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海邪履水魚 作者:上山環三

第2回   魚影
 「スポーツ万能だと思っていた舞にも、弱点があったとはね・・・・」
 速水 涼子からしたり顔に流し目でそう言われた時、剣野 舞はふてくされた表情をする他に、それに対抗する手段を持ち得なかった。
 「それってもしかしてトラウマって奴なの〜?」
 と、横目でからかう涼子。
 「アンタこそ、他のスポーツは全然できないくせに、何で水泳だけは得意なのよォ!?」
 「こっちに来るまでは海のある街に住んでたもんね。小さい頃から泳ぐのだけは得意だったのよん」
 そんな小柄な彼女は水泳部の部員であった。
 「ズル〜イ!」
 舞はそう言って唇を尖らせた。――涼子とはクラスこそ違えど、何故か初対面から気が合って、結構気さくに話せる間柄になってしまった。こうして体育の時間になると顔を合わせると言う、体育友達(?)である。
 「ま、カナヅチには水泳の楽しさは一生分からないでしょうねぇ――。うふふふふ」
 おっと、最後の笑いが何かカチンと来る。
 ――順風高校一年一組と二組女子の、一学期最後の水泳の授業は、ここ数日間で最高の快晴の下で行われた。繰り越されていた五十メートルの計測も終わり、粋な教師の計らいで、今日はソフトバレーボールを持ち込んでの水球となった。
 それにしても熱い。いや――、暑い。
 舞の他にも数人休んでいる生徒はいたが、今日はさすがに皆、ボールを追いかけるクラスメイトを汗だくになりながら、羨ましそうに眺めている。プールサイドはさながら野外サウナ(?)のようである。舞もこのうだるような暑さに閉口しながら授業が終わるのを暇そうに待っている。
 「ねぇ」
 と――、一緒に見学している隣のクラスの子に声をかけられ、舞は彼女に視線を移した。
 「知ってる? 川口先生って、沢村先生の事狙ってるんだって・・・・!」
 彼女はプールサイドでホイッスルを鳴らしている体育教師の、川口 弘志をチラリと見て、囁く。
 「ふうん・・・・」
 もっとも、舞は適当に相づちを打っただけ。あいにく、彼女はそう言った話に興味はない。
 「それで、何度もアタックしてるんだけど、全部ふられてるんだって」
 ――何気なく、川口を見る。彼は背が高い。日に焼けた体は筋肉質で、順風高校の教師の中ではルックスも上の方に分類される(と、これはクラスメイトの評価である)。生徒の受けもよく、結構隠れファンが多いらしい。
 そして、沢村先生と言うのは同じく体育教師で、赴任二年目、まだまだ新米の沢村 温子の事であろう。水泳部顧問の彼女はスラリとした体にカワイイ系の顔立ち。一見すると「護ってあげたい」等とバカな男子生徒なら夢想しそうな外見だが、実はハスキーボイスの持ち主で姉御肌。軟弱男子生徒が近寄ろうものならその根性を骨ごと叩き直してしまいそうな程エネルギッシュな教師であった。
 さて、川口の噂話はそこで途切れてしまった。イマイチ乗ってこない舞に愛想を尽かした隣の彼女が、話し相手を変えたからである。暇なら相手をすればいいものの、興味の対象となるものとそうでないもののギャップが激しい舞であった。
 とまぁ、時々からかいにくるクラスメイトや涼子を相手しながら、舞は終了のチャイムが鳴るのを待っている。体育は得意な彼女であったが、涼子の言葉通り、水泳の授業だけは見学している。叔母のお墨付きで――舞は叔母の家に厄介になっている――、彼女が水泳の授業を休む理由は簡単である。
 泳げない。――それだけ。水に濡れる事も舞は嫌う。もちろん雨も苦手である。それはそう、既存の読者ならば知っていると思うが、彼女の生い立ちによるものからなのである。涼子の放った『カナヅチ』と言う言葉は、言った当人の知らない内に、まさにその事を言い当てていた。
 つまり、舞の正体は古い洋剣に魂が宿った付喪神――、刀精である。当然人間ではない。そして、それが自分がカナヅチである理由だと、彼女自身は考えている。要するに洋剣、金属が故に泳げず、濡れる事に嫌悪を抱くのだと。かくして、(ご存知の通り)舞はいつも傘を手放さず、水から遠ざかる毎日を送っているのである。
 ちなみに、付喪神とはそれを扱う人の、様々な想いによって生命を吹き込まれた道具の事である。大切にしていた履き物や食器、ひいては人体模型さえ、長らく人の想いを受け止め続ければ意志を持ち始めると言う・・・・。
 しばらく時間が経って、水球の方も盛り上がり白熱した試合展開を見せ始めた頃。
 ――!?
 舞は勢いよく立ち上がり、プールサイドの一角へと迷う事なく目を凝らす。それに一瞬遅れて、突如歓声を突き破るかのような悲鳴が上がった。
 「どうしたっ!」
 川口が遅れてプールに飛び込んだ。派手な水飛沫に、側にいた一部の生徒から
 「キャッ」
 と、小さな悲鳴が上がる。
 最初の声を上げた生徒は涼子だった。彼女は気味悪そうに身をすくめ、プールの底を凝視している。
 「どうした速水?」
 「先生、今何かがそこを・・・・」
 恐る恐る、涼子は足元を指差した。唇が青いのは、ずっとプールの中にいる所為だけのようではなさそうである。
 しかし川口は、何だそんな事か、と言わんばかりに口を開く。
 「おいおい、誰かの足でも当たったんじゃないのか?」
 涼子の不安を打ち消すように、彼は周りにいた生徒を見回して軽い笑い声を立てた。
 「でも・・・・」
 涼子は視線を下げたまま周囲を目だけで見渡して
 「何か黒いモノが・・・・」
 と、眉をひそめて付け加えた。すると、瞬く間に広がった不穏な空気に、その涼子の言葉が決定的なものとなって、皆が次々とプールから上がり始める。こうなってはもはや水球どころではない。ある意味学級崩壊である。
 「おいおい、みんな・・・・。仕方ないなぁ」
 川口が呑気にそうぼやいた時、またけたたましい声が上がった。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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