「そして見上げれば」 満点の星の夜、フェンスの上に腰掛けて、こんちゃんは突然歌いだした。 「1000のタンバリンを打ち鳴らしたような星空」 「何?どしたの?」 「んー、なんか思い出した」 こんちゃんはへへ、と照れたように笑って、俺の方を見た。 「何の曲?」 「ロッソっていうバンドの曲。知ってる?」 「何か聞いたことあるかも・・・でもわかんない」 こんちゃんは音楽に詳しかった。 というか、ロックに傾倒していた。 陳腐な歌詞の薄っぺらい歌唱力の歌手には興味を示さなかった。そして俺もそうだった。 「てか、何でそんなとこのぼってんの」 「なんとなく。空が近い」 こんちゃんが座っているのは、肩くらいの高さはあるフェンスだった。足をふらふら揺らして、ちょっと危なっかしい。 「ねこみたいなとこのぼるんだねえ」 俺がそう言うと、こんちゃんはまたえへへと笑った。 この子は元々よく笑う子だった。 いつも柔らかなスカートをはいて、いいとこのお嬢さんのような装いをしているのに、手を叩いて大きく口を開けて無防備にあっはっはと笑う子だった。特に最近は、俺の前ではやけに男前な一面を見せる。 「星きれいだねえ」 今だって、この子がジーンズを履いて足を閉じずに座っているところ、初めて見た。 「あ、あれ夏の大三角形だよ」 「どれ?」 「あのへんのあれとあれと」 「わからんわー」 こんちゃんはまた楽しそうに笑った。 こんちゃんは同じ研究室に所属している同級生で、向かいのマンションに住んでいた。 最近、こんちゃんが彼氏とうまくいかなくなった頃から、毎日のようにつるむようになった。 バイトが終わった24時に、突然夜風に当たりに行こうぜとどちらかがメールを送り、その30秒後にはどちらかのマンションの玄関で落ち合っていた。 そのまま夜が明ける頃まで、近所をうろついたり、カラオケに行ったり、アイスを買って食べたり、お酒を飲んだりしながら、深い話や重い話やどうでもいい話や滑稽な話をしたりして過ごしていた。 「越智くんみたいなヤツがダチなら、生きてるのもいいね」 ある日こんちゃんは別れ際にそう言ったことがあった。 「てか、死ぬなよ」 「そだねぇ」 その時のこんちゃんは、ふふ、と小さく、抑えるように笑っていた。 ふと目の前の今のこんちゃんに目をやると、なにやらポケットをごそごそしている。 取り出して口元にやったのは、煙草だった。 「ちょっ、煙草吸うの?」 「んー」 こんちゃんは深く吸い込んで、夜空に向かって深く煙を吐いた。 「驚いた?」 「まあ、ちょっと」 「えへへ、越智くんや皆が今まで見てた近野歌子は一部でしかないのだよ」 こんちゃんはいつものおどけた調子でそう言った。 「そんなの、誰だってそうでしょ」 「まあ、確かに」 「そんくらいサバサバして男前な方が、よくいるきゃいきゃいした女の子より話しやすくていいよ」 「そだね」 こんちゃんは足を揺らして、煙をぷかぷか吹かせながら、空を見上げていた。 「2年」 「ん?」 「わたしの2年、あいつと過ごした2年、終わっちゃったんだ」 原因は、普段話を聞いていたから、知っていた。 「・・・そっか」 こんちゃんの彼氏が、こんちゃんに大して愛情が薄れたのだと聞かされた。 「まあ・・・何だ。・・・飲むか!」 「飲むか!飲もうぜぃ!」 こんちゃんは短くなった煙草を携帯灰皿に押し込んで、フェンスからぴょんと飛び降りた。 二人でコンビニへと酒を買いに向かいながら、こんちゃんはまた歌った。 「だからベイビー僕はどうしたらいいとか」 ぽつりぽつりと、丁寧に一音ずつ紡ぐように、 「そんなことなんて知りたくはない」 決して上手いわけではないし、か細いけど、その声にはなんだか大きな氷の塊のような、ずんとした冷たい重みがあった。 こんちゃんはその冷たさと重さにずっとひとりで耐えてきたんだな。 「だって見上げれば1000のタンバリンが」 歌っている途中で、こんちゃんは突然、ふふ、と笑い出した。 「どした?何笑ってるの」 「ふふ、いや、なんかね」 止まらない。 「あはは、はは、」 「どしたの?」 「今になって・・・気付いたよ」 こんちゃんは立ち止まって、笑いながら、頭を掻いて、 「わたし、ロックンローラーになりたかったんだ」 笑いながら、強い声で、言った。 「もっと、愛情とか、思いやりとか、気遣いとか、」 声が、だんだん細くなってくる。 「自分の弱さとか、強さとか、・・・過去とか、傷とか」 肩を震わせて、 「・・・もっと・・・、何のつよがりも、・・・飾り気も、なしで、」 声を震わせて、 「まっすぐに、パワーコード、かき鳴らすみたいに、ぶつけてやればよかった・・・」 ついに、溢れ出した。 こんちゃんの痛み。 「もっと、あいつの弱さとか・・・あいつがかき鳴らして、わたしに見せようと、表そうとしてたもの、・・・汲み取って、あげれれば、」 こんちゃんはそれ以上声が出なかった。 しばらく嗚咽するこんちゃんを見ていた。 ここのところ毎晩のようにつるんでいたけど、初めて、俺の前で泣いた。 この子は、こうやって今まで、表面上はかよわい普通の女の子を装いながら、ほんとは、自分の強さ弱さを見据える力を持ってたんだな。 「・・・そうやってさ、自分のこととか、相手のこととか、ちゃんとまっすぐ見れるのは、こんちゃんの強さだよ」 うつむいてぐすぐすと嗚咽するこんちゃんの頭を、ぽんと叩いた。 「まっすぐ見れてるんだから、今こうやって気付けたんだから、これから、周りの人に対して、汲み取ってあげればいいんだよ」 こんちゃんはこくりとうなずいた。 こんちゃんはぐいっと涙をぬぐって、 「あー」 にひっと笑った。 いつものような、間の抜けた笑顔だった。 「酒、飲もう」 「おう。今日はお兄さんがおごってやろう」 「わーいありがとうお兄さん」 この子はこうやって、弱さに直面して、強くなっていくんだな。 真っ赤に泣き腫らした目を見て、そう思った。 「生きててよかったよ」 「生きてくれ」 「越智くんみたいなヤツと男の友情で結ばれてるなら、生きててよかったって思えるね」 「やめろー照れる」 「あはは」 1000のタンバリンを打ち鳴らしたような星空の下で、俺とこの大切な友達は笑い合って歩いていた。
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