12月31日。午後9時。 その日の定番であるテレビ番組紅白で、司会が年末大掃除についての話題をちらつかせたことによって、俺はそれをまだ行っていない事に気が付いた。 大抵の者ならば、すでに新年まで3時間ほどまで迫りつつあるというのに、今から掃除を始めようなんてことは思わないだろう。のこり僅かな時間をのほほんと楽しむことを優先するだろう。しかし、生憎俺は違う。昔からお前は神経質すぎる、と言われてきた俺はポリシーの死守にも厳しい。年の終わりには、年末掃除をする。それは日本国民の、そして我が家の決定事項である。上京し、一人暮らしになった今でもそれは変わらない。 不覚だった。普段ならその様な大事なことを決して忘れることはないのだが、一人暮らしを始めて、初めての年越しである。環境が変わってから落ち着いてきた頃だったためか、年賀状作成に手を焼いていたためか、理由はどうあれ気を抜いていたのだろう。この完ぺき主義の俺がこの様である。 「おし!」 俺は気合を入れると、ソファーから腰を起こした。新年前に大掃除は終わらせる。それが俺のプライドである。現在午後9時。年越しまで約3時間。1DKのこの部屋の大掃除など、3時間もあれば十分だ。 ―――などという、考えが甘かった。
午後10時。残り2時間。 俺は苦戦していた。じゅうたんの上に置かれた折りたたみ式テーブルや小型TVを邪魔にならないとこへ置き、姿をすべて露わにしたじゅうたんに掃除機をかける。そこまでは良かった。しかし、俺は普段大掃除の際などは掃除機をかけた上から、筒状になった粘着テープを転がし塵を取る、という画期的な道具を使用している。(俺は勝手に『コロコロ』と呼んでいる。) それがなんともいけない。転がしても転がしても、じゅうたんから塵が消える事がないのだ。先ほどコロコロを転がしたばかりの範囲を、転がすとまた塵がつく。髪の毛や塵屑などでいっぱいになった粘着テープ部分を取り外し、また同じところを転がすと、同じ状態に後戻り。その繰り返しである。大抵の人間はこれだけやっても取れないなら仕方がない、と諦め次の作業に取り掛かるだろう。だが、先ほども言った通り俺は完ぺき主義で神経質である。塵が消えるまで、それを終わらせる事はない。と、いらんプライドが働き、1時間たった今でもこの様である。このままではコロコロを片手に年を越してしまう。それはなんとしても避けたい。 新年の入れ替わる瞬間は、ある番組のカウントダウンを年越し蕎麦と共に視聴し楽しむ。これの死守もまた俺のプライドの働き場であり、俺のポリシーである。 「くそっ!終わんねえよ、こんなもん!!」 俺は頭を抱える。どうすれば、塵が完全にとれてくれるだろうか。これがどうにかならない限り、俺の毎年死守してきたポリシーがプライドと共に崩れ果てるはめになる。そんなことを考えている間にも時は過ぎる。新年は迫りつつある。このままでは、年越し蕎麦をすすりつつカウントダウンを見ることなど出来ないではないか。 そこで俺は、素晴らしいと表現するしかないほどの、素晴らしい提案を思いついたのであった。
午後10時30分。残り1時間30分。
ぐるぐると丸め筒状となったじゅうたんを抱え、俺は近くのゴミ捨て場に向かった。そう、塵がとれないのならば、その根源から絶てばよい、と俺は考えたのだ。冷えるこの季節にじゅうたんを失うのは痛いが、この際そんなことはどうでもよいのである。大切なのは、新年を迎える前に、確実に大掃除を済ませ年越し蕎麦と共にTVの年越しカウントダウンを見ることである。きっと、明日はこの様なゴミを処分する日ではないはずだが、そんなこともしったことではないのである。さぁ、後は自室に大急ぎに戻り、じゅうたんが消えたことによって露わにしたフローリングのワックスがけと、水回りの掃除だけである。衣変えや身の回りの小物などの整理を普段行っていて良かったと思う。それがなければ、とてもあと1時間30分で大掃除終わらせることなど出来ない。
午後11時50分。残り10分。
俺はピカピカに輝くフローリングの上で仰向けになり、大いに胸を撫で下ろしていた。年末大掃除がやっとのこと完了したのである。ワックスが乾かないものだから、ドライヤーで一々乾かしたのに時間をとられたため、換気口にまで手が届かず、じゅうたん同様の結果で終わらせざる得なかったのは、少し反省する点である。普段の換気口への掃除をもっとまめに行っておれば、それを一台捨てずにすんだのだから。 しかし、それも良しとしておこう。今は、あと10分ほどで訪れる、輝かしき新年へのTVカウントダウンと、年越し蕎麦で過ごすことに集中しようではないか。これだけ、悪戦苦闘し迎える事になる新年に、そしておれ自身に乾杯だ。俺は、毎年恒例の番組にチャンネルを合わせると、缶ビールをあける。と同時に、重大なミスに気づくのであった。 「蕎麦!年越し蕎麦がない!!」 俺は焦る。あれほどまでに毎年計画的に行っていた食事内容のこともすっかり忘れていたのだ。年越し蕎麦がなければ元も子もないではないか。年越し蕎麦のない年越しは年越しで有らず、である。俺はTVのカウントダウンの表示の隣に位置するデジタル時計に目をやる。 現在、11時53分。家をでてすぐの所にコンビニがあるはずである。確か、そこにはTVも設置してあったはずだ。 まず、3分以内にそのコンビニに向かう。そして、そこでカップヌードルの蕎麦を3分で作り、11時59分には例の番組にチャンネル合わせてもらい、年を越す。コンビニで年越しをするのは不本意ではあったが、この状況では仕方がない。一瞬に頭の中で計画を立てた俺は、すぐさま立ち上がり、駆け出す。 年越し7分前の夜空の下、俺は俺のポリシーを守るため、コンビニに歩を速らせた。財布を自宅に忘れたことに気がつくのは、それから2分後のことである。
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