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海邪履水魚 作者:上山環三

第9回   霊視
 さて、場面は真人と綾香のいるプールへと戻る。
 いつものプールなら水泳部の面々が派手な飛沫を上げて練習している所だが、今は人っ子一人いない。もちろん封鬼委員会があれこれと手を回して、プールを一時的に使えなくしてもらった事は言うまでもない。
 裏風紀たるもの、根回しすればそれくらいの事はできるのである。
 ――二人は物静かなプールサイドにいた。
 波一つない水面を一望して、真人が綾香へ振り返る。
 「やっぱり・・・・、ダメですか?」
 無念そうに彼は訊ね、綾香は無言で首を振ってそれに応える。
 「困りましたね〜・・・・」
 真人は腕を組んで言うが、困っているようには全然聞こえない。「やっぱりあの結界が邪魔してるんじゃないですか?」
 綾香は霊視の為の精神集中を解いて滴る額の汗を拭うと
 「それはないと思う」
 と、素っ気無い。その口調は疲れにも乱れる事なく相変わらずである。
 「しかしですね〜」
 「もちろん、影響力はゼロとは言えないけど、見れない理由は他にあるわ」
 「え?」
 「何かが妨害してる」
 綾香は切れ長の目で宙を睨む。確かに、このプールは丁度結界で蓋をされたような状態で正常な霊的環境にはない。
 「・・・・?!」
 「妨害電波みたいにエーテルの粒子があちこちで飛び交ってるわ」
 つまり、そのプールの施設内に雑念(霊)がごちゃごちゃと存在している為に、綾香の霊視がうまくいかないのである。
 しかし彼女は精神集中し、再度それを試みる。
 「この粒子だけを濾過して取り除いてやれば、多分見えると思うんだけど――」
 できるのか? そんな事――。 
 真人は息を呑んだ。
 綾香の額を輝く汗がつたう。思わず、その汗を拭き取りたい衝動に刈られて、彼は思い留まった。
 しばしの静寂――。
 次の瞬間、綾香の口から呻き声が漏れた。
 「・・・・ゴホッ・・・・! ・・・・ッ!!」
 「先輩?」
 綾香が大きく仰け反ったかと思うと、喉を掻き毟ってその場にうずくまる――!
 「いっ、一ノ瀬先輩!?」
 慌てたのは真人だった。「しっかりして下さいっ!」
 ――プールサイドで綾香が溺れている!
 くそっ! 迂闊だった!
 のたうつ綾香を全身で取り押さえながら、真人は制服のポケットを探った。
 確かここに――。
 ポケットから出てきたのは、くしゃくしゃになった護符だった。その護符の皺を伸ばしている時間ももどかしく
 「一・二・三・四・五・六・七・八・九・十(ヒ・フ・ミ・ヨ・イツ・ム・ナナ・ヤ・ココ・タリ)!」
 気合一閃、真人は念を護符ごと綾香の体に打ち据える。
 瞬間、綾香の体から形容し難い悲鳴と共に、何かが弾けるように飛び出すと、上にいた真人を突き飛ばして外へ出て行く。
 真人はプールサイドに派手な尻餅をついた。
 咄嗟の事ながら、窮地は脱したようである・・・・。
 「かはっ・・・・!」
 綾香が呼吸を取り戻す。呑んでもいない水を吐き出す。「ごほっ! げほっ・・・・」
 唾液が糸を引いた。その口元を綾香は苦しそうに拭う。
 「大丈夫ですか、先輩!」
 真人は綾香の下へ駆け寄ると、その背をさすった。再び咳き込む彼女。もう少し手間取っていれば危なかったと、真人は冷や汗をそっと拭う。
 霊視の為に綾香が精神集中した――つまり彼女の精神はそれだけ無防備になっていた――ところへ、雑霊が彼女に憑依した為に引き起こされたアクシデントである。
 綾香の拒絶反応が長引けば精神汚染も引き起こしかねないところだった。
 ――しばらく休んでいただろうか。まだ肩で息をするも、喋れるまでに回復した綾香がプールサイドに座り込んだまま真人に礼を言った。この影響で、彼女はしばらく歩けそうもないくらいに疲労してしまった。
 「いえ――、僕の力でなんとかなる相手で幸いでした」
 礼を言われて真人もようやくホッと息をつく。「無事で何よりです」
 「・・・・ありがとう。マズっちゃったわ」
 さすがに綾香も精根尽き果てたのか、素直にそう言う。そうして、二人は顔を見合わすと笑顔を交わした。
 「ところで先輩」
 真人はそのまま続けた。
 「何か見えましたか?」
 「・・・・」
 「どうでした?」
 しばらく真人を見つめていた綾香は、フッと鼻で笑うと目を閉じる。そして――、再び綾香が目を開けた時には、彼女はいつもの表情に戻っていた。
 「そうね・・・・」
 思考をまとめながら、綾香はゆっくりと口を開いた。しかし、彼女はそのまま頭を振って口を閉ざしてしまった。
 「先輩?」
 心配そうに覗き込む真人に、綾香は悟ったような表情で微笑む。
 「女の子が溺れてたわ」
 それはただの雑霊が引き起こしたものとは考えにくい。むしろこのプールで亡くなった生徒の霊か、そう言った地縛霊の類だろうか。
 真人もその意見に同意するも、それ以上は何とも言えず――残念ながら今の二人にそれを確認する術はない――二人は沈黙したまま思考を巡らせる。
 ――トプン。
 その時、それは突然聞こえた。
 「・・・・?」
 ――チャプン。
 「この音は・・・・!」
 「魚!?」
 綾香はハッとして顔を上げた。それより速く真人がプールへ身を乗り出す。
 「先輩! あそこっ・・・・!」
 プールの真ん中。丁度排水溝の辺りだ。
 数匹の黒い魚が、水面を跳ねていた。プールサイドを突っ走る真人。もっと見やすい場所へ回り込むつもりだろう。
 真っ黒でよく分からない・・・・!
 夕方で、しかも曇っているとは言え、その魚は黒一色。まるで影絵でも見ているかのように姿が判然としない。しかし――焦る真人を尻目に、魚たちは最後の一匹が水面でヒラリとその身をひるがえしたかと思うと、底へ潜り込んでそれっきり姿を見せなくなってしまった。
 「くそっ、ダメか!」
 真人は舌打ちする。今にもプールに飛び込んでしまいそうだ。
 ともかく、人面魚かどうかは分からなかったが、このプールに霊魚・水妖の類が住み着いている事はまぎれもない事実となった。「どうします――、先輩?」
 綾香の所へ戻った真人が問う。興奮の所為か、さすがに息が荒い。その彼も既にプールの異変に気が付き始めている。忙しげに辺りを見回すと
 「――先輩、もしかして・・・・」
 と、その危機感を口にする。無論、その事に気付いていた綾香は頷きもしない。残された力を振り絞って立ち上がる。
 「結界・・・・!」
 プールの中の霊圧が急速に増大していた。
 「誰かが結界術を発動させたのよ」
 ふらつきながらも綾香が言う。真人は慌てて肩を貸す。
 一体、このプールで何が起きようとしているのか? 
 真人は唇を噛んだ。――本当はもう少し詳しく調べたかったが、状況は抜き差しならない所まで来ているようだ。妖気を感じる事はできなくても、皮膚がピリピリするくらいその場の空気が張り詰めてきた為に、それは容易に察する事ができた。
 つまり、このままここにいると危険であり――
 「出ましょう先輩! 閉じ込められる前に・・・・!」
 と、綾香を真人が支え、急ぎ足で二人はそこから立ち去る。
 どうやらまだまだプールは使えそうになかった・・・・。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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