そのビー玉は、空でした。 最初はただの空色のビー玉だと思ったのです。しかし、道端に落ちていたそれを手にして近くで見るなり、私はそれが空であると確信しました。小さなビー玉の中に映る空の色。それを覆うように白い雲が見えました。初めは自分の目を疑い、そのビー玉を振ったり叩いたり、目を閉じたり開いたりとしていたのですが、何度見てもそこには空がありました。ビー玉の中の空をスズメが数匹飛んでいるのを目にすると、私はとても嬉しい気分になりました。私は今、小さな空を持っているのだと、小さな一つの世界を持っているのだと、嬉しい気持になりました。 ふと、頭の上にある本当の空を見上げました。そこには、灰色の空がありました。私は雨が降っていたことを思い出しました。同時に、私は自分が家から逃げ出してきたことも思い出しました。この空色のビー玉に魅了され、私はすっかり忘れていたのでした。自分が家出をしてきたことを。 私のお母さんは怖いのです。どうしてそうするのかは解りません。ただ私のお母さんは私をいつも打つのです。やめてと言っても、お母さんは打つことを止めてはくれません。私はお父さんが好きでした。優しかったからです。それにお父さんがいるとお母さんも優しくなり、私を打とうとしないのです。だから、私はお父さんが好きでした。しかし、ある日お父さんはいなくなってしまったのです。お母さんはお父さんがいなくなると、いつも私を打つのです。なので、お父さんが帰ってこなくなると私は毎日打たれたのです。そのうち学校にも行かせてくれなくなったのです。毎日ただただ私を打ったのです。嫌でした。痛いのが嫌で、私はお母さんが出かけている間に勝手に家を出たのです。 ずっと、ずっと歩きました。お母さんに見つからないように、ずっとずっと歩きました。心配そうに声をかけてくれた大人の人もいましたが、私はそういう人を見ると決まってすぐに逃げました。お母さんは知らない人と口をきいたら私を打つからです。お母さんはいないものの、他の人とお話するといつかのようにまた打たれるのではないかと怖くなり、私は誰とも口をききませんでした。ひっそりとただただ歩きました。眠くなったりすると公園のベンチやトイレで眠りにつきました。お腹が減ったらまた別の公園で錆び臭い水を飲みました。寂しいときはまた別の公園で泥の人形を作りました。そうして私は7回目くらいの朝を向かえました。そして、今日お母さんに見つからないようにと、別の公園を探して歩いているとき、私は空色のビー玉をみつけたのでした。
私は自分だけの世界が欲しかったのです。誰にも打たれることの無い、自分だけの世界が欲しかったのです。家から出して貰えない私には、いつしか世界とは窓から見える空だけとなりました。空が世界だと思うようになったのです。私は毎日空ばかり見ていたのです。お母さんに打たれているときも、窓からみえる空ばかり眺めていました。家を飛び出て、外を歩いているときも空ばかり眺めていたのです。だから、私はこの空の入ったビー玉が、自分だけの一つの世界と感じて仕方がなかったのです。それを拾った私は幸せだと思いました。
幸せそうに微笑みながら、冷たくなった私が公園で見つかったのは、数日後のことだといいます。私は大切そうに、何の変哲もない透明なビー玉を握りしめていたそうです。
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