昭和四十年代、全国的に学生運動の気運が高まっていた。ここ名古屋でも地元の大学では、学内にバリケードを築いたり、煽動する手書きポスターが貼られたりして高揚感があった。 誠司は、中学二年生だった。当時流行のグループサウンズに憧れてアコースティックのギターを買ってもらったが、今では部屋の片すみで埃をかぶっている。 「やっぱりエレキでないとほんとうの音は出んわ」なんて言っているが、実際にはコード進行ができなかった。音楽の成績が三以上とったことない頭には難しかった。
最近の誠司の生態は、学校が終わると友だちのテツちゃんと近所の鶴舞公園に行くことだった。別に目的があるわけではないが、公園のすみずみを歩き回るのが日課になっていた。運がいいと茂みでエロ本が見つかることがある。テツちゃんは、女性のお尻が好きだった。誠司は胸が好きだった。エロ本の尻が写っているページと胸の写っているページを破って二人で分けた。裏表に尻と胸が写っている場合は、ジャンケンした。誠司は、ジャンケンに負けた夜には、寝床の中でテツちゃんが持っていったページの裏側の胸の写真が頭の中に浮かんで眠れなくなるのだった。
「オッパイ好きはマザコンだっていうぞ」 テツちゃんは、自分が尻好きであるということが、いかにも大人っぽいと言い張るのであった。でもこればかりは好き嫌いの問題なので誠司は譲れなかった。 「尻は、男の尻でも同じようだけど、胸は女だけの特徴だ。保健体育でも男女の差のひとつに胸のふくらみがあると書いてある」 「なにいっとる、いまはオカマでも胸ふくらませとるぞ」 こういった情報を仕入れてくるのがテツちゃんは早かった。 「なんや、それ」 「カルーセル・マキ知らんか。ようテレビに出とるやろ」 「ああ、あのガラガラ声の……」 「あれ、男だぞ」 「嘘!」 「それにピーター」 「夜と朝のあいだに、って歌っているやつだろう」 「あれも男だぞ」 「それは、見ればわかる」 化粧して歌っているピーターが、男の子であるというのは知っていたが、けっこう好みの顔だったので複雑な気持ちだった。カルセール・マキのほうは正真正銘のオンナと思っていた。 「もしお前が好きになった女が、ほんとうは男だったらどうする」 「オンナがオトコだったら……なんだ、それ」 「それでも好きでいられるか」 「女と思っとたらチンチンついとるんだろ?」 「いやあカルセール・マキは、チンチンとったという話だぞ」 「チンチンとることできるのか? チンチン切ったら死ぬって言っとたぞ」 「ちゃんと手術するとチンチンとれるみたいだ」 こういったことは学校では教えてくれない。テツちゃんといっしょにいると社会勉強になる。といっても実際の学校の勉強では、いつもテツちゃんの順位は誠司のはるか下だった。
公園散策では、夕方になると、カップルがいちゃいちゃしているのをのぞき見する楽しみも加わる。ある日、公園の南側にある野球グラウンドに入っていく若い男女がいた。グラウンドの両脇は草むらになっていて、けっこう丈のある草が生えていた。その奥に入って行ったので、テツちゃんと無言でうなずき後をつける。こういうのを暗黙の了解というのだ。グラウンドの横は小学校が建っている。その境にフェンスがあり、その手前に何本も木がある。女性が木に背中をつけて立っていた。男は両手のあいだに女性を入れて木に手をついている。しばらく話をしていたと思ったら突然男と女がキスをした。女の手が男の背中にまわる。男は木から手を離して、女の服の下に手を入れた。想像していたラブシーンとは、かなり違った。 男の左手がスカートの下に伸びたときに女が拒否の声を出した、と思った。
「いや、やめて。お願い」 「おい女が嫌がったとるぞ」 「助けにいったろか」 正義感に燃えた二人の少年の瞳に夕日が映って燃えていたときに、突如女の声がよがり声になった。 「ああ〜ん、だめだったら」 そのまま二人して草むらに倒れこんだ。 テツちゃんと顔を見合わせた。 「あの女、よろこんどるぞ」 「いやよ、いやよも好きのうち、じゃ」 「なんだ、それ」 「おまえ、知らんのか。女は言葉では、いやとか、嫌いとか言っていてもカラダが男を求めとるということじゃ」 「ほうか」 「ほうじゃ」 社会勉学にいそしむ中学生のもとに男女の声が響いてきた。今日のカップルは激しい。胸がはだけて見えそうだった。いつも見るのは、チュして終わりだったのだ。
「ああ〜ん、いいわ」 「ヨシコ、愛してるよ」 「あの女ヨシコっていうんだな」 テツちゃんは変なことに納得していた。 「おまえの姉ちゃんといっしょの名前だな」 「たわけ、いっしょにすんな」 「おめえのねえちゃんも、あんなことすんのか」 「くそたわけ」 そっか、姉の同じ名前だったのでテツちゃんは気になったのだ。彼の姉の美子は、高校生で目が大きくて、誠司からすれば大人の女に思えた。その美子と同じ名前のヨシコが公園で男と乳繰り合っていた。思わず誠司には、ヨシコが美子とダブって見えた。これからは、テツちゃんの姉さんの顔をまともに見られなくなったと感じた誠司であった。
「おい、誠司、あれ見ろ」 指差すほうを見ると、カップルのいる場所から少しはなれた木の裏に人間が潜んでいるのがわかった。夕暮れた薄ぼんやりした時間帯なので、よくわからなかったが、男の姿が浮かび上がった。 「あんなとこで、なにやっとるだ」 「あれが出歯亀だ」 テツちゃんは鼻をふらませて得意気に言った。 「なんだ、それ」 「のぞき見の専門家だ」 「あいつ専門家なのか、えらいのか?」 「えらくはないぞ。お、あいつ動いたぞ」 「大胆に近づいていくな」 見ると男は、カップルの間近まで歩み寄った。男も女も自分たちのことに忙しくてまったく気づいていない。たぶん二人は目を閉じているのだろう。たとえ目を開いていたとしても、夕闇にまぎれて男の存在はわからない。 「おい、あいつ手をのばしたぞ」 出歯亀男は、男の背中にまわって、後ろから手をのばして女のスカートの中に手をのばした。男は女の胸をさわっているので、下はお留守になっていた。 「ああ〜ん、いや〜ん」 「おお、女が感じよるで」 二人のほうまでヨシコのあえぎ声が聞こえてくる。 「あれは、あの出歯亀男が女に声出させとるようなもんだな」 「そっか、そっか」 誠司は、何がなんだかわからなかった。カップルの愛撫シーンだけで興奮したのに、さらに出歯亀男が登場してヨシコに声を出させている。中学生には刺激が強すぎた。
その時だった。 「あんた誰!」 ヨシコが彼氏の背中越しの男を見とがめて叫んだ。 「おい、まずいぞ」 思わずテツちゃんが立ち上がった。 「あわわ」 誠司が大声を出してしまった。 「誰か、いるのか!」 男が、こっちを振り返った。いつの間にか出歯亀男は闇にまぎれて消えていた。 二人は、立ち上がって走り出した。 全速力でグラウンドを出て後ろも見ずに公園の池のほうに向かった。池を通り越して、公園に隣接する名工大の校舎のそばまで走り続けた。土からアスファルトにかわる段差に足をとられてテツちゃんがたたらを踏んだ。 「おっとっと、けつまずいてまったわ」 「あいつら警察にいわないか」 「そりゃあないだろう」 「学校に言われたらどうする?」 「おれらが中学生だとわからんだろ。心配するなって、警察がなんぼのもんじゃい。おれがやっつけてやる」 テツちゃんは強がって見せたが誠司は弱気だった。
大学の正門の前にはバリケードが築かれていた。安保がどうのこうとか、革命とか、帝国主義がどうのこうとか書いてある紙がそこら中に貼られていた。白い紙に黒い文字や赤い文字が躍っていて、それはそれで個性的に思えた。文字の書体が同じ調子に見えて、どうすればあんな字が書けるのだろうかと、ふと思った。 街路灯が点き始めて、あたりは白い光に包まれていた。 学校のほうからなにやら飛んできた。石にしては大きすぎる。コーラの瓶だ。独特の緑色のガラスに見覚えがある。地面にぶつかった瞬間にせん光がきらめいた。
“ぼうんむ”と爆音がしてコーラ瓶が爆発した。
「火炎ビンだ」 「なんだ、それ。買えんのか? コーラは、どこでも買えるぞ」 「燃えるほうの火炎だわ」 「なんのこっちゃ」 火炎ビンは正門の前で燃えている。それを合図にしたかのように公園の植え込みの影から屈強な男たちが飛び出してきた。そろいの紺色の制服、頭にカバーのついたヘルメットをつけている。手にはジュラルミン製の盾を持っている。 「機動隊だ」 「なんだ、それ」 テツちゃんは社会情勢に弱い。今度は誠司が教える番だった。 「機動隊は学生運動を取り締まる時に出てくるんだ」 「あれ、警察か」 「そうだよ」 「自衛隊かと思った」 学校のほうを見ると、ヘルメットをかぶり首にタオルを巻いて、ジーパンにTシャツ姿の学生が手に角材を持ってなにやら叫んでいた。
「われわれは〜、米帝国主義に加担する日本の傀儡政権を断じて許さない〜」 演説は威勢が良かったが機動隊が押しかけていくと学生は一目散に逃げ出した。 「学生、かっこわるいな」 「機動隊かっこいいな」 この世代の男の子は、制服に弱いのであった。 「おれ、大人になったら機動隊に入るわ」 テツちゃんは、鼻をふくらませていた。 「ふだんは警官だぞ」 さっきまで警察をやっつけてやると息巻いていたのが簡単に手の平を返していた。 「そっか、いつもあの服を着れるわけではないのか」 「特別な時だけだ」
二人のいたところへ別の機動隊員たちが走ってきた。 「こら、子どもはあっちへ行け」 ヘルメットと防具をつけた機動隊員は、マンガに出てくるロボットのようだった。 「おい、握手してもらおうか」 「おう、してもらおう」 かっこいいものに憧れる年頃だった。 「すんません、握手してください 「おれもしてください」 「たわけ、はよ、あっち行け」 「あっちは、竜ヶ池(たつがいけ)だがや」 「なにをたわけたこといっとるか。逮捕するぞ」 とうとう機動隊員を本気で怒らせてしまった。またしても二人は走って逃げた。 バス通りを二区間ほど走り続けた。どちらからともなく足を止めて顔を見合わせた。 「おうじょうこいたな」 「ああ」
その夜のことだった。布団に入った誠司は、グラウンドで見たヨシコという女のスカートの中に右手を入れる夢を見た。なにやら不思議なものにさわっているが、それがなんだかわからなかった。 突然ヨシコは「あんた誰!」と叫んだ。すると顔がテツちゃんの姉の美子に変わった。「あんた哲二の友だちの…」「すんません」あやまりながらも誠司は、手を動かし続けた。「すんません」もう一度言うと、今度は憧れの胸を触ろうと左手をのばした 美子の顔がテツちゃんに変わった。 「オッパイ好きはマザコンだっていうぞ」 スカートの中にあった誠司の右手が、テツちゃんのチンチンに触った。チンチンがちんちんだった。 「ちゃんと手術するとチンチンとれるみたいだ」とテツちゃんが笑顔で言った。 その時、誠司のほうのチンチンが爆発する予感がした。 緑色のコーラビンが放物線を描いて落ちてきた。 “ぼうんむ”と爆音がして爆発した。同時に射精した。 テツちゃんの顔が機動隊員になって「たわけ、はよ、あっち行け」と怒鳴っていた。 そこで目が覚めた。
「なんちゅう夢だ、おうじょうこいた」 おしみゃあ
*注釈=「おうじょうこいた」は、漢字で「往生放いた」と書く。「困り果てた」「閉口する」という意味だ。ちなみに「往生」は仏教用語で「死ぬこと」という意味以外に「極楽浄土に生まれ変わる」という高尚な意味がある。一方の「放いた(こいた)」は「屁をこいた」「嘘こいた」とあまりいい意味はない。
<名古屋弁および名古屋についての注釈> *鶴舞公園=名古屋市昭和区にある風光明媚な公園。園内に名古屋市公会堂や欧風の音楽堂、噴水などがある。 *ほうか=そうですか。ちなみに授業と授業の間の休憩を放課という。 *たわけ(くそたわけ)=発音的には「た〜け」、意味は、バカ、あほ。 *けつまずく=つまづくと同じ意味。 *名工大=国立名古屋工業大学。鶴舞公園の東に位置する。 *竜ヶ池(たつがいけ)=鶴舞公園の東に位置する池でボートに乗れる。公園の北にあるサッポロビール工場のビルを作るときに出る水を流していると聞いたことがある。 *ちんちん=熱い状態。「チンチンがちんちんになっとる」は名古屋の男の子なら必ず使ったフレーズである。
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