■ トップページ  ■ 目次  ■ 一覧 

海邪履水魚 作者:上山環三

第8回   人魚
 「『石燕曰く。 建木の西にあり。人面にして魚身、足なし。胸より上は人にして 下は魚に似たり。是てい人国の人なりとも云。』か・・・・」
 ここは放課後の図書室。舞と亜由美以外にもちらほらと人の姿が見える。――が、二人以外は大抵、静かに読書か勉強をしている生徒ばかりである。
 「何ですか? ソレ・・・・」
 亜由美の朗読は意外に流暢である。が、慣れない作業で疲労気味の舞の耳にはほとんど入っていないようで・・・・。
 「ちょっと大丈夫? ――舞」
 両サイドには数冊の古めかしい本が無造作に置かれている。枕にするには丁度いい高さかもしれない。
 「ハイ・・・・何とか・・・・。がんばってマス・・・・」
 と、舞は額に手を当てて目を閉じた。
 ――真人と綾香がプールを調べている最中、舞と亜由美は図書室で真人の持って来た人面魚等々についての十数冊の資料物件と格闘していた。普通の教室にはないクーラーが快適な仕事場を提供しているとは言え、こうして小難しい本ばかりめくっていたのではいい加減嫌になってしまう。
 普段まともに本なんか読まない舞は、見事に頭がオーバーヒート。周りを訳の分からない本に囲まれていると思うだけで、何だか目眩がしてきそうである。
 無理でもプールの方に行けばよかったかな――と、彼女は後の祭り的に思ったりしていた。
 一方、亜由美の方はまだまだ余裕。舞がさっさと匙を投げてしまっているのに対し、快調な彼女は後輩のリクエストに応じて解説を探す。
 「えぇっと、これかしら・・・・」

 『山海経』(高馬三良訳 平凡社)の『北山経』によると、その姿はサンショウウオのようで、四つの足があり、その声は赤子のようだったと言う事である。
 中国からの伝来では 不気味な姿をしているようで、石燕の画もそれに従っている。上半身が赤い髪をした美女と言うのは近世以降に広まった姿で、中世まではあくまで人と魚との中間の姿をしているものと考えられていた。
 日本で最初の記述は、「日本書紀」の推古天皇の時代(六一九年)に、摂津(現在の大阪府)で怪物のような顔をしたそれが漁師の網にかかった話だろう。
 その出現は何か大事件の前兆と言われており、それは吉兆の場合も凶兆の場合もあり、津波や暴風雨の前兆の場合もある。また予言をする場合もあるようだ。
 江戸時代の文政期(一八一八〜三〇)には、魚の絵がコレラ避けとして流行したらしいが、持ち歩いたり、戸口に貼ったりしたと言う事だ。この時の絵は胸に一本、尾に三本の剣を持ち、髪を振り乱した 奇怪なものだったようである。

 「・・・・それ、人面魚なんですか?」
 舞が今度はこめかみに手を当てて聞く。今の彼女にどれ位の理解力が残っているのかは不明だが、人面魚にしては話がおかしいような気がしないでもない。
 「うぅん、これは人魚についてみたい。『今昔百鬼拾遺』って言う書物の中の記述ね」
 ちなみにこの石燕と言うのは江戸時代の水木 しげるみたいな(?)人である・・・・。
 「はぁ、日本にも人魚はいたんですね」
 舞は妙な感想を述べた。
 「らしいわね」
 と、亜由美はその書物を閉じた。彼女は舞の隣に積んである、何冊目かの書物を手に取る。
 あらかたの資料は当然真人が一度目を通している物らしく、あちこちに折り目が付き、メモが挟んであった。その事に感心しながら、とりあえず亜由美は目次や索引から目的のパートを探す。中には真人がそこに目印を付けていてくれたものもあった。
 手に取ったその本には、しっかりと真人のメモが挟んである。それを見つけた亜由美は挟んであるページを開くと、すぐにそこを読み始めた。それもやはり人魚についての記述らしい。
 
 ――沖縄では、人魚をザン(糸満地方では「ヒトイユ」宮古島では「ヨナマタ」奄美地方では「チュンチライユ」と呼ぶらしい)と呼び、人魚と津波にまつわる伝説が残されている。
 ザンは下半身が魚で上半身は美女の、美しい声を持った人魚であるが、どうやら「ヨナマタ」や「チュンチライユ」は人面魚だと言う話しである。典型的な伝説は以下のようなものである。
 ある日漁をしていると、網にザンがかかる。漁師たちは珍し がって持ち帰ろうとするが、結局海に返してやる。その礼に、ザンは村に津波がやってくる事を教える。そこで漁師たちは村に帰り村人たちは山へ避難する。そしてその日の夕刻大津波がやってきて、山に避難した人々は助かったが、漁師たちの言う事を信じなかった人々は津波に呑まれてしまう。
 このように、ザンを捕ると不吉な事、津波が起るとか、ヨナマタを賞味しようとして大津波に襲われたなどと言った話が伝えられている・・・・。

 「津波ですか・・・・」
 舞はそう言って鼻を鳴らす。「プールに津波起こしたってしょうがないですヨね」
 「そうねぇ。例えばよっぽど水泳が嫌いなのか‥‥」
 亜由美も頷いた。――しかし、それにしても人面魚の記述は少ない。書物にあるのは意外や人魚メインの記事ばかりである。
 急に漂い始めた行き詰まった感に、二人は閉口する。――確かにこれらの資料には感嘆するが、今解決しようとしている事項に対する解決策は見いだせずにいる。
  すると、舞が思い出したように言った。
 「亜由美先輩、以前流行った人面魚はどこのお寺にいるんでしたっけ?」
 「あぁ――」
 その質問に亜由美は首をひねった。そっちは忘れていたらしい・・・・。「確か山形県の善宝寺だったかしら」
 善宝寺の『貝喰の池』にいる人面魚は調査の結果、鯉に偶然できた模様と言う事だった。――口裂け女や人面犬と言った都市妖怪伝説の一端として一時はかなり評判にもなったが、今はいざ知らずである。
 「山形のどこかの駅で水槽に入れて飼ってるらしいわよ」
 「え、ホントですか――? あたしはそんな駅には行きたくないですケド」
 電車通学の舞が露骨に眉をひそめた。本当に嫌そうである。
 そうして何だか一仕事終えたと言う感の二人は、顔を見合わせて笑うと、休憩を取る事にした。
外へ出て、自動販売機でジュースを買う。もちろん図書室の中は飲食禁止なので、二人は入り口の階段に座って気分転換をする。
 廊下の窓の向こうに見える空には灰色の雲が一面に広がっていた。そう言えば昨日は雨だった。そのどんよりとした空を見上げて、舞が口を開いた。
 「亜由美先輩・・・・」
 「ん、何?」
 亜由美は舞の顔を見た。彼女は空を見つめる。
 「真人の事なんですケド――」
 と、舞は視線をスッと足下へ下ろして言った。
 「アイツから、あたしの事を何か聞いてませんか?」
 「え・・・・?」
 突然の質問に、亜由美は目を瞬かせる。
 「何を――」
 「その、何でもいいンです。真人が何かあたしの事話してるのを聞いた事ないですか・・・・?」
 残念ながら全く心当たりのない亜由美に、しかし、舞は少々思い詰めた表情。何をそんなにナーバスになっているのか、亜由美には分からない。
 舞は先輩の困ったようなその様子に気付くと、一気にトーンダウンして呟くように言う。
 「すみません・・・・。何でもないんです、先輩」
 とてもそうとは思えない口調で、彼女はうな垂れた。
 「ちょっと舞? 何かあったの――?」
 時折こんな風に情緒不安定になっては、舞は鬱病にでもかかったように――しかも、今日のはいつものより酷いように思う――落ち込んでしまう。それが何の前触れもなく訪れるから厄介である。もっとも彼女の場合、立ち直りが早いのが唯一の救いと言えよう。
 原因は多分、舞の過去にあるのだろう。舞は過去の記憶をほとんど覚えていないのである。その事は彼女が封鬼委員会に入る時にメンバーに話していることだった。
 ――何か真人に言われたのかしら? 
 間違っても色恋沙汰ではないだろう・・・・と、亜由美は考える。もし仮にそうだとすれば真人には一応、彼女がいるから話は単純ではなくなる。
 しかし――、それよりももっと内面的な悩みのように思えた。
 どう返答するか亜由美が迷っている内に舞は立ち上がった。
 「いえ・・・・先輩。すみません、今の忘れて下さい――」
 「舞――」
 ジュースを飲み干して、亜由美も後を追うように立ち上がる。時折、どうしようもない拒絶の壁をこの後輩から否が応にも感じてしまう・・・・。
 しかし、舞は既に気持ちを切り替えたようだった。
 「さ、もう少し真人の役に立たない資料を調べてみましょう」
 と、先輩に振り返る。
 「舞、何か相談したい事があったらいつでもいいからね・・・・!」
 亜由美はそれだけを言うと、潰した紙コップをごみ箱にシュートした。

← 前の回  次の回 → ■ 目次

Novel Editor by BS CGI Rental
Novel Collections