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なごや物語 作者:神門ぺぷしY

第1回   第一話 あんばいよう
あんばいよう                          

 堀川の川風が土手の柳を揺らしている。道は、アスファルトに小さな白い小石を混ぜていて、それが桜の落花のような趣を感じさせている。川沿いの民家の上に祀られている屋根神様の前には、お供え物が置いてある。近所の人が毎日取り替えているのだろう。
円頼寺商店街につづく石造りの橋の上で、祖母の八重が振り返った。
「おみゃあさんも、あんばいよう、やってちょう」
 祖母は丸まっていた背をのばして別れ際に、そういった。来年、ついに八重は百歳を迎える。年齢が三桁に達するというのに、ますます若返ったように思えた。
 生粋の名古屋人である彼女は、流暢に名古屋弁を話す。「あんばいよう」とは、「ぐあいよくやってください」というような差しさわりのない挨拶の言葉だ。「あんばい」は、料理の味加減を表す「塩梅」とも、適当にという意味の「按排」のどちらからか由来したのだろう。今の名古屋の若者からは、めったに聞くことができない言葉の一つだ。
 この「あんばいよう」が、やがて別れの挨拶の「あばよ」になったという説がある。たいていこの言葉は別れのときにつかうことが多い。なにを「ぐあいよく」するのか、わからないが、別れ際に、この言葉を言われると、なにかしなければならないのだろうと思ってしまう。
 孫娘の道子とひ孫の夢子が祖母の八重を見送る。夢子が高校を卒業して専門学校に進むことになったことへのお祝いにやってきたのだ。お祝いといっても小遣を渡しに来たのだった。道子の両親は、すでにいない。夫とも何年か前に離婚した。道子の長男の健介は、夫が引き取ったので、娘の夢子と二人暮しをしている。
「おばあちゃん、いくらくれた?」
 実際には、ひいおばあちゃんだが、夢子は八重のことをおばあちゃんと呼ぶ。もっぱら小遣の中身が気になるらしい。八重が見えなくなると、道子は、もらった封筒を夢子に渡した。
「なんだ三万円だけか」
 不服そうに頬をふくらませている。
「あんた、もらえるだけありがたいと思いなさい」
 道子が顔をしかめる。
「あれ、この一万円おかしいよ」
 袋から出した一万円札には、聖徳太子が描かれていた。
「あら、また古いお札ね、おばあちゃんらしいわ」
「使えるの?」
「もちろん、ちゃんとした日本のお札よ」
「へえ」
 銀行へ預金もせずにへそくりしていたお金を持ってきたのだろう。
 道子は、遠い日のことを思い出していた。八重は、道子の父の母だった。道子の母の和江にとっては口うるさい姑だった。八重と道子の両親、そして道子をかしらに三人の姉妹が、円頼寺の東の和泉町に住んで花屋を営んでいた。                         
「和ちゃん、釣銭がまちがっているよ」
 八重は、嫁に厳しかった。お嬢さん育ちだった道子の母・和江は、いつでも八重に怒られていた。父もいつも母を怒鳴っていた。それを見ながら道子は育ってきた。そんな家の状況から道子は、自分だけは母のような生活だけはしたくないと思っていた。
 やがて道子は年頃になって、長男に嫁いだ。最初は夫の親たちといっしょに住まない約束だったのが、何年かたつと状況が変わってきた。義父が脳梗塞で倒れたのだ。義母が看護も兼ねて道子達夫婦に同居するように頼んできた。その態度が横柄だったことが道子の忍耐の糸をぷつりと切ることになり、離婚を決意した。
 一方、実家では、残りの二人の妹が、それぞれ嫁ぐと、それを見送るかのように道子の両親は相次いで亡くなった。
 しかし祖母の八重は、健在だった。
 八重の口癖の「順送りに逝かな、いかん」という言葉どおりにはいかなかった。それは、年上の者から順番に亡くなっていくことが自然であるという意味である。ひとり生き残った八重は、叔母の家に住むことになった。叔母は夫を亡くし、一人娘を嫁に出して一人で気楽に暮らししていた。実の娘とはいえ、女が二人いっしょに住むのは、それはそれで問題があるみたいだった。叔母は、まわりの人たちに露骨に祖母の悪口を言いふらしていた。
 しかし、八重は愚痴ひとつこぼさなかった。
 かつて道子は、母に厳しかった祖母を恨んだこともあった。しかし今では、こうして定期的に会うことで肉親の情を感じていた。夢子と地下鉄の丸の内駅まで歩く。道子が子供の頃とは、すっかり町の様子が変わっている。古くからあった商店は、オフィスビルになり、人が住んでいる気配がなくなった。夜ともなれば閑散としたコンクリートの空間になる。幼い頃、オート三輪が走っていた道を夢子と並んで歩いていると、祖母の八重に言われたことを思い出していた。
「塩梅は、塩と梅で、辛いものと酸っぱいもの、どちらも甘くないわな。でも、これを入れることで、料理が美味しくなる。甘い砂糖や味醂だけでは、べとべとして、とても美味しいものはできん。人が生きるのも同じだで。辛いことや悲しいことが、ぎょうさん(たくさん)あるから面白いんだわ。楽してばっかりおるやつは、だちゃかん(埒があかない)」

 私の人生は、辛くて酸っぱいことばかりだった、と道子は思った。
「おみゃあさんも、あんばいよう、やってちょう」
 祖母を真似て言ってみた。
「やだあ、お母さんたらおばあちゃんに、そっくりよ」
 道子は、母よりも祖母の八重に似ていると親戚から言われていたことを思い出した。
 自分では気づかなかったが、いつの間にか名古屋弁が口から出る今日この頃であった。

                                      おしまい


                                            

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Novel Editor by BS CGI Rental
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