雨がやっと止んだプールサイドでは、スタートの台に腰掛けたり、壁にもたれたりして思い思いに体を休める封鬼委員会のメンバーがいた。 「大丈夫かなぁ、剣野の奴・・・・」 と、大地が心配そうに更衣室の方を見る。 「舞が大丈夫って言うんだから、任せるしかないですよ」 そう言うのは亜由美である。「まぁ、ちゃんと捕まえてありますから心配いらないと思います」 彼女は静かな笑みを浮かべて更衣室を見守る。 「それはそうだけど・・・・、口で言って分かってくれるといいんだけどなぁ」 「山川先輩も心配性ですね〜」 「そうは言うけどなぁ、真人。実際に拳を交えた僕としては――」 「いや、分かってますってば先輩。でも、だからと言って僕らは彼女をどうする事もできないんですよ」 と、真人は頬を掻く。 「・・・・そう、だったな・・・・」 大地の杞憂はそこで打ち止めになる。続いて、しばし沈黙の後、皆の耳に入ったのは綾香の呟くような言葉だった。 「――結局、彼女も“沢村の悪意”に巻き込まれた存在だったってわけね・・・・」 ため息を吐くでもなく、綾香はやるせなさそうに言う。その仕種に、男性二人は何も言えずに彼女を見据える。しかし、亜由美だけは綾香を嗜むかのような視線を送る。 「やっぱり私たち人間が一番恐いって事かしら・・・・」 続いて出た先輩の言葉に亜由美はたまらず 「確かにそうかもしれません・・・・。でも――!」 と、頷きながらもはっきりと異議を表明する。 「分かってる」 綾香は後輩の真っ直ぐな眼差しを受け止め、流石に表情を和らげた。「そんなに恐い顔しないでよ」 その時、二人の間に真人がヒョイっと口を挟んだ。「出て来るみたいですよ・・・・!」 全員の視線が更衣室の出口に集中する。 ややあって――、舞と涼子が中から出て来る。二人は互いに体を支えあって――。 皆、黙ってその一挙手一投足を見つめる。 そして涼子が深々と頭を下げて一言。 「皆さん・・・・、ご迷惑をおかけしました」 その言葉に封鬼委員たちは安堵の息を漏らす。 更衣室で舞の気持ちに負けた涼子は、今回の事件の事について舞に色々と話した。 自分が何故今回の事件を起こしたか。その事の発端も――。 そして舞に対する謝罪。 それらの事を一通り話し終えた二人が今そこにいる。 だが――舞だけは何故か、一向に冴えない顔色をしていた。 その事に真っ先に気が付いた綾香が怪訝そうに舞を見て 「剣野さん――」 と、彼女の言葉を促す。 「‥‥」 プールサイドの水たまりがキラキラと陽の光を反射する中でも、舞の心中には未だその光は届いていない。 「話さないつもり?」 静かにだが、はっきりとした綾香の言葉に、他の封鬼委員の視線が今度は舞に集中する。 「ッ」 舞がハッと顔を上げて綾香を見返す。「‥‥」 「あ、それは私から言います・・・・!」 「あなたが?」 「――はい」 と、頷いたのは涼子である。その表情を堅くして、彼女はこう続ける。「私の知っている事を皆さんにお話しします」 いいよね? と、涼子は舞を一瞥すると、封鬼委員達の顔を順番に見まわす。 が――その時、自分の目の前で起きた事を、舞は一生忘れないだろう。 「ガハッ!」 涼子が突然胸を押さえてその場に蹲る。「‥‥っ!!」 何が起きたのかその場にいた彼らには瞬時には分からなかった。信じられないと言った表情の涼子は何かを言おうと口を動かすも、喉からはもう言葉が出てこない。 「りょ、涼子っ――!?」 遅れて絶叫する舞。大きな目を更に見広げるも、余りに突然の出来事に彼女は頭を両腕で押さえてパニックを起こす。 「亜由美くん、救急車を!」 と、最初に動いたのは大地だった。彼は涼子に駆け寄ると、自分のカッターシャツの裾を躊躇せずに引き千切る。臨時の包帯にするのだ――。 涼子は左の胸を押さえて倒れている。既に衣服が赤く染まり始めている事が、事態の深刻さを現している。 「早くッ!!」 声を振り立てる大地。最初の一声で電話をかけようと亜由美が出口に向かって駆け出す。しかし―― 「だ、ダメですっ! 先輩ッ・・・・!!」 舞の絞り出すような声に亜由美は慌てて足を止めた。 「病院は――!」 「っ!」 愕然とする亜由美。それもそうである。涼子を一般の病院へ運ぶ事はできない。 その時、またもや大地の怒鳴り声が辺りに響き渡った。「バカ! 滝医院だ! 早く行け――ッ!!」 「は、ハイッ!」 その言葉に大きく頷くと、亜由美は全速力で走り去る。 ごめんよ! と、涼子を抱きかかえた大地は彼女の胸を見る。丁度左胸の辺りの服が破けている。そこは『何か』に貫かれているように見えた。 「や、山川君!」 「一ノ瀬、手伝ってくれ――」 二人は直ぐに応急の止血措置を施す。しかし予断を許さない状況である。自分のカッターシャツを涼子の体にきつく巻いて、大地は出血する傷口を押さえ続ける。 不幸中の幸いか、心臓のある右胸ではない事が救いだった。彼女の側にあった小さな水たまりが、みるみる真っ赤に浸食されていく。 「涼子――!!」 隣で舞が泣きじゃくる。「しっかりして・・・・!!」 「‥‥ま、舞‥‥」 「涼子――!」 「おい大丈夫か!」 この状態で意識がある事に、大地は内心驚かされる。 「涼子、しっかりして!」 「剣野さん、あまり揺すらないで!」 綾香が見かねて舞を制止する。「大丈夫。助かるから」 「‥‥ごめ‥‥、‥‥ね‥‥」 やっとの思いで涼子は舞にそれだけを言うと、流石に気を失なう。 助かる確立は五分五分――、いや、『彼女の血筋』次第か・・・・!? 大地は青ざめていく涼子の顔を見つめて思う。 何にせよ亜由美くん、早く頼むぜ・・・・! と、今度はプールの外に目を遣って大地は唇を噛んだ。 さて――そんな切迫した状況の中で、一人、険しい顔付きで別の事を考えている者がいる。 真人、である。 彼は涼子が倒れるや否や、直ぐに何かに思い当たったらしく、このプールサイドから見える外の様子を素早く確認すると、ある一点でピタリと視線を止めた。 それはプールサイドから見えるが、かなり離れている校舎の一角――。しかし真人はまさに鬼気迫る表情でそこを睨み付けたのだ。 大地と亜由美が涼子の救護に奔走する、そのわずかの間の出来事である。 そして、綾香はその真人の不可解な様子を、途中からではあるが見てしまった。――残念ながら、綾香が視線を追ってその先の校舎を見た時点ではそこにはもう誰の姿も見えなかったし、いたとしても人相まで識別できるような距離ではなかった――。 だが、綾香はその直後の校舎を睥睨する真人の表情を目にして、思わず息を呑む。 一体、何があればそこにいたであろう人物を、あんな憎悪の籠もった視線で見ることが出来るのか! 普段の戯けた彼からは想像も出来ない鋭くも陰険な表情――。 やはり、この子には何かあるっ‥‥! 確信しつつ、流石の綾香も見てはいけないモノを見てしまったような隠滅な気分になり、平静を装いながら彼女は慌てて大地の元に駆け寄ったのである。 事件は未だ続いていると、真人の表情を見る限り綾香はそんな気さえもしてくる。 それぞれの想いが渦巻くプールサイド。見上げれば遠く神社の上に掛かっていた虹はもう消え去ってしまっていたが、気にとめる者は誰もいない。 ややあって――、駆け付けた滝医師によって涼子はそのまま滝医院へと運ばれて行き――。 大凡、こんな形で終わろうとは誰も予想だにしなかった意外な形で、事件はひとまずその幕を下ろされたのだった・・・・。
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