼は卒業していきました。 その後、今度は絵描きがクラスメイトから告白を受けたと聞きました。 彼は既に付き合っている人がいたのですが、絵描きを好きになってしまったのでその人を振って絵描きに告白したというのでした。 絵描きは、やっぱりそういうのはよくない、と最初は断ったらしいのですが、その人の勢いに押されて結局は承諾したとのことでした。 しかし、そのせいで絵描きは、彼の昔の彼女とそのグループからいじめを受けるようになったのだと聞きました。 絵描きはただ鬱陶しいしイライラすると言っていましたが、傷付いているのだろうと思いました。 そんないきさつのせいか、絵描きはノートの中で、彼に対し想いを綴るのではなくただ冷静に、彼と海に行った、色々話した、彼はこんな人だ、と客観的な描写を綴るのみで、本当に愛情があるのだろうかと疑ってしまうことすらありました。 絵描きが昔語っていた“信頼関係”。絵描きはそれを彼との間で少しずつ成り立たせようとしてるのだろうとわたしは思っていましたが、本当のところは今となってもわかりません。 一度失恋を経験した身としては、人に愛してもらえるのに、自分を認めてくれる人が現れたのに、どうして素直に喜ばないのだろうと不思議に思っていました。
その後、わたしは二度目の恋愛をしました。 彼にははっきりと想いを伝えましたが、断られてしまいました。 そしてそのとき突然、ふっ、と気が付いたのでした。 わたしは“普通の女子高生”にすらなれない。 わたしは絶望しました。 絵描きはいち早く見つけていたのだ。 “普通”になる方法を。 人に愛してもらえる方法を。 わたしは愛してもらえない。 こんな変な人間は愛してもらえない。 わたしは慌てました。 絵描きがどんどん遠くへ行ってしまうのはそのせいだ。 わたしは化粧をし始めました。 スカートもはさみで切って短くしました。 同時に腕の傷は増えていきました。 誰か愛して、 わたしは訴えました。 絵描き宛のノートに、なんとか表現しようとしました。 でもいくら書いても上手く表現できなくて、苛立って、破壊衝動は積もっていくばかりでした。
その後、絵描きは処女を失ったと言いました。 そして気が付きました。
わたしは絵描きに対して羨ましさと、劣等感を抱いてたんだ。 わたしは絵描きになりたかったんだ。 “普通の女子高生”になって、人に愛してもらいたかったんだ。
絵描きはその後、彼とけんかばかりした挙句分かれたと告げました。
わたしはあれほど嫌っていた“イマドキの女子高生”になろうとしましたが、遅すぎました。 既に高校三年生だったわたしには大学入試が待っていて、それどころではなかったのです。 受験勉強も忙しくなり、わたしが絵描きに会うことはほどんとなくなりました。 わたしは必死で勉強しました。 今度こそ、“普通の女子大生”になって、愛してもらうんだ。 孤独感を必死で無視しました。 劣等感から必死で耳をふさぎました。 絵描きからもらった絵を全て焼きました。 絵描きに会いたくてたまりませんでした。
高校を卒業し、大学にも合格し、ふるさとを離れる直前、わたしは久しぶりに絵描きに携帯電話でメールをしました。 遠くに行ってしまったようで、寂しかった、と。 絵描きから長い返信が帰ってきました。
「わたしのことなんか忘れて、勝手にそっちで生きればいい 結局わたしはあんたが卒業後どこに行くのかすら知らないままだ」
涙が止まりませんでした。
「ごめんなさい」
わたしは返事を返すことができませんでした。
“普通の女子大生”になり、5回の失恋を経験した今、わたしには恋人がいます。 ここまでわたしのことを認め、愛してくれる人は生まれて初めてです。結婚も考えています。 彼が傍にいてくれることで劣等感は軽減し、孤独感も随分和らぎました。腕もすっかりまっさらにきれいになりました。 絵描きがその後どうなったのか、詳しくは知りません。 時折来る携帯電話でのメールは、小文字や絵文字や顔文字だらけの“イマドキの女性”のメールそのものです。 彼女はあの頃言っていた“信頼関係”を誰かと築けたのかどうか、わかりません。 ただ、会いたいと思います。 会って、楽しいおしゃべりがなくてもいい、どこかに遊びに行かなくてもいい、ただ、絵描きに会いたいとだけ思います。 絵描きと“信頼関係”で結ばれたかったのはわたし自身だったんです。
絵描きの絵がもう一度見たいと思います。 今はどんな絵を描くのか、それとももう何も描かないのか、今のわたしには見当もつきません。
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