早秋の台風がすぐそこまで迫っていた。 何もかもを飲み込んで吹き荒れる風と、段々と強まってきた大粒の雨が校庭の木々をもみくちゃにしている。 屋上――。 時津 計太は全身ずぶ濡れになって、必死の説得を続けていた。「鮎菜!! もういいからこっちに来るんだ!」 懸命の呼びかけを始めて、もうどのくらい経っただろう。 計太の視線の先には鮎菜――早川 鮎菜がいる。 一切を振り切って、屋上のフェンスを越えた彼女だったが、計太の形振り構わぬ説得に、頑ななその心を漸く動かそうとしていた。「もう誰もその子を責めない! 俺が約束する!! だからお前が死ぬ事なんかないんだ――!」 正に暴風雨の真っ只中、校舎の屋上に二人は向き合っている。計太は粘り強く鮎奈を説得しながら、じりじりと距離をつめていた。最初は数メートルあった彼女との距離も、もうすぐ――。 「鮎菜っ! 早くこっちに――!」 計太の後ろには少し離れて鮎菜の父親が両手を突き出して声を引き絞る。「鮎菜ぁ!! 早く!」 屋上のフェンスを乗り越えると、そこには数十センチのスペースしかない。時折強く吹く風に、今も吹き飛ばされそうになりながら。 「死んでどうすんだよ! 鮎菜!」 計太の声は確実に鮎菜に届いている。最初はこの世の全てを拒否し、あんなに泣き喚いていた彼女だったが、今は計太の言葉に耳を傾け、思い留まっていた。 と、正面の銀杏の木が、大きく揺さぶられる程の強風がゴウ――と、吹き抜けた。 「鮎菜!!」 やっと計太がフェンスに手をかけ、バランスを崩しかけた鮎菜を捕まえる。「お前、馬鹿ヤロ――」 「計くんっ」 大泣きしている鮎菜の顔も、しかしこの雨で涙も洗い流されて 「今度という今度は――」 計太は鮎菜の濡れた手をしっかり握ると力を込めて言う。「誤ったって許さないからな‥‥!」 「ごめん‥‥」 すまなさそうに言うも鮎奈は計太から視線を逸らす。と――、 「時津君、早く鮎奈をこっちへ!」 娘の拒絶に今まで動くに動けなかった早川が慌ててやって来る。 風雨がかなり酷くなってきた。夜なので視界も良くなかったが、この雨で余計に悪くなってきている。 弄ばれて、ザワザワと銀杏の樹が不気味な音を立てる。 「鮎菜、ほら、大丈夫か」 計太が鮎菜の手を取り、彼女はフェンスを再び乗り越えようとする。「滑るから気を付けて‥‥!」 正に、鮎奈が手摺に足をかけたその時だった。 今までに一番強く、凶悪なまでの烈風が屋上の端から端を吹き荒んだ。 「っ!!」 銀杏の樹がその身を大きく捻じ曲げて啼いた。 「あゆッ」 雨に滑った計太の手が、空しく宙をつかむ。 もう一回――。 「――!!」 その身を乗り出して再度! 「あゆなァ――ッ!!」 計太が絶叫するも、鮎菜の消えた先は見えない。 「うわああああァぁぁぁぁ!!」 立ち込める闇夜に吸い込まれる声。風が、雨が、計太も銀杏の樹も、全てを飲み込んで嵐と化そうとしていた。
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