「それで時津君、私に何の用かな? こないだの試験の結果ならどうにもならないよ」 狭い研究室の中、一番奥にある自分の椅子に座り、瀬良は時津と亜由美そして真人を順番に正視する。 三人の両サイドには本棚。そこにはぎっしりと、まるでタイルのように書籍が詰まっている。 「教授、夏生の事です」 「夏生、‥‥藤峰君かね? 最近見ないが‥‥?」 やや戸惑うかのような瀬良の言葉にはしかし、淀みがない。表情も自然だ。 「君達は、順風高校の生徒だね。藤峰君と何か‥‥?」 瀬良は視線を亜由美と真人へと移す。 日に焼けた肌は年齢の割に健康的で、四十六には見えない。四角い顔立ちが無骨な印象を与えたが、話してみると口調も柔らかく、すんなりとこの人物が『教授』である事を受け入れさせてしまう。 「はい、私たち、夏生さんの妹の祥子さんを探しています」 亜由美は簡単な自己紹介を述べた後にそう言って瀬良を見つめる。視線と視線が平行にそれぞれを確かめ合うかのように交錯する。 「妹がいると言うことは聞いたことはあるが‥‥」 「一週間くらい学校を休んでいるんです」 「ふむ」 「携帯も連絡がつきませんし、家にも行ってみたんですが――」 「家に行ってみたのかね?」 瀬良が鸚鵡返しに尋ねる。 「はい。――でも、留守でした。そこで時津さんに会って、夏生さんの事を聞いたんです」 「‥‥ふぅむ」 瀬良は腕組む。そこで 「あの――」 と、真人が口を挟む。「瀬良教授は何を研究されてるんですか? 本棚を見たところ民俗学系統の書籍が多いようですけど‥‥?」 「そのまんまだよ。民俗学のゼミなんだからさ」 時津がやけに嬉しそうな真人を見て訝しがる。「何だ、興味あるのか? 多田羅」 「ハイ。もう全然!」 それならそうと早く言ってください、と真人は相好を崩す。瀬良はそんな二人のやり取りをじっと見ている。 一方で、隣の亜由美の方はここでペースを乱されたくない。という訳で―― 「ぅいッ!」 真人の左足はあえなく亜由美の踵の一撃を食らって母艦ごと撃沈するのであった(今回そんな役ばっかりだな、真人)。 「まぁ、民俗学談義はまたの機会にしてだな」 と、静観していた瀬良も目を細める。「――それよりも藤峰君の方だ」 「教授」 「ん?」 時津が一歩前に出る。瀬良の表情は慌てず騒がず自然体のまま。 「単刀直入にお聞きします」 「あぁ、かまわんよ」 「夏生は妊娠しています。教授との子供じゃないんですか?」 ――正に直入が短刀である! もとい、その逆! 「――」 「‥‥」 二人の目線が空中でぶつかる。 しばし均衡の後、先に目を逸らしたのは瀬良の方だった。「神降君だったかな? 神降とは古からの良い名だ」 瀬良は亜由美を下から見る。 「――瀬良教授!」 時津は食い下がる。 「まぁ、時津君、待ちなさい」 瀬良はやんわりとしかし、断固とした口調で時津を制す。そして 「先ずは妹さんの、祥子君とやらの話を聞かせてもらおう」 と、三人に改めて椅子を勧めた。
「‥‥なるほど。そのメールが発端と言う訳だね」 亜由美の話を聞き終えて、瀬良は長い息を吐く。 「はい。正直、アナグラムだけでここまでやって来ました‥‥」 亜由美は祥子の事について知り得た情報を瀬良に話した。ただし、教室で相見えた悪霊の事は伏せて――と言うことなので結局ほとんど話すことはない。 「教授、答えて下さい」 時津はしびれを切らす寸前。「どうなんですか!」 瀬良は困ったよう顔で時津をじっと見つめると 「藤峰君は、今私の所にいるよ」 と、徐にしかしはっきりと切り出した。 「えっ!」 「それと、お腹の子供は私のじゃない」 残念ながら――と、両手を見せる。もちろん、その表情は全く残念そうでもなく、どちらかと言うと淡々とした口調で瀬良は言う。 「でも、それじゃあ、どういう事ですか!?」 椅子から身を乗り出して、時津は言葉に詰まる。 「時津君、少し落ち着着く事だ。君は何事も慌てすぎる。いいかね――、藤峰君の相手が誰なのか、私は知らない」 「‥‥」 「聞いてもいない」 「‥‥夏生が言わないんですか?」 「それもある。まぁ、あれで藤峰君はしっかり者だから、必要であれば話すだろうに」 「瀬良教授の家にはどうして?」 亜由美は尋ねる。 「彼女は身の危険を感じて私の所へ来たのだよ」 瀬良は良い質問だ、と言った。 「身の危険、ですか――?」 意外な瀬良の言葉に、時津はそれを繰り返すしかない。 一体何の? 何からの危険だというのだろう? 三人の頭がそれぞれの思考を張り巡らせる。得られる結論は――? そして、瀬良は今度は悲しげなため息を吐いて, 「相手の男は、藤峰君に堕胎を迫っているのだよ」 と、言って三人に憂いの視線を向けた。
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